米国での大学の自治の扱いについてはわたしはまったく疎いが、日本のそれとあまり大きくはかわらないとおもう。そもそも日本国憲法が米国憲法を下敷きに書かれているし、米国での議論の動向がつねに日本での議論の動向に影響を与えてきたからだ。 では、日本で大学の自治の判例はどうなっているかとみると、古いケース(昭和38年)だが、いまでも東大ポポロ事件判決がリーディングケースであり、そこには、学生については、 学生の集会は(略)実社会の政治的社会的活動に当たる場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しない と明記されてある。実社会の政治的社会的活動に当たる集会を大学でおこなう学生は大学の自治の主体ではないのだ。 さらに、 大学の学問の自由と自治は、(略)直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解される。大学の施設と学生は、これらの自由と自治の効果として、施設が大学当局によつて自治的に管理され、学生も学問の自由と施設の利用を認められるのである ともある。つまり、大学の学問の自由と自治は、教授等の自由と自治であり、その効果として「施設が大学当局によつて自治的に管理され」るその範囲で、 学生も施設の利用を認められる、ということである。 これらをそのまま米国のいまの大学紛争にあてはめると、大学に管理権のあるキャンパス内で政治的デモや集会をおこなう学生は大学の自治を享受できず、あくまでも大学当局の管理権の範囲内でデモや集会が認められるのである。もちろんほかならぬ大学当局が管理権を持っている以上、大学当局が学生に融和的方針を示し、妥結の模索をするのも大学当局の裁量だ。しかし、それは学生の権利ではない。 そして占拠が長期にわたったり、卒業式が開けないなど、管理側として正当な理由で(ましてや、暴力沙汰や校舎の破壊や侵入も報道されていた)学生のデモや集会を不許可とした場合、学生の違法行為(日本での罪名でいえば、不退去罪、建造物侵入罪、暴行罪など)は大学の自治という名目では正当化されない(大学側が許している限りにおいてのみ違法性阻却されていたということだ。ただ暴行は、直接一般市民社会的秩序に触れる行為であり、大学側が許したからって違法性阻却されないのはもちろんだ。)。 最初に書いたように、わたしは米国の事情には疎いが、米国でもたいして変わらないだろう(日本よりも学生に厳しいような気もする)。 大学を卒業し、労組の専従だったようなヒトがこんな基本がすらすら出てこないばかりか、詭弁を弄することに、ちょっと衝撃をうけている。そんなレベルでは労働者を守れない。やはり労組はもう不要なのかもしれない(労働者保護の別のしくみは必要)。 偏向ブログをさがして読むのも、けっこう手間ひまかかるんじゃなかろうか。その手間ひまがあれば、憲法のうすい基本書一冊読んだほうが、よほど世の中の仕組みがすっきりわかるのに。どんな基本書でも上に書いた判例はのっている。図書館で借りればカネもかからない。 ただ、憲法の基本書など読まずとも、健全な常識があれば、大学の自治名目で学生が度を越えた不始末をしでかしてもいいのかそうでないのか、わかりそうなものだともおもう。
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孫崎享チャンネル
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米国での大学の自治の扱いについてはわたしはまったく疎いが、日本のそれとあまり大きくはかわらないとおもう。そもそも日本国憲法が米国憲法を下敷きに書かれているし、米国での議論の動向がつねに日本での議論の動向に影響を与えてきたからだ。
では、日本で大学の自治の判例はどうなっているかとみると、古いケース(昭和38年)だが、いまでも東大ポポロ事件判決がリーディングケースであり、そこには、学生については、
学生の集会は(略)実社会の政治的社会的活動に当たる場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しない
と明記されてある。実社会の政治的社会的活動に当たる集会を大学でおこなう学生は大学の自治の主体ではないのだ。
さらに、
大学の学問の自由と自治は、(略)直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解される。大学の施設と学生は、これらの自由と自治の効果として、施設が大学当局によつて自治的に管理され、学生も学問の自由と施設の利用を認められるのである
ともある。つまり、大学の学問の自由と自治は、教授等の自由と自治であり、その効果として「施設が大学当局によつて自治的に管理され」るその範囲で、
学生も施設の利用を認められる、ということである。
これらをそのまま米国のいまの大学紛争にあてはめると、大学に管理権のあるキャンパス内で政治的デモや集会をおこなう学生は大学の自治を享受できず、あくまでも大学当局の管理権の範囲内でデモや集会が認められるのである。もちろんほかならぬ大学当局が管理権を持っている以上、大学当局が学生に融和的方針を示し、妥結の模索をするのも大学当局の裁量だ。しかし、それは学生の権利ではない。
そして占拠が長期にわたったり、卒業式が開けないなど、管理側として正当な理由で(ましてや、暴力沙汰や校舎の破壊や侵入も報道されていた)学生のデモや集会を不許可とした場合、学生の違法行為(日本での罪名でいえば、不退去罪、建造物侵入罪、暴行罪など)は大学の自治という名目では正当化されない(大学側が許している限りにおいてのみ違法性阻却されていたということだ。ただ暴行は、直接一般市民社会的秩序に触れる行為であり、大学側が許したからって違法性阻却されないのはもちろんだ。)。
最初に書いたように、わたしは米国の事情には疎いが、米国でもたいして変わらないだろう(日本よりも学生に厳しいような気もする)。
大学を卒業し、労組の専従だったようなヒトがこんな基本がすらすら出てこないばかりか、詭弁を弄することに、ちょっと衝撃をうけている。そんなレベルでは労働者を守れない。やはり労組はもう不要なのかもしれない(労働者保護の別のしくみは必要)。
偏向ブログをさがして読むのも、けっこう手間ひまかかるんじゃなかろうか。その手間ひまがあれば、憲法のうすい基本書一冊読んだほうが、よほど世の中の仕組みがすっきりわかるのに。どんな基本書でも上に書いた判例はのっている。図書館で借りればカネもかからない。
ただ、憲法の基本書など読まずとも、健全な常識があれば、大学の自治名目で学生が度を越えた不始末をしでかしてもいいのかそうでないのか、わかりそうなものだともおもう。