>>9 お返事を書いて下り、ありがとうございます。僕も門外漢のことはイメージしかわかりません。先日テレビで偶然に、僕の全くテリトリー外にある日向坂46の『ソレミソラシ』という楽曲の過去のスタジオ収録版を初めて見たのですが、あの方々のダンスの「ボクサーだって3分間こんな細かなステップを踏み続けないよ。センターのかたは体幹が全然ぶれてないし」というものに驚きました(アイドルさんといったらもっと可愛いらしいステップを踏むと思っていたのですが)。いつか菊地さんが韓国でしょうか、のダンサーたちの動画を紹介されていて、彼女たちの首周りの動きの速さに驚いた時と同じ感じで、どちらも知らないことであり、どちらも驚きました。 ゲームついて続いて書いてしまうという蛮行を犯してしまうのですが、僕は『ビッグバンセオリー』の名前は知っているけれど観たことがないのですが、ちょっと見た感じ(という程度の者の弁ですが)たしかに彼らはファンタジックなゲームをプレイしていますね。ファンタジックなゲームの元祖は、テーブルトークロールプレイング( Tabletalk role-playing game)というゲームでして、これはヴィデオゲームでは無くて、麻雀のように現場で対面して、実際に手に取れるサイコロを振るすごろくゲームの延長で、そこにロールプレイング要素を追加したもので、各プレイヤーがサイコロを振りながら悪の魔王や正義の勇者を演じます(場合によっては美しいヒロインをプレイヤーのおっさんとかが演じたり、筋骨隆々のおっさんを女性が演じます)。この流れのヴィデオゲームもあって、日本で有名なのは『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』です。 おおざっぱな歴史観なんですが、このテーブルトークロールプレイングの元祖が小説『指輪物語』です。 (この辺は超大雑把な捉え方です。東さんがこのへんの批評をやったらこのへんのオタクにガチに突っ込まれアジトに突撃されました(それも去年くらいの話です)。突撃した人が僕のゲーム遊び関連の先輩だったので「仲良くやってくださいよ……」と思ったものでした。でもオタクたちは菊地さんがサウンドトラックを製作された『機動戦士ガンダムサンダーボルト』のOSTは皆、喜んでいました(ジャイアントステップスのままじゃ絶対あんな素晴らしいものじゃなかったです。僕個人的には『色悪』がやばいです。僕はテナー吹いているんですが、さまざまな楽器奏者はこの曲を聴いて泣いて、やる気を出せばいいじゃん。と思ってます)。でもその前に、菊地さんは菅野よう子さんの楽曲(特に『カウボーイビバップ』というアニメはいまではオタク界隈でクラシック化されていて)でサックスを吹いていたことや、『トライガン』というアニメの作中に登場するサキソフォニストのサックス演奏を菊地さんがアテレコ?していたことを言うとみんな感心するのです。『トライガン』の原作である漫画の作者もツイッターで当時を振り返り、菊地さんに音を当ててもらったことに喜んでいらっしゃいました。) 小説 『指輪物語』(『ロード・オブ・ザ・リング』)の作者はトールキンと言う人で、この人はイギリス人であり、オックスフォードが出してる辞典の編纂に関わって、言語学の教授を務めた人です。この人が独自の人工言語を作って、それを使う世界を作り出そうと小説を書いて『ホビットの冒険』や『指輪物語』を産み出しました(このへんは映画版のパンフレットにも書かれていてご存じかもしれません)。そんな人の作品なので、人種(人間とか、耳の長いエルフ(リヴ・タイラー)とか、ホビット(イライジャ・ウッド)のことです)や国の歴史や、その地形や気候や、生息している植物さえもオリジナルに、そして統合性がしっかり合うように作られているんです。 そしてそういうものを原型としているゲームがファンタジックなゲームなので、それを遊ぶのには、そういった世界を理解できていじれる知性(と書いておきます)が必要というかなんというか……そういうものが高い人。そういう人が多いです。なにせ元祖が英語の言語学の教授ですから、インテリの遊びといいましょうか。対して『COD』は現実の歴史の戦争という地続きであって、それに対するファンタジーの別世界といいましょうか。日本でもここに違いというか分断があって、大学の歴史あるサークルで遊ぶゲームと、ゲームセンターの文化と言いますか(CODは後者です。海外にゲームセンターはないですけれど)。ここに『ビッグバンセオリー』の登場人物が遊んでいるゲームがファンタジックなものであることの理由があります。極論インテリは『COD』は遊ばない、不良はTRPG関連/発生を遊ばない言いましょうか。インテリ文化と不良文化と言いましょうか。音楽のジャズとクラシックと似た感じであり、どっちも聞く人はいて、それぞれに理論もある話でもあるのですが、液状化しつつもそれでも分断はいまでもある。と感じます。ゲームにおいては、現状はジャズ研もあまりない感じと言いましょうか……。 とゲーム続きに書いてしまったのですが、これらは戦地から宇宙(ファンタジー)への移行という、菊地さんがいつかお書きになったある時代のブラックスキンのかたがたの音楽の移行や、大谷さんとの共著の『アフロ・ディズニー』の内容ともとても近似値を取ると思っていまして、いろいろな文化/娯楽にそういうものがあるのだなぁ、とご著書から参考にして語れるようになったことでもあります。それにこういうこと(分析/批評)を書いていると元気になってきます。菊地さん、ありがとうございます。 はい、日本人が銃器を持ったらやばいです。サブマシンガンとか持ったら、犯罪、軍事ともやばいです。心情はもちろん、やろうと思えば精度も技術もそうとうでしょうから。
