りゃん のコメント

伊達判決というのは、(直接的には)自衛隊を違憲とした判決なのではなく、日米安保条約が日本国憲法9条2項に違反するとした判決ですね。
(事案との関係でいえば、日米安保条約が違憲なので、デモ隊を逮捕起訴する根拠となった日米安保条約に基づく特別法も違憲、
したがって、逮捕起訴されたひとびとは無罪判決、という流れになります)。

最高裁は「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外」という理屈で、
伊達判決の違憲論をひっくり返しました。

この「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限り」というところに反論するために、「素直に読めば」とか「どう見ても」「正直」という
解釈論が振り回されるようになったのでしょう。言いたいことは、「素直に読めば、また、どんな読み方をしようとも正直なら」「違憲無効であると認められる」ということでしょう。知りませんが、たぶん言い出しっぺの学者なり新聞なりがいて、そのまねっこなのだろうとおもいます。

ただ、こういう解釈論を振り回すヒトビトも、法律一般、憲法一般について、いろんな
解釈論があって素直に読めたりしないということは、実は承知なのだろうとおもいます。
もちろん9条についてもいろんな解釈論があります。

ところが9条についての議論だけは、「素直に読めば」とか「どう見ても」「正直なら」と言いたくなっちゃうのは、
なぜなのだろうかと昔よくおもっていました。

伊達判決は1959年ですが、1964年の日本共産党第9回大会の報告では、次のような文章があります。
(もと共産党員の松崎いたるのツイッターからの引用です)。
https://twitter.com/itallmatuzaki/status/1660124942745362443/photo/1

同じようなことをおっしゃっている方々は、この場にたくさんいます。
1960年頃というのは、こういう考えがかなり支持されていたという時代背景抜きに、伊達判決は考えにくいと思いますが、いまの時代背景はどうでしょうか。

この文章からもう60年くらいたち、世界情勢も多少は変わった、共産党も少なくとも表面上は変わったと思うのですが、まあ、若い頃の思想に
今も酔い続け、変節した共産党は許さないというヒトビトが、9条についての議論だけは、「素直に読めば」とか「どう見ても」「正直なら」と言いたくなっちゃうということだといまは理解しています。

No.15 11ヶ月前

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