>>27 僕は、共演者、メンバーがライブ後の打ち上げでTwitterを見て、どんどん暗くなったりするのが大嫌いで、酔ってる時とか、「せっかく楽しく飲んでるのに、お前、何やってんだ?(笑)」とか言いながら、そいつのスマホに醤油とかソースとかをジャブジャブかけたりしています。 自分の演奏が、自分で納得できなかった。それだったらよくあることで、チャーリーパーカーが、ものすごい演奏をした日に、ガンさーシュラーが感動して楽屋に行ったら、頭を抱えていて「今日は自分の真似をしているうちに一晩終わってしまった。なんてこった、、、、」と、ムッチャクチャ暗くなっていた。と言う話は素晴らしいと思いますが、自覚ではなく、あんなもん見て落ち込んでたら、怨念持ちを上からくることで晴らそうとする、哀れ極まりない人々の思うツボです。「仕舞え、帰るまでその変な板切れ出すな(笑)な?(笑)」と言いながら、取り上げて火鍋の中に落としたこともあります(笑)。 Twitterにこんなこと書かれた。と、憤ってる者も多いので、「言い返せよ。どうせ無責任なバカで、アーティストが言い返してこないとタカくくってんだろ」「そんなの大人げないじゃないですか」「馬鹿の書き込みに腹立てバイブス悪くしてる方が1兆倍大人げないよ(笑)。二度と言われないように潰せ。相手を。これはなあ、イジメの問題なんだ。一回、囲まれたら、誰彼関わらず耳たぶでも鼻でも噛み切って、こいつヤベエと思わせれば少なくともそいつは二度と来ない。相手の背が高くて顔面をかじれなかったら、キンタマを思いっきり掴んで、引きちぎれ。引きちぎれるぞ。俺の握力でできたんだからお前もできる」「でも学級じゃなくて、相手は何万なんですよ。ずーっとやるんですか」「そうだ(笑)」「出来ませんよそんなの」「じゃあ、やめればいいじゃん。見なくても死なないぞ。オレ見てないよ。どうだ?見てないとオレ駄目か?」「全然駄目じゃないです」「だったら止めろ。オレ、SNSなんかで苛立ってるやつと演奏したくないから」「やめられないですよ」「なんで?」 ここで必ず彼らは 「だって、宣伝媒体だもん。菊地さんはいくらでもあるじゃないですか、こっちはコレしかないんですよ」 と言います。 ご贔屓筋ならご存知だと思います。僕は一度だけ試験的にTwitterをしました。そして、それの目的は「DCPRGリユニオンの野音単独ギグの宣伝」だったんです。2010年の8月から10月までの限定でした。 「菊地さんがツイッターで煽れば瞬殺ですよ」と、スタッフは言いました。 始めてみると、シャブみたいで、こんな面白れえモンねえな。と言う感じでした(僕にとって)。僕は、ライブの告知に「○月○日 新宿ピットインでライブがあります。ヤバい演奏するんで来てください」などとホームページに書いてそれで良しとしているのは、少なくとも自分の仕事ではないなと思い、宣伝に添える、ちょっとした読み物を書いて、宣伝をリッチにして、勝手に悦に入っていたら、それが「スペインの宇宙食」として出版され、物書きになった者です。「粋な夜電波」のテキストリーディングやコントも、スポンサーさんに頼まれてもいないし、一銭ももらってないのに「勝手にCM」と言って、スポンサーさんの商品をテーマにしたコントやテキストを書いたら、それが人気企画になった人間です。 もしTwitterに、本当に宣伝効果があったら(実績が出たら)、僕は今頃、Twitterの有用性と、自分の資質(宣伝をネタに散文を書く)と掛け合わせ、Twitterが手放せなくなっていたと思います。 ところが、チケットは、僕がTwitterを始める前に、ほぼほぼアウトしてしまい(笑)、僕のTwitterが終わってから、計算したら100ぐらいしか伸びませんでした(笑)。フォロワー数は覚えていませんが、95%のフォロワー、並びにリツイートの拡散先の人々の95%は「面白れえなこいつのtwitter(笑)。あ、ライブがあんのか。へー」と言う感じだったと思います(笑)。 あれ以来、僕はTwitterの宣伝効果というものを、少なくとも、僕に関しては、信用度0%です(笑)。もう一度言いますが、2010年の話です。 僕はブログを毎日書いていた頃の方が、ブランディングや写真効果による誘導力によって、ライブや出版の宣伝効果が少将はあったと思っています(時っすを確認したわけではありません。あくまで気分)。ツイッターの宣伝効果を信用している人は、Twitterをやらないと○○枚だった売れ行きが、ツイッターで拡散すると○○○○枚になった。