第14回 「スゴくない」ことのスゴさ

■ストーリーも弱いし、キャラクターも弱い

何らかの事情で2014年9月に終了してしまうようですが、フジテレビの「テラスハウス」は、ブロマガ・メルマガ筆者にとって参考になる要素がたくさん詰まった番組だったと思います。この番組は、コンテンツ配信において「登場人物のキャラクター性」と「ストーリー性」は、読者に対してどのような作用を及ぼすのかをあらためて教えてくれました。

「テラスハウス」では、人が死ぬようなことはありません。建物が爆破されることもありません。登場人物が、世間を驚かせるような大嘘をつくことも、某ドラマの主人公のように魂が震える刺激的なセリフを吐くことも、某県議のように号泣することもありません。誰かが誰かに好意を持ったり、誰かが誰かに嫉妬したり、誰かが誰かに悩みを打ち明けたりといったことを、あくまで「日常的な、常識的な」表現を通して視聴者に届けています。

はっきり言って、ストーリー性は「弱い」と言ってよいと思います。

では、キャラクター性はどうなのか。テラスハウスの番組紹介によく使われる言葉に「どこにでもいそうな6人が届ける……」といったものがあります。最初期こそ、AKB48のメンバーが出演していたようですが、この番組では基本的にいわゆる「スター」が芸能人オーラ全開にして、問答無用で画面を魅力的にするといったことをしません。むしろ「どこにでもいそうな(教室や職場にいてもおかしくないような)」登場人物たちが、あれこれと活動します。「キャラクター性」が強いのか弱いのかで言えば、「弱い」と言っていいでしょう。

ストーリーも弱いし、キャラクターも弱い。しかし、それはコンテンツとして「魅力的でない」ことを意味しません。視聴率を見ても、放送時間中のツイッターを眺めていても、かなり多くの視聴者の心を掴んでいたことには間違いありません。

これは一体どのようなカラクリになっているのでしょうか。

■「共感」を呼ぶコンテンツの肝

ブロマガやメルマガの配信者さんの中には、奇想天外なアイデアを次々と執筆したり、ゲームや楽器演奏の「スーパープレー動画」を流すことのできる人もいます。配信者さん自身がかわいかったり、イケメンだったりして、キャラクターとして非常に魅力的である場合もあるでしょう。では、そうした「みんなが感心するようなアイデア」が思い浮かばない、「みんなが驚くような特技」がない、ビジュアル的にも内面的にも特段の魅力があるわけではない、という人は、購読者が獲得できないのか。そんなことはありません。

「誰も考えつかないようなアイデア」や「みんなが驚くような特技」、それから「多くの人が魅了されるようなキャラクター」は、確かに優秀なコンテンツの材料です。しかし、それはあくまで「材料」でしかありません。うまく料理できなければそれまでです。もっと言えば、スゴいアイデアや目を見張るような技術、人を惹きつけるキャラクター性のような「派手な要素」は、すべてある種のコンテンツからすると「邪魔」になってしまう場合があるのです。

その「ある種のコンテンツ」とは、どのようなコンテンツなのか。

そうです。まさに「テラスハウス」が一つの高度なノウハウの結果となった「読者・視聴者の「共感を呼ぶ」コンテンツです。

読者・視聴者が「分かるなあ」と感じたり、読者・視聴者が昨日や今日体験したり、明日体験しそうなことを、コンテンツとして提供する。そして、日常(あるいはその延長線上にある非日常)を楽しんでもらう。

こうした「共感を呼ぶコンテンツ」の肝は、登場人物やストーリー、それから演出に、徹底的なリアリズムがあるということです。周囲にいそう(できれば今日会った)な人物たちが、「自分もやったことがあるような」イベントを、自分たちとあまり変わらない形で体験する。それについて、「分かるなあ!」と自分ごととして共感したり、「いやいや、そこはこうでしょ」と自分ごとツッコんだりする。コンテンツ制作者として注意すべきことは、読者や視聴者が「自分はこのコンテンツについてコメントする資格がある」と何の疑いもなく思うことです。

