にしちゃんさん 武藤さん 早速丁寧にご返信くださりありがとうございます。 お二方とも文章も上品ですし、この掲示板参加者のレベルの高さが よくわかります。 (決して、私が高いと言っている訳ではございません(+_+)) >>にしちゃんさん 国益にそぐわない、と判断したら「イスラム国」を刺激すべきではない という考え方は非常によくわかります。 むしろ、「イスラム国」と関わることで国益なんか見つかるはずは ないでしょうから、その場合、我が国の応対は結局傍観になってしまう というのは、実は国益を起点とした一本道のロジックだと思います。 それはその通りだと思います。 それは当然である、と認めつつも、我が国は果たして傍観することを 良しとするのか?ということが私の中で引っかかってしまいます。 我が国は、実は国益度外視で他国を助けることが出来るんじゃないか? というよりそんなことが出来るのは日本だけじゃないのか? と考えてしまったりするんです。だから困るんです。 個人を例にとってみれば、人助けを行おうとするとき、ほとんどの場合 自分に利益があるかどうか?とは考えないと思うんです。 駅のホームに落ちてしまった老人を助けようとする場合 隣の家で幼児虐待にあっている子供を助けようとする場合 お金に困った友人にお金を貸す場合 例を挙げればキリが無いですが、人助けを行う場合は損得よりも 自分の中にある『なにものか』に突き動かされているんだと 思います。(このあたり、過去のゴー宣でもよく読みました。) ここで言う損得勘定が、国で言えば国益になると思います。 ですが、日本人はこの損得勘定を超えて動くことが他国の人間 よりも突出して優れているのではないか?と思うのです。 そうでなければ靖国英霊の精神は生まれないでしょうし、 大震災以降の立ち振る舞いも生まれない、と思うのです。 ですが、個人の問題と国家の問題はもちろん違います。 結局私も傍観せざるを得ないのかな、と思います。 だからこそ今回の問題について悶々としてしまうのです。 私は傍観が悪い、と言っている訳ではありません。 国家の選択は結局傍観になるんだろうな、という事実を 申し上げているだけですので誤解なされないで下さいね。 >>武藤さん 仰る通りですね。戦後我々は奇跡的な運に助けられこういった 現実的な問題に対処する機会がほとんどなかったように思われます。 その結果、悩みに悩んで決断をする、という経験値が低いのだ と思われます。 で、実際問題としての私の意見を述べさせて頂きます。 「現在の我が国で国民大多数のコンセンサスを取ってイスラム国に 人道支援を行う」ということは現実社会では不可能であると思います。 もっと言えば、武藤さんの仰る、「国民が当事者意識を持つ」 ということですらほとんど非現実的だと思います。 そういった話題になれば、行政上の手続き論だけでも、間違いなく 憲法9条改正論になりつつ特例の法律論等が必要になるでしょうし、 そもそも「イスラム国への刺激」というテーマでマスコミも知識人も 政治家もわぁわぁ騒ぎまくって莫大な時間がかかって結局まとまらない、 という結果になるのは間違いないでしょう。 その間、現実の脅威である「イスラム国」はバンバン非道な行為を 続けると思います。 もちろん、覚悟なく宣戦布告した安倍政権は論外だと思いますが、 では現実的に我が国はどうする方法がよかったのかということに対する 自分なりの答えが悶々としてしまったので問題定義させて頂きました。 またまた長々とすいません。 お二方、ありがとうございました。
チャンネルに入会
フォロー
小林よしのりチャンネル
(ID:29746052)
にしちゃんさん 武藤さん
早速丁寧にご返信くださりありがとうございます。
お二方とも文章も上品ですし、この掲示板参加者のレベルの高さが
よくわかります。
(決して、私が高いと言っている訳ではございません(+_+))
>>にしちゃんさん
国益にそぐわない、と判断したら「イスラム国」を刺激すべきではない
という考え方は非常によくわかります。
むしろ、「イスラム国」と関わることで国益なんか見つかるはずは
ないでしょうから、その場合、我が国の応対は結局傍観になってしまう
というのは、実は国益を起点とした一本道のロジックだと思います。
それはその通りだと思います。
それは当然である、と認めつつも、我が国は果たして傍観することを
良しとするのか?ということが私の中で引っかかってしまいます。
我が国は、実は国益度外視で他国を助けることが出来るんじゃないか?
というよりそんなことが出来るのは日本だけじゃないのか?
と考えてしまったりするんです。だから困るんです。
個人を例にとってみれば、人助けを行おうとするとき、ほとんどの場合
自分に利益があるかどうか?とは考えないと思うんです。
駅のホームに落ちてしまった老人を助けようとする場合
隣の家で幼児虐待にあっている子供を助けようとする場合
お金に困った友人にお金を貸す場合
例を挙げればキリが無いですが、人助けを行う場合は損得よりも
自分の中にある『なにものか』に突き動かされているんだと
思います。(このあたり、過去のゴー宣でもよく読みました。)
ここで言う損得勘定が、国で言えば国益になると思います。
ですが、日本人はこの損得勘定を超えて動くことが他国の人間
よりも突出して優れているのではないか?と思うのです。
そうでなければ靖国英霊の精神は生まれないでしょうし、
大震災以降の立ち振る舞いも生まれない、と思うのです。
ですが、個人の問題と国家の問題はもちろん違います。
結局私も傍観せざるを得ないのかな、と思います。
だからこそ今回の問題について悶々としてしまうのです。
私は傍観が悪い、と言っている訳ではありません。
国家の選択は結局傍観になるんだろうな、という事実を
申し上げているだけですので誤解なされないで下さいね。
>>武藤さん
仰る通りですね。戦後我々は奇跡的な運に助けられこういった
現実的な問題に対処する機会がほとんどなかったように思われます。
その結果、悩みに悩んで決断をする、という経験値が低いのだ
と思われます。
で、実際問題としての私の意見を述べさせて頂きます。
「現在の我が国で国民大多数のコンセンサスを取ってイスラム国に
人道支援を行う」ということは現実社会では不可能であると思います。
もっと言えば、武藤さんの仰る、「国民が当事者意識を持つ」
ということですらほとんど非現実的だと思います。
そういった話題になれば、行政上の手続き論だけでも、間違いなく
憲法9条改正論になりつつ特例の法律論等が必要になるでしょうし、
そもそも「イスラム国への刺激」というテーマでマスコミも知識人も
政治家もわぁわぁ騒ぎまくって莫大な時間がかかって結局まとまらない、
という結果になるのは間違いないでしょう。
その間、現実の脅威である「イスラム国」はバンバン非道な行為を
続けると思います。
もちろん、覚悟なく宣戦布告した安倍政権は論外だと思いますが、
では現実的に我が国はどうする方法がよかったのかということに対する
自分なりの答えが悶々としてしまったので問題定義させて頂きました。
またまた長々とすいません。
お二方、ありがとうございました。