という比較データを得てから「宣伝媒体」などと、たわけたことを言えば良いと思い続けてきました。 ちなみに、ツイッターに限定した話ですこれは。他のSNSで、どれほどの効果があるか知りません。僕も、ツベは使いますし、最終スパンクスにはインスタもTwitterもやらせていますが、インスタグラムのが効果があるような気がしています(実数確認なし)。僕がインスタグラムでチェックしてるのは叶姉妹だけですが、彼女たちの宣伝に乗った気はしていません。 僕が人々がTwitterにハマるのは、「嫌な目にあうから」の一点しかないと信じています。これはフロイドではなくアドラーですが、人は、嫌な目に合わないと、生きている心地がしません。耳に優しい甘言だけだと、人は生きている心地がしないそうです。すごい説得力、さすが分析を密室からカフェに移動させた学者。 何れにせよ、他者の評価が自分を生かしている、という、自己喪失には違いありません。僕は、自分が良いなと思ったら自信を持つし、自信を持ったことしかやりません。なので、たわけたディスがあったら「あいつらと同じレベルに立ちたくない」などという詭弁を弄さずに、どうせ名無しのバカなんだから、やつらがイジメられた経験を思い出して嫌気がさすぐらいやっちゃいますし、ストレス解消にもってこいです。そして、高評には粛々と首を垂れればそれで良いと思っています(せっかく褒められたのに、「褒められどころが全然違うんだよなー」とか、甘えもここに極まれり、といった発言をするクソもいますし)。 日本のTwitterカルチャーは陰湿と用地の一言に尽きます。グジグジ傷つけあいたくてやってしまい、結果ヘトヘトのイライラになってるだけでしょう。宣伝なんて、絶対に詭弁ですよ。頭を使えば、他に宣伝の方法はいっぱいあります。東さんは尊敬する学者の一人です。非常に正しいと思います(東さんをして「宣伝用に使わなければならなかった」と思わせしめたTwitterの実力も凄いですけどね)。悪いことは言わないです。全員で一斉にやめちゃえばいいんですよ(絶対ないけど・笑)。
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>>27
僕は、共演者、メンバーがライブ後の打ち上げでTwitterを見て、どんどん暗くなったりするのが大嫌いで、酔ってる時とか、「せっかく楽しく飲んでるのに、お前、何やってんだ?(笑)」とか言いながら、そいつのスマホに醤油とかソースとかをジャブジャブかけたりしています。
自分の演奏が、自分で納得できなかった。それだったらよくあることで、チャーリーパーカーが、ものすごい演奏をした日に、ガンさーシュラーが感動して楽屋に行ったら、頭を抱えていて「今日は自分の真似をしているうちに一晩終わってしまった。なんてこった、、、、」と、ムッチャクチャ暗くなっていた。と言う話は素晴らしいと思いますが、自覚ではなく、あんなもん見て落ち込んでたら、怨念持ちを上からくることで晴らそうとする、哀れ極まりない人々の思うツボです。「仕舞え、帰るまでその変な板切れ出すな(笑)な?(笑)」と言いながら、取り上げて火鍋の中に落としたこともあります(笑)。
Twitterにこんなこと書かれた。と、憤ってる者も多いので、「言い返せよ。どうせ無責任なバカで、アーティストが言い返してこないとタカくくってんだろ」「そんなの大人げないじゃないですか」「馬鹿の書き込みに腹立てバイブス悪くしてる方が1兆倍大人げないよ(笑)。二度と言われないように潰せ。相手を。これはなあ、イジメの問題なんだ。一回、囲まれたら、誰彼関わらず耳たぶでも鼻でも噛み切って、こいつヤベエと思わせれば少なくともそいつは二度と来ない。相手の背が高くて顔面をかじれなかったら、キンタマを思いっきり掴んで、引きちぎれ。引きちぎれるぞ。俺の握力でできたんだからお前もできる」「でも学級じゃなくて、相手は何万なんですよ。ずーっとやるんですか」「そうだ(笑)」「出来ませんよそんなの」「じゃあ、やめればいいじゃん。見なくても死なないぞ。オレ見てないよ。どうだ?見てないとオレ駄目か?」「全然駄目じゃないです」「だったら止めろ。オレ、SNSなんかで苛立ってるやつと演奏したくないから」「やめられないですよ」「なんで?」
ここで必ず彼らは
「だって、宣伝媒体だもん。菊地さんはいくらでもあるじゃないですか、こっちはコレしかないんですよ」
