冬至 のコメント

 私の意見の前提として、まずこの社会は単一の性でなりたっているわけではないこと。
そして、フェミニズムという運動が日が浅いがゆえに結論を急ぐような真似は避けるべきだという
考えをもっているからです。
 
 第一に、女尊男卑と仰られますが、それは多分に私の意見からかけ離れています。
彼女たちの運動の目的(フェミニズム)の範囲外にあること(男性の権利の見直し)
を彼女たちに求めること自体がおかしな話だと指摘しているのです。

 第二に、社会進出を望む女性が少数派のような書き方、
または総意ではないとの書き方をされていますが、現実には女性が社会に進出し、
その次の段階としてポストを望む現状において少数だと定義するのは無理があります。
 また、て女性が社会に進出したことによって、旧来の社会(男性型社会)には
ない問題が顕現しているのです。その現状を放置することでは改善の余地がありません。
そのための行政の介入する必要がでます。そのことのどこがおかしいのでしょうか?
ましてそのような問題が起きるから、という理由だけで旧来の社会の在り方の正統性の証明
にはなりえないはずです。

 第三に、社会の背景や歴史の流れを切り離して考えることはできかねます。
 なぜならば、時代によって求められる人の在り方というのは、その背景を無視して語れるのもでは
ありません。社会においてある現象が生じたとき、なぜそのような動きが起きたのか、
それによってどのようなことが社会に起き、それがどのように影響を及ぼしたのか
を考証することは論的なことであり、またそうしたときにある事象を自然である不自然であると
言い表せるのではないのでしょうか?

 第四に、クロワッサンにおける女性の問題について。
 この点において私が指摘したかったことですが、その当時のフェミニズムの在り方
(男性と同等あるには独りで生きていくしかないのではという考えを彼女たちがもつにいたるまで)
を無視しして語るべきではないということです。
まして、「景気が悪いので、女性が一人で生き辛い」だけで切り捨てられることなのでしょうか?
おそらくはそれは男女ともにそうだ。と反論されそうですが、現実として真っ先に切り捨てにあった
のは女性でしたよね。もし「それでも女性のほうが社会保護を受けやすいから」というならば、
その現実を見据えたうえで、よけいにマスキュリズムの必要性があるのではないでしょうか。
 
 第五に、確実に起きていることとを無視しての結論付けは避けるべきこと。
すこし前ならばそのコミュニティの枠をでなかった女性の徴兵制が、現実に公として議論されている
ことを例外といえません。この事実をそれを例外と位置づけることで自身の考えを
正当化しているのだけなのではないのでしょうか。

 最後に、「男女お互いの違いを尊重しあってそれで不要な摩擦を避け、
チャンスを最大限にするのが幸福への道の一つと考えられないのでしょうか
といいますが」、それによって幸福となる全体とは、畢竟男性の視点からする幸福なの
ではないでしょうか。
 まして摩擦を恐れ現実に問題があるというのに、それを無視した形でまわる社会は
ただ円滑にすすんでいるだけ、でありその共同体は健全であるとは考えかねます。

 グレーゾーンについてですが、アセクシャルについてどのようなお考えをおもちでしょうか?
ジェンダー論争が盛んではない日本において、なぜかフェミニズムに分類されやすい
レズビアンやホモセクシャルの方々からすれば、ただ男である女であるを基準として語られる
女性学や男性学というものは、傲慢ともとれるのではないのでしょうか。

 こちらも休息します。
 
 

No.57 130ヶ月前

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