小林師範、木蓮師範、岸端編集長、時浦師範代、今週も記事を配信していただき、ありがとうございました。 今週のライジングで滝川クリステル(以下、滝川氏)の五輪勧誘演説について初めて知りました。そして勧誘演説の動画を見て、真っ先に思い出したのが「大東亜論」で書かれていた鹿鳴館外交と私が某白人国で経験した白人のアジア人に対する偏見です。鹿鳴館外交と今回の滝川氏の演説では「どうやったら欧米人に好印象を持ってもらうか」という共通の目標が見られます。しかし、欧米人はこのような茶番に対して好印象など持ってくれませんし、帰って日本に蔑称を正当化させるか、失望を与え、日本の文化や習慣を研究し、観察している欧米人を通して、滝川氏の行った演説中の行為が日本の習慣や文化にはないと解るや「ウソつき」と感じ取り、日本に対する印象もより一層悪くなるとしか思えません。 以前に、白人国家に滞在していた時に知り合いとなった白人がなざだか、私を含む東洋人にあいさつ代わりに滝川氏が行った合掌を行うのです。私が「仏教徒ですか?」と聞くと、これは「これはアジア共通の挨拶だ」というので間違っていると何度も教えたのですが、理解しようとしてくれません。その白人は一見愛想がある感じのいい人なのですが、犬を散歩しているときに白人が犬に引き綱をしていてもなにも言わないのに、我々東洋人が犬に引き綱をしていないとしつこく、引き綱でつないでおけと要求するのです。要するに、白人が犬を放し飼いにしてもいいが、東洋人は駄目だという差別感情が根元にあるのであって、これはシーシェパードやグリーンピースが行った日本調査捕鯨船に対する暴力行為と全く同じ差別行為なのです。 結論から言いますと、無差別な合掌は白人の東洋人に対する偏見の賜物であり、今回、滝川氏が日本代表として欧米人の東洋人に対する偏見と蔑称を肯定したという意味でまさに国賊者以外の何物でもありません。小林師範も在外邦人に危害が及ぶと指摘していますが、今後、在外邦人に苦労が飛び交うことは間違いはないと思います。なぜなら、合掌は白人にとって東洋人を侮辱するための身振りとしてよく使い、邦人の児童が現地の白人らに苛める行為として合掌のみぶりを使い、これが原因で合掌を拒む児童もいます。今回、滝川氏がやったことは白人の東洋人に対する侮辱を肯定する以外の何物でもなく、自身の文化をかなぐり捨てる売国行為以外の何もでもありません。滝川氏の演説がyoutubeに登載されていたので見てみましたが、怒りを抑えきれず、白人国での経験などを書き込んだのですが、なぜか意見は削除されて登載者から書き込みを禁止されてしまいました。これで五輪開催地決定に騒いでいる輩がどの程度の物であるかはっきりとわかりましたので、堂々と五輪開催に最後まで反対を通すことをこの場で誓うこととしました。 客の理不尽な文句と異常ともいえる横暴な態度についてですが、以前、勤めていた会社では取引先や顧客に立ち会った上司が、顧客らの横暴な態度に腹が立ち、その鬱憤を晴らすために部下に八つ当たりをしたりすることが頻繁に見られ、さらには水面下で解雇が決まっている契約社員や派遣社員にまで八つ当たりの波及するという問題が生じていました。もちろん、社内問題であり、契約社員や派遣社員は正社員ではないので社内相談の対象とはなりません。 社内や店頭での横暴な顧客や取引先の行為は、近年における我が國全般における期待できない将来による諦めによって生じる嘲笑、冷笑と現実逃避が蔓延る現状を表しているのだと思えてなりません。小林師範も今回の「Q&A」で「大衆はあきらめているのです。怒っても批判しても届かないし、頼れる野党もないので、『あまちゃん』を見て現実逃避していた方が気が楽なのです。」と仰っていましたが、私の周囲にも諦めて冷笑、嘲笑にふけっている人が山ほどいます。