ゲスト のコメント

朝寝ぼけ眼で読みながら、相貌の近似って良いことなのか、悪いことなのか、ただ似てくる。と言うとこだけなのか。全く機能しない頭でぼんやり、以下の文章が浮かんできました。変な事を書いていたら申し訳ありません。

引用させて頂きました。
斎藤環さんが、象徴界の作用は、人間生活の及んでいる。その作用は意識されることもあるけど、無意識の部分がずっと多い。ラカンの有名な言葉に「無意識は言語として(のように)構造化されている」とか「無意識はシニフィアンの宝庫である」っていうものがあるけれど、それはだいたい、このへんのことを意味していると考えてくれていい。
フロイトーラカンの素晴らしさは、まさにこの点にある。純粋なイメージなんてものは存在しなくって、イメージは常にシニフィアンから二次的に作り上げられるものだと考えている。これは、かなり、画期的な発想なんだ。それというのも、誰だってイメージのほうが言葉よりもずっと豊かだ、と考えがちなんだから。

片山洋次郎先生の「仇敵は似る。何が?内面でなければ、外面が」という、フロイドーラカンの結論と野口晴哉の結論がクロスするポイントから演繹して「オウム真理教バスターズの人々は、オウム真理教の信者に相貌がそっくりである」両者はある必然によってあらかじめ似ている近親憎悪がオーヴァードライヴする、初動から似ている、戦えば戦うほど似てくる、そして互いに全く、相貌の近似を意識してない。

追記:モーションブルー素晴らしかったです。菊地さんのネイルが気になって仕方なかったですけど(笑)

No.3 64ヶ月前

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