その観点から考えると、「スゴいアイデア」も「スーパープレー」も「魅力的すぎるキャラクター」も「大げさな演出」もすべて「邪魔」になる可能性があるのです。

■読者との「距離」をチェック

では、「共感を呼ぶコンテンツ」に購読者を惹きつける可能性があるとして、実際問題、どのようにブロマガ・メルマガ制作につなげていくにはどうしたらいいのか。

まずは、ご自身のブロマガの登場人物(多くの場合はご自身でしょう。けれども、ゲストが毎回出てくるブロマガであれば、そのゲストのことを登場人物とします)が、属性や趣味嗜好、常識、価値観といったものが、ご自身のブロマガの読者(そもそも、まだ購読者がほとんどいないという場合は、今後の想定読者でも結構です)と「近い」のか「遠い」のかをチェックしてみてください。

ご自身のアイデアや能力を他の著者と比べて「自分はコンテンツ配信者として優秀かどうか」を考えるのでもなく、ご自身のアイデアや能力を読者・視聴者と比べて「自分が有料のコンテンツ配信をする人間としてふさわしいか」を考えるのでもなく、ただただ、自分と読者・視聴者が「近いか遠いか」を調べてみる。

そして、もし「遠い」と判断するのであれば、これは腹を決めて「濃い味のコンテンツ」を目指すのが良いと思います。もし、ゲームの実況中継をするのであれば、「誰もが真似できないスーパープレー」をするか、「誰もが真似できないおちゃらけプレー」をする。もし、批評テキストを書くのであれば、「誰もが考えつかないアイデア」を書くか、「誰も真似できないスタイル」で書く。

つまり、どのジャンルであっても、そのジャンルの中で、できるだけ魅力的なキャラクターを立てて、できるだけ派手な舞台演出をする。そうして「スゴい/なるほど!」を思わせる努力をしたほうが、購読者は増えていくと思います。

読者・視聴者というのは、制作者の思い通りに動いてくれるものでもありません。もし、自分の思い通りでなくても、一定数以上の読者がいて、その人たちは、登場人物である自分とは「距離」があるのだけれども、自分のことを「スゴい!」と思ってくれているのであれば、それはそれでありがたい話として受け入れるべきだと思います。

一方、もし、ブロマガの登場人物と(自分自身と)、読者があらゆる意味で「近い」と判断できたら、「ラッキーなことに選択肢を与えられた」と考えるとよいと思います。つまり、「スゴい/なるほど!」で満足してもらうか、「わかる!」で満足してもらうかのどちらかの道を選べるということです。

ブロマガ・メルマガの多くが個人で運営していることと思います。資金的にも労力的にも、テレビや雑誌などの組織メディアとガチンコで競争するのは、厳しい場合が多いでしょう。しかし、「読者との距離」で勝負するのであれば、コストがほとんどかからない可能性があります。

文章を書くのであれば、自分の日々感じていることをできるだけ「ありのまま」の形で発表する。ゲームをするのであれば、自分の力量をそのまま見せて(もちろん普通にうまくなる努力をしたりするのも含めて自然にする)、プレーしながら感じたことをそのまま発言する。商品を批評するのであれば、自分が使ってみた印象をただただ正直に発表する。けっして「うまいことを言おう」などと考えてはいけません。たとえ「こういうバカいるよな」と思われても、いいのです。読者・視聴者が「こういうバカいるよな、俺好きだけど」と思われれば、それは有料購読者になる可能性があります(「こういうバカいるよな、俺は嫌いだけど」と思われて、向こうから距離を置かれる場合ももちろんあります)。

そして、この方式の素晴らしいのは、徹底的にコストがかからないことです。コストがかかっていないので、次々と手を打つことができます。もし、お菓子の批評をしてウケなければ、ファストフードの批評をしてみればいいと思います。もし、スポーツ実況をしてウケなければ、テレビ番組実況をしてみればいいと思います(実況系は権利の関係でやれることが限られていますが)。

もちろん、自分と読者と年齢や属性が「近かった」としても、「でも、自分は読者に濃い味の刺激を与えることで満足してもらいたい」という道を進むのもいいと思います。実際、ゲームの実況中継が出てくるまで、ブロマガ・メルマガで「成功」していたのは、さまざまなジャンルの専門家たちによる「へえ!」とお客さんを唸らせるコンテンツでした。そして、こうした「読者の喜ばせ方」が今も廃れたわけではありません。メルマガ界を見渡すと、今もまだ「基本的戦略」としてしっかりと生き残っています。

ただ、そうした志向を持っていたといても、ほんの少し「分かる!」で満足してもらうとすればこんな感じになるのかなと検討してみると、ご自身の「強み」を確認することになると思います。

「スゴくない」ことの「スゴさ」。ぜひ、ご自身のメルマガに利用できないか考えてみてください。

ご参考になれば幸いです。