>>2 「大震災によって事故が起きてしまい、絶対安全ということは言えなくなりました」と仰るが、世の中に絶対安全なんていう物が存在しないことは自明であり、その様な文言を信じることははじめから誤りである。 「裁判は、あくまで法によるものであり、経済活動で判断するものではない」と言うのは当たり前であり、その論理に従えば裁判の判決は常に法の限界により制限されており、その結果を絶対の真実とか正義であるとか信じるのは馬鹿の骨頂である。常識的にみて明らかに不正があっても、法自らの持つ限界で正であると判決されることはしょっちゅうであり、それは常識である。今回の判決もその範囲を超えるものではない。 科学技術の問題、例えば原発の安全性という本来科学技術の問題を裁判所が判定する場合、裁判所は科学技術の判断能力をもたないので、原告と被告が提供する専門家の証言と証拠により判断するしか能は無い。従って、その判決は原告と被告の討論の優劣に基づき行われ、裁判所は素人の判断でどちらかが正しいと言っているだけであり、科学技術の専門家としての判定をしているにすぎない。当然、原発推進派は科学技術的反論を準備しており、その結果は控訴審で生かされるだろう。 司法は民主国家の主要3件の1つに過ぎない。原発反対派の諸氏はそれをよく理解すべきである。
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孫崎享チャンネル
(ID:32175174)
>>2
「大震災によって事故が起きてしまい、絶対安全ということは言えなくなりました」と仰るが、世の中に絶対安全なんていう物が存在しないことは自明であり、その様な文言を信じることははじめから誤りである。
「裁判は、あくまで法によるものであり、経済活動で判断するものではない」と言うのは当たり前であり、その論理に従えば裁判の判決は常に法の限界により制限されており、その結果を絶対の真実とか正義であるとか信じるのは馬鹿の骨頂である。常識的にみて明らかに不正があっても、法自らの持つ限界で正であると判決されることはしょっちゅうであり、それは常識である。今回の判決もその範囲を超えるものではない。
科学技術の問題、例えば原発の安全性という本来科学技術の問題を裁判所が判定する場合、裁判所は科学技術の判断能力をもたないので、原告と被告が提供する専門家の証言と証拠により判断するしか能は無い。従って、その判決は原告と被告の討論の優劣に基づき行われ、裁判所は素人の判断でどちらかが正しいと言っているだけであり、科学技術の専門家としての判定をしているにすぎない。当然、原発推進派は科学技術的反論を準備しており、その結果は控訴審で生かされるだろう。
司法は民主国家の主要3件の1つに過ぎない。原発反対派の諸氏はそれをよく理解すべきである。