そしてそういう人に限って自分より「下」とされる人に対して横暴な態度を取り、威張り散らしたりするのです。結局はみんな、何かに向けて頑張りたくてもその目標を掴むこともできなければ政府や会社、学校の決める方針が全く信じることのできない代物でもあることをもうわかっているのだと思います。だからこそ、一生懸命頑張るAKBや小林師範などの本気の人々を嫉妬しては、嘲笑し、冷笑しては批判をし、小林師範やAKBらが本業で命がけで切り開いた偉業を「安全」とわかるやさも、自分たちがやったかのごとく、傍若無人に小林師範の主張をそのままネットなどで乱用したり、AKBの握手会に周囲の迷惑も試みず殺到するのでしょう。前と後で態度をコロッと変える弱い人々のなんと多いこと。 私の祖父母も戦後間もない頃から都内で自営業を営んできましたが、戦後間もない頃でも商売が商売でしたので横暴な顧客が後を絶えませんでした。中には暴力をふるう顧客も平然といて、警察も当時ではこのような暴力沙汰も取り合ってくれなかったようです。しかし、それはそのような商売だったのでやむを得なかったのですが近年はこの限定的だった客の横暴な態度が全ての業務において広まってしまったことに問題があるのではと思えてなりません。横暴な客はどのような人なのか、統計を取っていないからわかりませんが、もしかしたら多くが老人なのではないのかと推測します。なぜなら、同じ顧客の迷惑行為である万引きの摘発者で老人が若者を上回るという統計結果が出たからです。以前にも岸端編集長がバイト先で迷惑行為をする客には老人が多いと書いていたと記憶しています。顧客の横暴行為のすべてが老人とは断定できませんが、横暴行為は老人を含む、我が國が古来から重視し、國体の一部を担ってきた共同体の崩壊を表しているのではと思えてならないのです。 今週の「Q&A」でna85さんが小林師範に紹介していた「里山資本主義」でも、近年、若者を始め、多くの人々が里山の共同体を求めているか、地元ではない日本の祭りへの積極的な参加が見受けられるのもかつての我が國に当たり前にあった共同体を求めているからである、と指摘していました。横暴な態度を取る顧客も、その対応に苦しむ接客係も実は、江戸期以前に当たり前にあった共同体を心のどこかで求めているのではと思えてならないのですが如何でしょう? 今週の泉美師範の「ザ・神様」はまさに、周りが見えなくなった男に対する女性の見事な対応の模範なのではと思いました。正直、男はこれと決めたら異性であれなんであれ、目標以外に周りが見えなくなったりします。丸一日の時間を費やすは当たり前で、気が付けば小遣いの半分、あるいは全部を使い込んでも不思議じゃないあの感覚を見事にオオクニヌシが実行していて、オオクニヌシの気持ちが痛いほどわかってしまいました。しかし、今回読むまでは、この気持ちが男の専売特許じゃないのだと泉美師範の実話を読んで改めて思い知らされ、ここでも私は女をなめきっていたのだと深く反省する次第です。しかし、泉美師範もオオクニヌシもいい人に恵まれたんだな、と少しうらやましく思ってしまったのですが、これも甘い考えなのでしょうか? 時浦師範代が取り上げた「しんすけ」の解説を読むと、結局は現実逃避でしか熱を入れようとしない人が大半なんだと流行番組を楽しむ知人を見ながら思っていましたが、これで流行番組にまで険悪感を抱いていた私は間違っていたのでしょうか?実は、流行番組などの流行に熱心に見ていたり、楽しんでいる人に限って他の趣味を持っている人に対して見下した態度を持つ人が多かったもので。 今週も短文で終わるだろうなと思っていたら知らぬ間に長文になってしまいました。やはり、ライジングはそれだけ奥が深いということなのでしょう。来週も楽しみにしています。