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(ID:2034656)
>>9
お返事を書いて下り、ありがとうございます。僕も門外漢のことはイメージしかわかりません。先日テレビで偶然に、僕の全くテリトリー外にある日向坂46の『ソレミソラシ』という楽曲の過去のスタジオ収録版を初めて見たのですが、あの方々のダンスの「ボクサーだって3分間こんな細かなステップを踏み続けないよ。センターのかたは体幹が全然ぶれてないし」というものに驚きました(アイドルさんといったらもっと可愛いらしいステップを踏むと思っていたのですが)。いつか菊地さんが韓国でしょうか、のダンサーたちの動画を紹介されていて、彼女たちの首周りの動きの速さに驚いた時と同じ感じで、どちらも知らないことであり、どちらも驚きました。
ゲームついて続いて書いてしまうという蛮行を犯してしまうのですが、僕は『ビッグバンセオリー』の名前は知っているけれど観たことがないのですが、ちょっと見た感じ(という程度の者の弁ですが)たしかに彼らはファンタジックなゲームをプレイしていますね。ファンタジックなゲームの元祖は、テーブルトークロールプレイング( Tabletalk role-playing game)というゲームでして、これはヴィデオゲームでは無くて、麻雀のように現場で対面して、実際に手に取れるサイコロを振るすごろくゲームの延長で、そこにロールプレイング要素を追加したもので、各プレイヤーがサイコロを振りながら悪の魔王や正義の勇者を演じます(場合によっては美しいヒロインをプレイヤーのおっさんとかが演じたり、筋骨隆々のおっさんを女性が演じます)。この流れのヴィデオゲームもあって、日本で有名なのは『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』です。
おおざっぱな歴史観なんですが、このテーブルトークロールプレイングの元祖が小説『指輪物語』です。
(この辺は超大雑把な捉え方です。東さんがこのへんの批評をやったらこのへんのオタクにガチに突っ込まれアジトに突撃されました(それも去年くらいの話です)。突撃した人が僕のゲーム遊び関連の先輩だったので「仲良くやってくださいよ……」と思ったものでした。でもオタクたちは菊地さんがサウンドトラックを製作された『機動戦士ガンダムサンダーボルト』のOSTは皆、喜んでいました(ジャイアントステップスのままじゃ絶対あんな素晴らしいものじゃなかったです。僕個人的には『色悪』がやばいです。僕はテナー吹いているんですが、さまざまな楽器奏者はこの曲を聴いて泣いて、やる気を出せばいいじゃん。と思ってます)。でもその前に、菊地さんは菅野よう子さんの楽曲(特に『カウボーイビバップ』というアニメはいまではオタク界隈でクラシック化されていて)でサックスを吹いていたことや、『トライガン』というアニメの作中に登場するサキソフォニストのサックス演奏を菊地さんがアテレコ?していたことを言うとみんな感心するのです。『トライガン』の原作である漫画の作者もツイッターで当時を振り返り、菊地さんに音を当ててもらったことに喜んでいらっしゃいました。)
小説 『指輪物語』(『ロード・オブ・ザ・リング』)の作者はトールキンと言う人で、この人はイギリス人であり、オックスフォードが出してる辞典の編纂に関わって、言語学の教授を務めた人です。この人が独自の人工言語を作って、それを使う世界を作り出そうと小説を書いて『ホビットの冒険』や『指輪物語』を産み出しました(このへんは映画版のパンフレットにも書かれていてご存じかもしれません)。そんな人の作品なので、人種(人間とか、耳の長いエルフ(リヴ・タイラー)とか、ホビット(イライジャ・ウッド)のことです)や国の歴史や、その地形や気候や、生息している植物さえもオリジナルに、そして統合性がしっかり合うように作られているんです。
そしてそういうものを原型としているゲームがファンタジックなゲームなので、それを遊ぶのには、そういった世界を理解できていじれる知性(と書いておきます)が必要というかなんというか……そういうものが高い人。そういう人が多いです。なにせ元祖が英語の言語学の教授ですから、インテリの遊びといいましょうか。対して『COD』は現実の歴史の戦争という地続きであって、それに対するファンタジーの別世界といいましょうか。日本でもここに違いというか分断があって、大学の歴史あるサークルで遊ぶゲームと、ゲームセンターの文化と言いますか(CODは後者です。海外にゲームセンターはないですけれど)。ここに『ビッグバンセオリー』の登場人物が遊んでいるゲームがファンタジックなものであることの理由があります。極論インテリは『COD』は遊ばない、不良はTRPG関連/発生を遊ばない言いましょうか。インテリ文化と不良文化と言いましょうか。音楽のジャズとクラシックと似た感じであり、どっちも聞く人はいて、それぞれに理論もある話でもあるのですが、液状化しつつもそれでも分断はいまでもある。と感じます。ゲームにおいては、現状はジャズ研もあまりない感じと言いましょうか……。
とゲーム続きに書いてしまったのですが、これらは戦地から宇宙(ファンタジー)への移行という、菊地さんがいつかお書きになったある時代のブラックスキンのかたがたの音楽の移行や、大谷さんとの共著の『アフロ・ディズニー』の内容ともとても近似値を取ると思っていまして、いろいろな文化/娯楽にそういうものがあるのだなぁ、とご著書から参考にして語れるようになったことでもあります。それにこういうこと(分析/批評)を書いていると元気になってきます。菊地さん、ありがとうございます。
はい、日本人が銃器を持ったらやばいです。サブマシンガンとか持ったら、犯罪、軍事ともやばいです。心情はもちろん、やろうと思えば精度も技術もそうとうでしょうから。