週刊アスキー本誌では、角川アスキー総合研究所・遠藤諭による『神は雲の中にあられる』が好評連載中です。この連載の中で、とくに週アスPLUSの読者の皆様にご覧いただきたい記事を不定期に転載いたします。
世の中には、はじめから答えが出ていて、世界中どこへいっても変わらないものというものがある。そうしたものの中で、私が1番好きなものが本の“小口”のスロープの角度が32.5度というやつだ。本の紙が露出している上の部分が“天”、下が“地”と呼ばれていていて、「すわっ1冊の本にも天国と地獄があってその間が人間の書いた本なんだね」なんて言いたくなるが、手前の部分は“小口”というさりげない名前になっている。それをひらいて置くと小口の紙の端の部分が少しずつズレてスロープになる。そのとき、小口が机の面との間でつくる角度が32.5度になっている。きちっと閉じていた小口から流るようなスロープが現われるところって、女性の長い髪がきれいに幾何学的なカーブをつくるような美しさもあって、電子書籍端末には絶対に真似できないことだ。それに、この角度というのが何百年前の羊皮紙に書かれた大きな聖書から授業中に欄外に落書きを書いていた教科書、ラーメン店のカウンターでひらく少年ジャンプ、パスポートみたいな薄っぺらなものまですべて同じ。見覚えあるでしょう、この角度。
実際には、製本方式による違いもあるし、本を開いたときも表紙を完全に机の面にペタリとはつけないので厳密には結構ズレていたりするわけなのだが。ここでは、原理として同じ角度になるべくできているという点に着目していただきたい。興味深いのは“丸背”と呼ばれる上製本では、そもそも小口が丸く凹んだカーブになっているのだが、これを開いておくと背は直線に近くなり、32.5度がきちんと出る仕組みになっている(本の文化って素晴らしい)。この値は、ちょっとした計算結果から出るのだがtan-1(2/π)としてはじき出されるtan-1(2/π)なので小数点以下9桁だと32.481636591度。
それで思い出したのは、もう30年近く前に自分が書いたプログラムを参考にしてGitHubにあげていた人がいたことだ。それは、『近代プログラマの夕(ゆうべ)』(ホーテンス・S・エンドウ著=私のペンネームですね)に載せた『素数を求める世界最速プログラム』というやつである。これが本の角度ではないのだが、決まったものを求めるだけのプログラムなら、はじめから答えを出しておけばいいでしょうという発想のものだったのだ。
↑該当のGitHub。といっても、自分でチマチマと答えを書き写していたのではズルだし、プログラムを書いたことにならない。そこで、懐に草履を入れて温めておいたら信長がよろこんだというような、秀吉的なおもてなしの段取りプログラミングである(機械に対してのおもてなしですけど)。MASMというPC用のアセンブラで書いたのだが、アセンブラマクロを展開するときに“エラトステネスのふるい”という古典的なアルゴリズムで解いてしまう。という仕掛けで、実行してやると当時のすべてのスーパーコンピューターよりもすばやく素数を求めてしまう。私は、こういうマクロのもうひとりの誰かが手伝ってくれているような感覚が好きで、“AMSCLS.INC”というフリーソフトウェアのマクロセットも公開していた。
'90年代に世界的なアーカイバとして知られた吉崎泰栄さんによるLHA(“.lzh”という拡張子で圧縮される)はCと主にアセンブリ言語で書かれていたのだが、アセンブラ部分のコードは全面にわたって私のマクロセットを使っていただいていた。あるとき米国から“RAMPART”というPC用ゲームを取り寄せたら、コード同梱が配布条件になっていたからか自分のマクロセットも3.5インチディスクに入っていて驚いた(なんとなく自分の子分が海外遠征していて太平洋を越えて帰ってきたみたいでうれしかった)。
あらかじめわかっていることを“おもてなし”で準備しておくと、世の中とても軽やかになるんじゃないでしょうか? ところで、本を開いたときの小口の角度が決まっているんだったらコップのフチ子的な展開ってないですかね?
↑典型的な32.5度になっている状態と単純化した例における計算式(実際はもっと複雑になるのだが)。本について面倒くさい議論をふっかけてくる人がいたら、「こんな基本的なことは知ってますよね?」と返してあげましょう。ちなみに、やはり電子書籍端末には真似のできない本の魅力として、ほかにも開いたときにふたつの丸い山ができてオッパイ的な人間の本能を刺激するものがあるという説もあります。関連記事
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