p_f のコメント

> まずはメディアへの「厳しい目」を持つことである。

事はメディアに限らず、プロスポーツ、アート、あるいはテレビの娯楽番組等にも当てはまる話と思います。
そして日本はいずれも「受け手」が劣化を極めている。この本の目次を見ていたら、昔読んだ「ケータイを持ったサル」を思い出しました。今や女子高校生などは毎日7時間もスマホに費やすところまできた。
こんな社会では「厳しい目」など育ちようがありません。
とにかく良質な刺激が大きく目減りしている。絵画でも、良い絵を沢山見ることで、ダメな絵をダメだと判るようになるのではないでしょうか。その逆は真でない。

報道の自由度ランキングを眺めると幸福度ランキングと相関していそうですが、報道の肝が権力の監視ならば、権力が民衆に対して悪事を働いている国ほど厳しい報道規制を敷くのでしょうから、そんな国で幸せに感じるはずもありませんね。

N.チョムスキー著「メディア・コントロール」(2002)より-
例えば、昨夜はMITで私を批判する大規模な集会が開かれた...それを抑圧と呼べるでしょうか。世界中で、人びとがいったいどのような現実と闘っているかに思いをめぐらせたならば、「抑圧」などと口に出すのすらおこがましい...マスコミは、いろんな意見を封殺することができます...私の本を世間に出回らせないようにするためだけに出版部門をつぶし、保有していた書籍をことごとく抹殺したことがあります。そういうことは現実に起こるんです。しかしそれは抑圧とは言えない。出したければ別の出版社から本を出すことだってできるんですから...

言論の自由はアメリカで、市民の運動の中で獲得されてきたものです。第一次世界大戦当時、バートランド・ラッセルはどこにいたか。刑務所です。アメリカの労働運動指導者、ユージーン・デブスはどこにいたか。刑務所
です。彼らがいったい何をしたというのか? 何もしていません。戦争の大儀に疑義を呈しただけです。言論の自由とはそういうことです。今は違いますよ。市民運動が言論の範囲を広げたのです。現在まで自由は保証されてきています。そしてこのまま保障され続けるわけではない。こういう権利は勝ち取られたものです。闘わなければ勝ち取ることはできない。闘うのを忘れてしまえば、権利は失われて行くのです。天与の贈り物のように、降ってくるわけではないのです-

No.3 112ヶ月前

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