こいら のコメント

>>67
忍者悟さんへ。
こちらこそ返答ありがとうございます。
確かに、天皇陛下をはじめとする皇室の方々が世俗と交わりすぎると神々しさがなくなる、という指摘は的を射ていると思います。
例えば、私の話で恐縮ですが、正月や何か願い事がある時、それから無事を祈ったり厄を払ったりする時に神社に参拝しますが、神社を通してこの国の「カミ(daity)」と繋がることが、現世と天照大神などの日本の神々の媒介者であり祭祀王である天皇陛下の姿勢に倣うというか、繋がることだと思います。それから公共性を意識し、ごみを拾ったりして公共の場を綺麗にしたり、弱者の手助けをしたりして人を助けたりすることも、日本の「公」を体現している天皇陛下の姿勢に倣うことにもなるのではないのか、とも思ってしまいます。
よしりん先生が「愛国デモをやるより近くの公園の草むしりをすることが真の公共性に繋がるし、国を愛することになる」という理由はそこだと思うのです。天皇陛下は常にこの国の「公」を代表してるということです。
山本太郎の中にも、天皇陛下に対する「畏れ」は全くなかったわけではないと思います。天皇陛下を「畏れてる」からこそ、自分より天皇陛下を上位に感じていて、公のために、と思ってあのような行動に出たのだと思います。
ただ、彼の考えが甘かったのは、天皇陛下のことを「何でもできる万能の専制君主」みたいなイメージでとらえていたのではないのか、という点だと思うのです。天皇陛下は日本国の権威を代表する存在ではあるけれども、権力者ではない、という政治家としての基礎知識がなかったのではなかったのでしょうか。いわば、天皇陛下という大きな存在に甘えていた、と言えます。政治家の職能としては、有権者を代表して政治的な力量を発揮して権力を行使して制度を改めたり維持したりして政治的な目的を遂行する、というのが当たり前のやり方だと思います。それをやらずに、いきなり直訴しちゃったので色んな人から違和感を持たれてしまったのだと思います。
もっとも、天皇陛下をはじめとする皇室の方々に甘えているのは保守の知識人や自民党や安倍なんかも同じだと思います。しかも山本太郎と違ってこちらの方は天皇陛下をオリンピック誘致や主権回復記念日の大義名分のための「お飾り」みたいな扱いしかしていないし、自分の意思で天皇陛下の意思をコントロールできる、という思い上がった考え方を持っている分だけ不遜で不敬だと思いますね。
戦後憲法下では一応国民主権が保障されていて、我々国民が主体的に国家を運営できるという建前があるのですが、それがおごりに繋がっていることは山本太郎も保守の政治家も自民党も同じだと思います。天皇陛下の下ではもっと敬虔な姿勢を我々も意識した方がいいのかもしれませんね。
長文失礼しました。

No.70 127ヶ月前

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