商行為とは本質的に横流しであり、その最たるものが商社の存在だ。ではなんで商社がありがたいかというと、独自の経路を持っているとか、運送業とリンクして遠くのものを手近まで持ってきてくれるとか、大量に調達してくれるので一品一品の費用が安くなっているとかのおかげである。物理的な媒介をしてくれているのだと思えば、私たちも手数料を払いやすいというものだ。
 そのはずだが、洗練された利便性は私たちを盲目にしてしまう。たとえばコンビニにはいつも充実した品揃えがあると思いがちだが、これも洗練された横流しのおかげである。僕は実家に帰省するときは新幹線を使うが、その費用は往復三万円だ。電車なら往復18時間、徒歩なら1週間はかかろうか。このショートカットをお金で果たしているわけだが、慣れてしまうと費用の絶対額が、日々の家計の中でのみで考量されてしまうので、「高ぇ」と思ってしまう。