神さま、narikoさま、菊地さま、こんばんは。本田です。 菊地さまへ: 本当にすみませんでした。まだ完全なる思考能力ができていませんが、ご忠告いただいたすべてことにつきまして反省しております。 まだ心がほぼ整っていない状態で、文章をお送りするのは良くないとは思いましたが、今からお酒を飲まないとひどく辛いため、飲酒する前にご返事させていただきます。 《今にも死にそうに血をながしている子供の前で、〇〇さんが差し出すのは包帯ですか、それとも本ですか》 という私の質問に対する彼女(文筆家)の反応が主たる喧嘩の火種です。すみません、もう彼女の悪口は言いません。 私の答えは、芸術です。間違いありません。勿論、包帯もあれば差し出しますが。 私が愛し、音楽の祭司である菊地さまに反論されてしまっても、以下の考えはかわりません。 今にも死にそうなひとがいたら私は、CDプレーヤーをもってきて再生しますし、耳にiPhoneぶっ刺しますし、歌いますし、手をたたいて踊ります、一緒に本を読むか、音読して聞いてもらいます。 音楽を信じること(それが逃避であっても)は絶対に変わりません。世の中に絶対はあります。 私はこれでも音楽や本、つまり人が作り上げた神話に救われてきました。 音楽と本がなかったら、今頃は病院のなかで生活しています。 場をわきまえてグロテスクな過去と音楽について書きませんが、大学を5年間留年して未来に怯えていたときも、友達がいななくても、DVをしてしまい落ち着いて直後に死にたくなったときも、姉が線路に横たわっても、私のなかにはずっと音楽がありました。 他人に自分の考えを押し付けるのはよくないことはわかっておりますが。でも、自分の信仰をバカにされたように思え、ひどく狂いました。 たとえ菊地さまが、そうではない、つまり「前述した悲惨な状態で差し出すものは芸術ではなく包帯だ」と仰いましても、私は芸術を差し出します。 たとえその芸術に、血液が必要であったとしたら、私は自分の体を切って出血した血をそれに使います。 どうかみなさまここにひどく自己陶酔している奴がいると、笑ってください。スクリーンショットをして晒してください。 繰り返しになりますが、包帯の芸術しかない状況で、血を流す子供に、最後に与えるべきものは絶対に芸術です。そうに決まってる。だって当然でしょう。神さま。おれはもう知ってるし見えている。 手短ですみません、昨夜はこのような流れでありました。 みなさま、精神病のバカがwebにいる、どうぞたくさん笑ってください。または無視をしてください。人間に勝ち負けはありませんが、私には芸術という神さまがいます。つまり、私は何があってもひとりになりません。孤独なんてまったく怖くないです。 ----------------------- narikoさまへ: ご心配をおかけし、本当に申し訳ございません。 今、心が本当におかしいためうまく謝罪の意をお伝えすることができません、とすれば、これは甘えになりますが、本当にすみませんでした。 また、これも甘えになりますが、自分がなにを書いてしまったのかを詳しく思い出すことができません。 <失明>という単語のヒントを与えをくださったため、私がコメントしてしまったことはおそらく、「私は失明しても文章を書く、耳が聞こえなくても頭のなかで音楽を再生する、1時間後に失明してしまうとしても本を睨む」ということかと、なんとなくですが、うっすら覚えております。 本当に、すみませんでした。 この場、このタイミングで"イキる"ことは良くないとは思いますが、私は、センスがないと、駄文と、自己満足だと、いい加減にしろと言われても、文字を書きたいです。"ぶんがく"の"ぶ"もわかっていない状態ですが、なにかが頭におりてきたら、それを書かないと、書くしかしかもう私には残っていないという感覚になっておりまます。お金なんてどうでもいい。 narikoさま、本当にすみませんでした。深くお詫び申し上げます。
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神さま、narikoさま、菊地さま、こんばんは。本田です。
菊地さまへ:
本当にすみませんでした。まだ完全なる思考能力ができていませんが、ご忠告いただいたすべてことにつきまして反省しております。
まだ心がほぼ整っていない状態で、文章をお送りするのは良くないとは思いましたが、今からお酒を飲まないとひどく辛いため、飲酒する前にご返事させていただきます。
《今にも死にそうに血をながしている子供の前で、〇〇さんが差し出すのは包帯ですか、それとも本ですか》
という私の質問に対する彼女(文筆家)の反応が主たる喧嘩の火種です。すみません、もう彼女の悪口は言いません。
私の答えは、芸術です。間違いありません。勿論、包帯もあれば差し出しますが。
私が愛し、音楽の祭司である菊地さまに反論されてしまっても、以下の考えはかわりません。
今にも死にそうなひとがいたら私は、CDプレーヤーをもってきて再生しますし、耳にiPhoneぶっ刺しますし、歌いますし、手をたたいて踊ります、一緒に本を読むか、音読して聞いてもらいます。
音楽を信じること(それが逃避であっても)は絶対に変わりません。世の中に絶対はあります。
私はこれでも音楽や本、つまり人が作り上げた神話に救われてきました。
音楽と本がなかったら、今頃は病院のなかで生活しています。
場をわきまえてグロテスクな過去と音楽について書きませんが、大学を5年間留年して未来に怯えていたときも、友達がいななくても、DVをしてしまい落ち着いて直後に死にたくなったときも、姉が線路に横たわっても、私のなかにはずっと音楽がありました。
他人に自分の考えを押し付けるのはよくないことはわかっておりますが。でも、自分の信仰をバカにされたように思え、ひどく狂いました。
たとえ菊地さまが、そうではない、つまり「前述した悲惨な状態で差し出すものは芸術ではなく包帯だ」と仰いましても、私は芸術を差し出します。
たとえその芸術に、血液が必要であったとしたら、私は自分の体を切って出血した血をそれに使います。
どうかみなさまここにひどく自己陶酔している奴がいると、笑ってください。スクリーンショットをして晒してください。
繰り返しになりますが、包帯の芸術しかない状況で、血を流す子供に、最後に与えるべきものは絶対に芸術です。そうに決まってる。だって当然でしょう。神さま。おれはもう知ってるし見えている。
手短ですみません、昨夜はこのような流れでありました。
みなさま、精神病のバカがwebにいる、どうぞたくさん笑ってください。または無視をしてください。人間に勝ち負けはありませんが、私には芸術という神さまがいます。つまり、私は何があってもひとりになりません。孤独なんてまったく怖くないです。
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narikoさまへ:
ご心配をおかけし、本当に申し訳ございません。
今、心が本当におかしいためうまく謝罪の意をお伝えすることができません、とすれば、これは甘えになりますが、本当にすみませんでした。
また、これも甘えになりますが、自分がなにを書いてしまったのかを詳しく思い出すことができません。
<失明>という単語のヒントを与えをくださったため、私がコメントしてしまったことはおそらく、「私は失明しても文章を書く、耳が聞こえなくても頭のなかで音楽を再生する、1時間後に失明してしまうとしても本を睨む」ということかと、なんとなくですが、うっすら覚えております。
本当に、すみませんでした。
この場、このタイミングで"イキる"ことは良くないとは思いますが、私は、センスがないと、駄文と、自己満足だと、いい加減にしろと言われても、文字を書きたいです。"ぶんがく"の"ぶ"もわかっていない状態ですが、なにかが頭におりてきたら、それを書かないと、書くしかしかもう私には残っていないという感覚になっておりまます。お金なんてどうでもいい。
narikoさま、本当にすみませんでした。深くお詫び申し上げます。