韓国とは別に対立する必要はないが、では親交を深めねばならないのだろうか。 歴史的に見て、長い間、朝鮮半島勢力と日本とは、とくに親交が深いわけではなかった。 では、中国大陸勢力とはそれぞれどうであろうか。日本は聖徳太子以来、大陸とは(国力に差があっても)対等であろうとする意識が「日本」の根底にある。朝鮮半島勢力は、中国大陸勢力の属国だった。 つまり、長い間、中国大陸勢力は朝鮮半島勢力を属国とし、日本はそれを免れ、一方日本と朝鮮半島勢力とは互いにとくに親しく国交しているというほどでもない。これが事実であった。 明治に日本が朝鮮を併合した背景には、中国大陸勢力が衰えた一方、米露や西欧勢力がアジアを侵略してきたという事情がある。この事情を背景に、地政学的に日本が無理矢理にでも朝鮮と連合することが合理的だと考える議論が当時は勝ったのだ(わたし自身は、最近書いたように、併合は大失敗ですべきではなかったと考えている)。 今後仮に、米露が衰え、西欧勢力も衰え、中国大陸勢力がさらに強くなっていくのなら、朝鮮半島勢力は中国大陸勢力の属国になり、日本はなんとか属国になるのを阻止すべく努力(古代には防人という例があった)するのが、歴史の習いである。属国になることは、苛烈であった支配の記憶の残る朝鮮半島勢力にとっては、恐怖であろう。現時点においても、ウイグルやチベットなどを横目で見ているし、同じような立場にあったベトナムは20世紀後半にあっても中国大陸勢力の侵略を受けている。 以上をまとめると、朝鮮半島勢力は、(中国大陸勢力を経済的に利用しつつも)心底では、中国大陸勢力を嫌悪しているし、日本は朝鮮半島勢力ほどではないが、朝鮮半島勢力と似た立場にある。朝鮮半島勢力と日本とは、もともととくに親交が深いわけではないが、一方でバラバラでは、中国大陸勢力にのみこまれるだけという心理がはたらくであろう。もしも米国などないと仮定してもそうなのだ。台湾もここに加えても良いだろう。 そして中国大陸勢力が強大であるほど、それと均衡をたもてる勢力、すなわち米国を意識することになる。あの北朝鮮ですら、独特の表現法ではあるが、米国とうまくやりたいと考えていると見ることもできる(トランプと金とはもう少しでうまくいきそうだった)。 米国さえなければアジアは何もかもうまくいくと思っているヒトビトが、見逃している、あるいは意識して見ようとしない現実である。
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孫崎享チャンネル
(ID:13458971)
韓国とは別に対立する必要はないが、では親交を深めねばならないのだろうか。
歴史的に見て、長い間、朝鮮半島勢力と日本とは、とくに親交が深いわけではなかった。
では、中国大陸勢力とはそれぞれどうであろうか。日本は聖徳太子以来、大陸とは(国力に差があっても)対等であろうとする意識が「日本」の根底にある。朝鮮半島勢力は、中国大陸勢力の属国だった。
つまり、長い間、中国大陸勢力は朝鮮半島勢力を属国とし、日本はそれを免れ、一方日本と朝鮮半島勢力とは互いにとくに親しく国交しているというほどでもない。これが事実であった。
明治に日本が朝鮮を併合した背景には、中国大陸勢力が衰えた一方、米露や西欧勢力がアジアを侵略してきたという事情がある。この事情を背景に、地政学的に日本が無理矢理にでも朝鮮と連合することが合理的だと考える議論が当時は勝ったのだ(わたし自身は、最近書いたように、併合は大失敗ですべきではなかったと考えている)。
今後仮に、米露が衰え、西欧勢力も衰え、中国大陸勢力がさらに強くなっていくのなら、朝鮮半島勢力は中国大陸勢力の属国になり、日本はなんとか属国になるのを阻止すべく努力(古代には防人という例があった)するのが、歴史の習いである。属国になることは、苛烈であった支配の記憶の残る朝鮮半島勢力にとっては、恐怖であろう。現時点においても、ウイグルやチベットなどを横目で見ているし、同じような立場にあったベトナムは20世紀後半にあっても中国大陸勢力の侵略を受けている。
以上をまとめると、朝鮮半島勢力は、(中国大陸勢力を経済的に利用しつつも)心底では、中国大陸勢力を嫌悪しているし、日本は朝鮮半島勢力ほどではないが、朝鮮半島勢力と似た立場にある。朝鮮半島勢力と日本とは、もともととくに親交が深いわけではないが、一方でバラバラでは、中国大陸勢力にのみこまれるだけという心理がはたらくであろう。もしも米国などないと仮定してもそうなのだ。台湾もここに加えても良いだろう。
そして中国大陸勢力が強大であるほど、それと均衡をたもてる勢力、すなわち米国を意識することになる。あの北朝鮮ですら、独特の表現法ではあるが、米国とうまくやりたいと考えていると見ることもできる(トランプと金とはもう少しでうまくいきそうだった)。
米国さえなければアジアは何もかもうまくいくと思っているヒトビトが、見逃している、あるいは意識して見ようとしない現実である。