浜田省吾ファンクラブ会員番号079087番、NAOPPUです。「丘の上の愛」がこんなふうに熱く語られているなんて!!!日本中どこを探してもここだけですよねー!最高です。 よしりん先生の熱唱は、この歌への思い入れの強さを感じさせました。 そしてチェブリンさんのピアノ、最高でした。この曲のピアノはニッキー・ホプキンスというアメリカのプレイヤーが演奏しており、当時、彼は浜省を非常に高く評価し、いつか一緒にツアーをしようとまで言ったそうです。(実現しないまま、彼は1994年に死去しました。) その名演奏をしっかりとコピーしていたチェブリンさん、すばらしい!!! 1994年7月(当時、浜田省吾・41歳)の「BRIDGE」という雑誌で、浜田省吾と渋谷陽一氏の対談が載っていますが、「丘の上の愛」について、浜田省吾がこのように語っています。皆さんの思想の幅を広げるのではないかと思い、引用させていただきます。 ------------------------------------ 「丘の上の愛」はロサンゼルスに行かなかったら書けなかった詩で。例えば「マンション・オン・ザ・ヒル」とかっていうような洋楽があるじゃないですか。例えば日本ではブルジョワたちが丘の上に住んでるっていうイメージはないでしょう。でもロサンゼルスってのは見事にマリブとかビバリーヒルズとか丘の上に家を建てて、街を見下ろすと巨大な浪費をしてるクリスマスツリーのような、海の底のような街が広がっているわけじゃないですか。 で、僕もちょうどジェームズ・ディーンの「理由なき反抗」に出てくるグリフィス・パーク天文台があるでしょう、そこへ夜行ったんです。そうすると、まさに丘の上から金持ちたちが街を見下ろしてて、同じように貧しい人たちが金持ちたちを見上げているっていうのがはっきりわかったんですよ。だからジャクソン・ブラウンの詩とか当時のウェストコーストのシンガー・ソングライターたちの書いていた詩ってのがほんとに理解できたんですよね。 だからこの「丘の上の愛」も、『ああ、そういうことなんだなぁ』っていう、それでこういう詩になるんですけど。で、この詩を書いたときに、ほんとに今でも覚えているんだけど、『こんなラブソングってないよね』って言われたのを覚えているんですよ。レコード会社の人だったかラジオ局の人だったか、『こういうのって日本にないよね』って言われて。 で、確かにその通りなんです。ロサンゼルスで作った歌だから。でも、1980年代になってすごくリアリティーを持つんですよ。だから、この歌を作ったときに思ったのは、作品のリアリティーっていうのは現実じゃないんだと。 現実って、朝起きて歯を磨いてトイレに行ってというのがリアルだと。ホントの作品の上でのリアリティーってのは、現実と幻想と希望と意志と理想っていうものがごちゃ混ぜになったもの。それが作品のリアリティーなんだなっていうのは、この「丘の上の愛」を書いて、日本に帰ってラジオ局のディレクターかなんかに、『これは日本じゃリアリティーのないラブソングだよね」って言われたときに、逆にそれがリアリティなんだって思ったんですよ。 で、80年代後期のバブルの時代になったときに、ほんとにリアリティを持ってきたっていうのかな。そういう意味では「丘の上の愛」ってのは、すごく思い出深い詩なんです。 ------------------------------------ 僕がこの浜省のインタビューを読んだのは高校生の時でした。中学生のころからこの曲が大好きでよく聞いて歌っていましたが、このような背景を知り、より味わい深く感じました。 僕は、「金よりも、愛をまっすぐに見て、愛に生きろ」と、この歌い手が、冷たいベッドにいる女性に対して言っているのだと解釈しました。この歌い手は第三者で、俯瞰でこの女性を見ており、女性に対して、「氷のような腕の男を捨てて、丘をかけおりて、純粋に愛する人のもとへ行くんだよ」と言っているのだと思っています。この愛する人は、「貧しい学生」かもしれませんし、そのときにはそうではないのかもしれません。 僕にとっては、この歌詞の解釈は字義通りでシンプルなもの、「金よりも愛」を歌ったものだと思っています。でも、浜省が語ったような背景があるということを知ると、より味わい深くもあります。 この曲は1980年、バブル経済が絶頂を迎えるのはまだ少し先で、その当時に、近い将来にリアリティを持つ詩を書いたすごさというのを、浜省自身も自負しているところのようですね。 よしりん先生がこの名曲を選んで熱唱されたということ、そしてそれが大きな反響を生んでいること、それがゴー宣ファンであり浜省ファンの僕としては、とってもうれしいです。
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浜田省吾ファンクラブ会員番号079087番、NAOPPUです。「丘の上の愛」がこんなふうに熱く語られているなんて!!!日本中どこを探してもここだけですよねー!最高です。
よしりん先生の熱唱は、この歌への思い入れの強さを感じさせました。
そしてチェブリンさんのピアノ、最高でした。この曲のピアノはニッキー・ホプキンスというアメリカのプレイヤーが演奏しており、当時、彼は浜省を非常に高く評価し、いつか一緒にツアーをしようとまで言ったそうです。(実現しないまま、彼は1994年に死去しました。)
その名演奏をしっかりとコピーしていたチェブリンさん、すばらしい!!!