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小林師範、木蓮師範、岸端編集長、時浦師範代、今週も記事を配信していただき、ありがとうございました。
今週のライジングで滝川クリステル(以下、滝川氏)の五輪勧誘演説について初めて知りました。そして勧誘演説の動画を見て、真っ先に思い出したのが「大東亜論」で書かれていた鹿鳴館外交と私が某白人国で経験した白人のアジア人に対する偏見です。鹿鳴館外交と今回の滝川氏の演説では「どうやったら欧米人に好印象を持ってもらうか」という共通の目標が見られます。しかし、欧米人はこのような茶番に対して好印象など持ってくれませんし、帰って日本に蔑称を正当化させるか、失望を与え、日本の文化や習慣を研究し、観察している欧米人を通して、滝川氏の行った演説中の行為が日本の習慣や文化にはないと解るや「ウソつき」と感じ取り、日本に対する印象もより一層悪くなるとしか思えません。
以前に、白人国家に滞在していた時に知り合いとなった白人がなざだか、私を含む東洋人にあいさつ代わりに滝川氏が行った合掌を行うのです。私が「仏教徒ですか?」と聞くと、これは「これはアジア共通の挨拶だ」というので間違っていると何度も教えたのですが、理解しようとしてくれません。その白人は一見愛想がある感じのいい人なのですが、犬を散歩しているときに白人が犬に引き綱をしていてもなにも言わないのに、我々東洋人が犬に引き綱をしていないとしつこく、引き綱でつないでおけと要求するのです。要するに、白人が犬を放し飼いにしてもいいが、東洋人は駄目だという差別感情が根元にあるのであって、これはシーシェパードやグリーンピースが行った日本調査捕鯨船に対する暴力行為と全く同じ差別行為なのです。
結論から言いますと、無差別な合掌は白人の東洋人に対する偏見の賜物であり、今回、滝川氏が日本代表として欧米人の東洋人に対する偏見と蔑称を肯定したという意味でまさに国賊者以外の何物でもありません。小林師範も在外邦人に危害が及ぶと指摘していますが、今後、在外邦人に苦労が飛び交うことは間違いはないと思います。なぜなら、合掌は白人にとって東洋人を侮辱するための身振りとしてよく使い、邦人の児童が現地の白人らに苛める行為として合掌のみぶりを使い、これが原因で合掌を拒む児童もいます。今回、滝川氏がやったことは白人の東洋人に対する侮辱を肯定する以外の何物でもなく、自身の文化をかなぐり捨てる売国行為以外の何もでもありません。滝川氏の演説がyoutubeに登載されていたので見てみましたが、怒りを抑えきれず、白人国での経験などを書き込んだのですが、なぜか意見は削除されて登載者から書き込みを禁止されてしまいました。これで五輪開催地決定に騒いでいる輩がどの程度の物であるかはっきりとわかりましたので、堂々と五輪開催に最後まで反対を通すことをこの場で誓うこととしました。
客の理不尽な文句と異常ともいえる横暴な態度についてですが、以前、勤めていた会社では取引先や顧客に立ち会った上司が、顧客らの横暴な態度に腹が立ち、その鬱憤を晴らすために部下に八つ当たりをしたりすることが頻繁に見られ、さらには水面下で解雇が決まっている契約社員や派遣社員にまで八つ当たりの波及するという問題が生じていました。もちろん、社内問題であり、契約社員や派遣社員は正社員ではないので社内相談の対象とはなりません。
