>>1 追伸ですが、フロイドによる言い間違え、読み間違えの有無豊かさで言えば <田中みな実の「また読んでくださいー」と書いてありますが、これは菊地さんの変換ミスだ(本当は「呼んでください」と書きたかった)と推測するのですが、これは何かしらの無意識の表象しているものでしょうか。> と、ありますが、僕が「呼んでください」を「読んでください」と誤変換したのは、田中みな実氏に限った段落ではなく、江藤愛氏、古谷祐美氏、田中みな実氏を連名で総称的に使っている部分です(「あの」という表現で、田中氏だけをやや特別扱いしていますが)。後の段落で、さらに詳しく、田中みな実宇治についてのみ書いた部分の結びでは誤変換していません。 ですが、コメント引用箇所は、微弱に、ですが、誤変換の対象が田中みな実氏のみに偏って読まれており、繰り返しますが、田中みな実氏をピックアップした段落では誤変換は起きていないので、これは読者としてのとしあきさんの偏りを示しますので「何が偏りを生じさせたのだろうな?」と先ずは思ってしまいます。それは「この人は田中みな実氏のファンなのだろうか」「<下さいー>という締めのが<下さいね>という締めよりも好きなのだろうか」いったシンプルなものから、「文章に対する集中力が、何行目で落ちる癖があるのか」といったリージョンまで多岐にわたり、非常に楽しいです笑。 誤変換については、フロイドの存命期にはなかったので(「書き損じ」はあり、フロイドは「言い間違え」と同列に置きましたが)、僕にはワンダーというか、単に老眼で細かい字の自己校正が出来ない事による(PCの変換能力のあり方にも左右される)、つまり無意識からのエフェクトのない現象、だと、現在のところは考えていますが、日記中、「女性が求めるあらゆるものを手出し区把握する」とあり、これは言うまでもなく「女性が求めるあらゆるものを正しく把握する」が正しいので、「手出し区」とうのは、誤変換にしてもよく出来てて面白いな。と思います。自然現象が主ミュラクラで文字や具体的な図象に見えてしまうのと似ている気がします。
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追伸ですが、フロイドによる言い間違え、読み間違えの有無豊かさで言えば
<田中みな実の「また読んでくださいー」と書いてありますが、これは菊地さんの変換ミスだ(本当は「呼んでください」と書きたかった)と推測するのですが、これは何かしらの無意識の表象しているものでしょうか。>
と、ありますが、僕が「呼んでください」を「読んでください」と誤変換したのは、田中みな実氏に限った段落ではなく、江藤愛氏、古谷祐美氏、田中みな実氏を連名で総称的に使っている部分です(「あの」という表現で、田中氏だけをやや特別扱いしていますが)。後の段落で、さらに詳しく、田中みな実宇治についてのみ書いた部分の結びでは誤変換していません。
ですが、コメント引用箇所は、微弱に、ですが、誤変換の対象が田中みな実氏のみに偏って読まれており、繰り返しますが、田中みな実氏をピックアップした段落では誤変換は起きていないので、これは読者としてのとしあきさんの偏りを示しますので「何が偏りを生じさせたのだろうな?」と先ずは思ってしまいます。それは「この人は田中みな実氏のファンなのだろうか」「<下さいー>という締めのが<下さいね>という締めよりも好きなのだろうか」いったシンプルなものから、「文章に対する集中力が、何行目で落ちる癖があるのか」といったリージョンまで多岐にわたり、非常に楽しいです笑。
誤変換については、フロイドの存命期にはなかったので(「書き損じ」はあり、フロイドは「言い間違え」と同列に置きましたが)、僕にはワンダーというか、単に老眼で細かい字の自己校正が出来ない事による(PCの変換能力のあり方にも左右される)、つまり無意識からのエフェクトのない現象、だと、現在のところは考えていますが、日記中、「女性が求めるあらゆるものを手出し区把握する」とあり、これは言うまでもなく「女性が求めるあらゆるものを正しく把握する」が正しいので、「手出し区」とうのは、誤変換にしてもよく出来てて面白いな。と思います。自然現象が主ミュラクラで文字や具体的な図象に見えてしまうのと似ている気がします。