冬至 のコメント

 筆者

 再度書こう、貴方は文屋として社会に呼びかける立場にいる。
その人間が、自分の呼びかける持論の危険性をどう考えているのかは
問われてしかりの立場だ。

 あなたがわからないとする危険性についてだが
「責を負わせるような形で帰結しかねない」が抽象的だというが、

 私と筆者で一致しているのは、
「男性の立場からも社会を見直す」であるはずだ。
 そして、私と筆者が異なるのはその手法である。
 筆者の手法において、意識改革がなされないままに
片方だけを糾弾する形になったとしても、
糾弾するだけで終わる可能性がある。
私が危惧する危険とは、「けっきょくは男性の問題意識
がなされぬままに事態が収束する」、筆者と私の意見の
一致が認められる「男性の社会的立場の見直し」に
至らないことになること。それに付随して、
本来は双方が負うべき、社会的弱者になった男性への
冷遇の糾弾が、女性側だけの責として終わることだ。

 そうなったとき、貴方はかつての過激なフェミニズム
に対して反省を促す立場から、かつての相手のパロディに
なり果てることとなる。それをどのようにお考えで?

 また、筆者は女性のマジョリティの意を無視してというが、
どうにも功罪の罪だけをおくは正しき推論といえようか。
 貴方はセクハラの声があげやすくなったという点においては
ある程度のフェミニズムの功を認めている。また、人は
それがすでに与えられたとなると軽視しがちだが、それは
多くの女性が意識せずにいられる現状が、功罪の功といえる
のでは?

 筆者もこの議論で目指している方向は
自身の主張をただ通すための論議なのかを問いたい。

No.180 130ヶ月前

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