>>22 現代フェミニスト諸氏はもう過去の雅語として容認してくださっていると思いますが、昭和までの日本には、明らかなディスターブとして「女、子供騙し」という言葉がありました。女と子供にはあらゆる表現は理解できなく、稚拙なものを喜ぶだけである。という意味です。 また「お涙頂戴」というディスの定番もありました。「頂戴」は「頂戴しました」と送られることでも分かる通り、受動です。なので「あんなもんはお涙頂戴だろ」とけなす時、それは作り手も受けてもディすっていた訳で、意味としては「ストレートに泣けそうな物を出して、案の定泣かせ、金を取るのは下衆である」という意味です。 どちらも今、「なんだそれはけしからん!!」という反応よりも「はあ?」という反応のが強いと思います。それほど、女性の感性、対抗的表現は強度を持っていますし、泣かせ、泣く、というリレーションに、加工を加えない、ピュアな手法は最強度で一般化しています。蛇にピアスのみならず、金原さんは、歴とした女性小説を書きながら、女、子供騙しを一切しないし、お涙頂戴も一切ない、優れた小説家の一人だと思います。
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(著者)
>>22
現代フェミニスト諸氏はもう過去の雅語として容認してくださっていると思いますが、昭和までの日本には、明らかなディスターブとして「女、子供騙し」という言葉がありました。女と子供にはあらゆる表現は理解できなく、稚拙なものを喜ぶだけである。という意味です。
また「お涙頂戴」というディスの定番もありました。「頂戴」は「頂戴しました」と送られることでも分かる通り、受動です。なので「あんなもんはお涙頂戴だろ」とけなす時、それは作り手も受けてもディすっていた訳で、意味としては「ストレートに泣けそうな物を出して、案の定泣かせ、金を取るのは下衆である」という意味です。
どちらも今、「なんだそれはけしからん!!」という反応よりも「はあ?」という反応のが強いと思います。それほど、女性の感性、対抗的表現は強度を持っていますし、泣かせ、泣く、というリレーションに、加工を加えない、ピュアな手法は最強度で一般化しています。蛇にピアスのみならず、金原さんは、歴とした女性小説を書きながら、女、子供騙しを一切しないし、お涙頂戴も一切ない、優れた小説家の一人だと思います。