虎山 のコメント

>>19
 お忙しいなか、私のコメントを読むだけでなく、お返事も下さりありがとうございます。読み返しては思索を進めていました。

 ウェブの民による過去ログというものへの興奮/万能感は最近になってやっと収まって来たようです。私がパーソナルコンピュータに初めて触れたときのOSがwindows98でしたので、最初期とは言えなくても黎明期のウェブを興奮を伴って体感していた(エロガキにとっての良いオモチャだったわけですが・笑)とは言うことができ、ですので過去ログへの万能感/期待感(そしてそれがもたらす攻撃性も)は分かりそれ故にいつしか違和感を覚える……というよりもなにか気に食わなさを感じるようになっていきました(例えば、筒井さんの作品(その影響力の凄まじさは、膨大な著書の一端とは言え実際に拝読した際は勿論、私が好きな音楽家/文芸化/小説家などが必ずと言っていい程に筒井さんのお名前を上げるので実感しております。カズレーザーさんのお話は初めて知りました・笑。菊地さんが共演された番組も拝聴しましたし、あのかたが大変な読書家であられるらしいことは知ってはいたのですが)に関するあれこれすら過去ログにないわけで、それなのにもかかわらず知恵者の如く振舞う人を散見するからです)。そして現代、電子書籍販売サイトの倒産による架空の本棚と本の消滅や、大手ポータルサイトのウェブスペース提供の中止による大量の情報の消失などによりやっと、菊地さんが仰る過去ログの限界性と半無限性、の特に経済的(商業的)限界性に気付き始め、過去ログの限界性を嘆き始めたと観測しています。ソースを出せ、という言葉も過去のものになりました(エビデンスという言葉に取って代わっただけにも思えますが)。しかしそれも「過去ログは本来は完璧なのだ」という前提があっての嘆きに思えます。

 そんな中で私は、菊地さんがお書きになった、確かぺぺのライブに合わせるワインを菊地さんがセレクトされてその趣旨を説明された文章だったと記憶していますが、ぺぺの音楽に対してフランス産のワインを多く選択したことについて、その文中にあった「アーティストの役割は前衛(現代)と古典を繋ぐこと」という言葉に大きな影響を受けました。過去ログとは結局は、選別された現代だけのことで、それだけを読んでいてはこれが出来ないことに気がついた、と言いますか(その頃はこのような言語化は出来ていませんでしたが)。象牙の塔に籠もらなければ日常的に古代の文献だけを読むことは難しく、人の知識量(時間)も有限であり、私などは無教養/無知識の者ですが、しかしこの「現代と古典を繋ぐ」という態度と実践こそが教養の1つなのだと強く思っています。それにそっちのほうが楽しく、幾分か自由であまりイライラしないです(笑)。

 シャンプー中の目を閉じた際の恐怖感は、暗い部屋のなかや、暗い森のなかの恐怖感とは全く違いますね。振り返る行為の不可能がそれを生むというお話にも膝を打ちました。ちなみに私はかれこれ10年以上湯シャンをしています(正確には数日に1度はシャンプー剤も使うのですが)。周りがスカルプだAGAだと言い出す歳になりましたが、今のところはそういったものも必要ないので、頭皮や毛穴の健康には湯シャンは有益だと実感しています。しかしどちらも私は目を瞑ってしてしまうので、目を開けたままで出来るのは羨ましいです。

No.20 65ヶ月前

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