1994年7月(当時、浜田省吾・41歳)の「BRIDGE」という雑誌で、浜田省吾と渋谷陽一氏の対談が載っていますが、「丘の上の愛」について、浜田省吾がこのように語っています。皆さんの思想の幅を広げるのではないかと思い、引用させていただきます。
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「丘の上の愛」はロサンゼルスに行かなかったら書けなかった詩で。例えば「マンション・オン・ザ・ヒル」とかっていうような洋楽があるじゃないですか。例えば日本ではブルジョワたちが丘の上に住んでるっていうイメージはないでしょう。でもロサンゼルスってのは見事にマリブとかビバリーヒルズとか丘の上に家を建てて、街を見下ろすと巨大な浪費をしてるクリスマスツリーのような、海の底のような街が広がっているわけじゃないですか。
で、僕もちょうどジェームズ・ディーンの「理由なき反抗」に出てくるグリフィス・パーク天文台があるでしょう、そこへ夜行ったんです。そうすると、まさに丘の上から金持ちたちが街を見下ろしてて、同じように貧しい人たちが金持ちたちを見上げているっていうのがはっきりわかったんですよ。だからジャクソン・ブラウンの詩とか当時のウェストコーストのシンガー・ソングライターたちの書いていた詩ってのがほんとに理解できたんですよね。
だからこの「丘の上の愛」も、『ああ、そういうことなんだなぁ』っていう、それでこういう詩になるんですけど。で、この詩を書いたときに、ほんとに今でも覚えているんだけど、『こんなラブソングってないよね』って言われたのを覚えているんですよ。レコード会社の人だったかラジオ局の人だったか、『こういうのって日本にないよね』って言われて。
で、確かにその通りなんです。ロサンゼルスで作った歌だから。でも、1980年代になってすごくリアリティーを持つんですよ。だから、この歌を作ったときに思ったのは、作品のリアリティーっていうのは現実じゃないんだと。
現実って、朝起きて歯を磨いてトイレに行ってというのがリアルだと。ホントの作品の上でのリアリティーってのは、現実と幻想と希望と意志と理想っていうものがごちゃ混ぜになったもの。それが作品のリアリティーなんだなっていうのは、この「丘の上の愛」を書いて、日本に帰ってラジオ局のディレクターかなんかに、『これは日本じゃリアリティーのないラブソングだよね」って言われたときに、逆にそれがリアリティなんだって思ったんですよ。
で、80年代後期のバブルの時代になったときに、ほんとにリアリティを持ってきたっていうのかな。そういう意味では「丘の上の愛」ってのは、すごく思い出深い詩なんです。
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僕がこの浜省のインタビューを読んだのは高校生の時でした。中学生のころからこの曲が大好きでよく聞いて歌っていましたが、このような背景を知り、より味わい深く感じました。
僕は、「金よりも、愛をまっすぐに見て、愛に生きろ」と、この歌い手が、冷たいベッドにいる女性に対して言っているのだと解釈しました。この歌い手は第三者で、俯瞰でこの女性を見ており、女性に対して、「氷のような腕の男を捨てて、丘をかけおりて、純粋に愛する人のもとへ行くんだよ」と言っているのだと思っています。この愛する人は、「貧しい学生」かもしれませんし、そのときにはそうではないのかもしれません。
僕にとっては、この歌詞の解釈は字義通りでシンプルなもの、「金よりも愛」を歌ったものだと思っています。でも、浜省が語ったような背景があるということを知ると、より味わい深くもあります。
この曲は1980年、バブル経済が絶頂を迎えるのはまだ少し先で、その当時に、近い将来にリアリティを持つ詩を書いたすごさというのを、浜省自身も自負しているところのようですね。
よしりん先生がこの名曲を選んで熱唱されたということ、そしてそれが大きな反響を生んでいること、それがゴー宣ファンであり浜省ファンの僕としては、とってもうれしいです。