社内や店頭での横暴な顧客や取引先の行為は、近年における我が國全般における期待できない将来による諦めによって生じる嘲笑、冷笑と現実逃避が蔓延る現状を表しているのだと思えてなりません。小林師範も今回の「Q&A」で「大衆はあきらめているのです。怒っても批判しても届かないし、頼れる野党もないので、『あまちゃん』を見て現実逃避していた方が気が楽なのです。」と仰っていましたが、私の周囲にも諦めて冷笑、嘲笑にふけっている人が山ほどいます。そしてそういう人に限って自分より「下」とされる人に対して横暴な態度を取り、威張り散らしたりするのです。結局はみんな、何かに向けて頑張りたくてもその目標を掴むこともできなければ政府や会社、学校の決める方針が全く信じることのできない代物でもあることをもうわかっているのだと思います。だからこそ、一生懸命頑張るAKBや小林師範などの本気の人々を嫉妬しては、嘲笑し、冷笑しては批判をし、小林師範やAKBらが本業で命がけで切り開いた偉業を「安全」とわかるやさも、自分たちがやったかのごとく、傍若無人に小林師範の主張をそのままネットなどで乱用したり、AKBの握手会に周囲の迷惑も試みず殺到するのでしょう。前と後で態度をコロッと変える弱い人々のなんと多いこと。
私の祖父母も戦後間もない頃から都内で自営業を営んできましたが、戦後間もない頃でも商売が商売でしたので横暴な顧客が後を絶えませんでした。中には暴力をふるう顧客も平然といて、警察も当時ではこのような暴力沙汰も取り合ってくれなかったようです。しかし、それはそのような商売だったのでやむを得なかったのですが近年はこの限定的だった客の横暴な態度が全ての業務において広まってしまったことに問題があるのではと思えてなりません。横暴な客はどのような人なのか、統計を取っていないからわかりませんが、もしかしたら多くが老人なのではないのかと推測します。なぜなら、同じ顧客の迷惑行為である万引きの摘発者で老人が若者を上回るという統計結果が出たからです。以前にも岸端編集長がバイト先で迷惑行為をする客には老人が多いと書いていたと記憶しています。顧客の横暴行為のすべてが老人とは断定できませんが、横暴行為は老人を含む、我が國が古来から重視し、國体の一部を担ってきた共同体の崩壊を表しているのではと思えてならないのです。
今週の「Q&A」でna85さんが小林師範に紹介していた「里山資本主義」でも、近年、若者を始め、多くの人々が里山の共同体を求めているか、地元ではない日本の祭りへの積極的な参加が見受けられるのもかつての我が國に当たり前にあった共同体を求めているからである、と指摘していました。横暴な態度を取る顧客も、その対応に苦しむ接客係も実は、江戸期以前に当たり前にあった共同体を心のどこかで求めているのではと思えてならないのですが如何でしょう?
今週の泉美師範の「ザ・神様」はまさに、周りが見えなくなった男に対する女性の見事な対応の模範なのではと思いました。正直、男はこれと決めたら異性であれなんであれ、目標以外に周りが見えなくなったりします。丸一日の時間を費やすは当たり前で、気が付けば小遣いの半分、あるいは全部を使い込んでも不思議じゃないあの感覚を見事にオオクニヌシが実行していて、オオクニヌシの気持ちが痛いほどわかってしまいました。しかし、今回読むまでは、この気持ちが男の専売特許じゃないのだと泉美師範の実話を読んで改めて思い知らされ、ここでも私は女をなめきっていたのだと深く反省する次第です。しかし、泉美師範もオオクニヌシもいい人に恵まれたんだな、と少しうらやましく思ってしまったのですが、これも甘い考えなのでしょうか?
時浦師範代が取り上げた「しんすけ」の解説を読むと、結局は現実逃避でしか熱を入れようとしない人が大半なんだと流行番組を楽しむ知人を見ながら思っていましたが、これで流行番組にまで険悪感を抱いていた私は間違っていたのでしょうか?実は、流行番組などの流行に熱心に見ていたり、楽しんでいる人に限って他の趣味を持っている人に対して見下した態度を持つ人が多かったもので。
今週も短文で終わるだろうなと思っていたら知らぬ間に長文になってしまいました。やはり、ライジングはそれだけ奥が深いということなのでしょう。来週も楽しみにしています。