鷲ヲともふさ のコメント

よく聞く話で、アメリカ人は幼い頃から自分の意思を口に出してはっきり言うように教育されていて、職場でも上下関係を気にせずに自分の思った事は臆せずに論じるのが当たり前であるという。
それに比べて日本の場合は、自ら率先して発言せずに、立場が上位にある人間の意見に追従するのが謙譲の美徳であると思い込み、部下は上司の言うがままに従い、後輩はパイセンのパシリとなり、「上役の言うことは絶対」って王様ゲームみたいに、自分の意思を押し殺す。ゆえに日本人はディベート能力が極端に低い。
立場や階級や肩書を重視し、発言内容など蔑ろにしてしまうのが日本社会なのである。
って、まんま香山リカマインドじゃん。
「たかがマンガ家のスタッフ風情が、大学教授サマに意見をするなんて日本社会的にありえなくなーい?」
「無名の工芸家の言うことなんて聞く必要なくなーい?」
「天下の国連サマには無条件で言いなりになるべきじゃなーい?」

果たして日本人って本当に香山リカのようにディベートが苦手で、有無を言わさぬ上意下達が当然である国民性なのだろうか。
同じ日本人でも、幕末の志士って、ガンガンに議論をしていたイメージがある。
幕末の志士って強靭な個があったからこそ議論を成立させることが出来たのだろう。
現代の日本では、本人は個人主義者であると思い込んでいる人のほとんどが私人性を剥き出しにした集団主義に埋没している。
個がなければ議論は成立しない。
集団主義は個人の意見を嫌うゆえに議論そのものを嫌う。
そのような集団主義の蛸壺ばかりの今の日本で真っ当な議論が出来る場所などあるのだろうか?
現代日本に松下村塾はあるのか?

大河ドラマ「花燃ゆ」の松下村塾のシーンを観ていると、公徳心を常に意識に置いた個人がディベートをしていて、既視感を覚える。
そうして、はたと気づく。
まんまゴー宣道場やんけじゃんだべさ、と。

俺がゴー宣道場に参加した時、いつも議論が弾み、跳ねて、白熱し、胸踊る気分を体感して、前頭葉がスパークしたものさ。
帰り道、興奮の余り、ついつい「学問とは、人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだーっ、by吉田松陰」と絶叫したりしたもんさ。
あのスパーク感、あのライヴ感をより多くの人にも味わってもらいたい。
というか、俺もまた味わいたい。
だから是非また参加しよう。
その為に抽選に当たるように神社に御参りに行こっと。
その前に高森ウィンドウズの「神社参拝の仕方」を観なくちゃね。

No.130 110ヶ月前

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