と言います。
ご贔屓筋ならご存知だと思います。僕は一度だけ試験的にTwitterをしました。そして、それの目的は「DCPRGリユニオンの野音単独ギグの宣伝」だったんです。2010年の8月から10月までの限定でした。
「菊地さんがツイッターで煽れば瞬殺ですよ」と、スタッフは言いました。
始めてみると、シャブみたいで、こんな面白れえモンねえな。と言う感じでした(僕にとって)。僕は、ライブの告知に「○月○日 新宿ピットインでライブがあります。ヤバい演奏するんで来てください」などとホームページに書いてそれで良しとしているのは、少なくとも自分の仕事ではないなと思い、宣伝に添える、ちょっとした読み物を書いて、宣伝をリッチにして、勝手に悦に入っていたら、それが「スペインの宇宙食」として出版され、物書きになった者です。「粋な夜電波」のテキストリーディングやコントも、スポンサーさんに頼まれてもいないし、一銭ももらってないのに「勝手にCM」と言って、スポンサーさんの商品をテーマにしたコントやテキストを書いたら、それが人気企画になった人間です。
もしTwitterに、本当に宣伝効果があったら(実績が出たら)、僕は今頃、Twitterの有用性と、自分の資質(宣伝をネタに散文を書く)と掛け合わせ、Twitterが手放せなくなっていたと思います。
ところが、チケットは、僕がTwitterを始める前に、ほぼほぼアウトしてしまい(笑)、僕のTwitterが終わってから、計算したら100ぐらいしか伸びませんでした(笑)。フォロワー数は覚えていませんが、95%のフォロワー、並びにリツイートの拡散先の人々の95%は「面白れえなこいつのtwitter(笑)。あ、ライブがあんのか。へー」と言う感じだったと思います(笑)。
あれ以来、僕はTwitterの宣伝効果というものを、少なくとも、僕に関しては、信用度0%です(笑)。もう一度言いますが、2010年の話です。
僕はブログを毎日書いていた頃の方が、ブランディングや写真効果による誘導力によって、ライブや出版の宣伝効果が少将はあったと思っています(時っすを確認したわけではありません。あくまで気分)。ツイッターの宣伝効果を信用している人は、Twitterをやらないと○○枚だった売れ行きが、ツイッターで拡散すると○○○○枚になった。という比較データを得てから「宣伝媒体」などと、たわけたことを言えば良いと思い続けてきました。
ちなみに、ツイッターに限定した話ですこれは。他のSNSで、どれほどの効果があるか知りません。僕も、ツベは使いますし、最終スパンクスにはインスタもTwitterもやらせていますが、インスタグラムのが効果があるような気がしています(実数確認なし)。僕がインスタグラムでチェックしてるのは叶姉妹だけですが、彼女たちの宣伝に乗った気はしていません。
僕が人々がTwitterにハマるのは、「嫌な目にあうから」の一点しかないと信じています。これはフロイドではなくアドラーですが、人は、嫌な目に合わないと、生きている心地がしません。耳に優しい甘言だけだと、人は生きている心地がしないそうです。すごい説得力、さすが分析を密室からカフェに移動させた学者。
何れにせよ、他者の評価が自分を生かしている、という、自己喪失には違いありません。僕は、自分が良いなと思ったら自信を持つし、自信を持ったことしかやりません。なので、たわけたディスがあったら「あいつらと同じレベルに立ちたくない」などという詭弁を弄さずに、どうせ名無しのバカなんだから、やつらがイジメられた経験を思い出して嫌気がさすぐらいやっちゃいますし、ストレス解消にもってこいです。そして、高評には粛々と首を垂れればそれで良いと思っています(せっかく褒められたのに、「褒められどころが全然違うんだよなー」とか、甘えもここに極まれり、といった発言をするクソもいますし)。
日本のTwitterカルチャーは陰湿と用地の一言に尽きます。グジグジ傷つけあいたくてやってしまい、結果ヘトヘトのイライラになってるだけでしょう。宣伝なんて、絶対に詭弁ですよ。頭を使えば、他に宣伝の方法はいっぱいあります。東さんは尊敬する学者の一人です。非常に正しいと思います(東さんをして「宣伝用に使わなければならなかった」と思わせしめたTwitterの実力も凄いですけどね)。悪いことは言わないです。全員で一斉にやめちゃえばいいんですよ(絶対ないけど・笑)。