Dr.U のコメント

<「男系」「女系」「双系」の概念について/血統論と相続論>

 うさぎです。このところツイッターに「#論破祭り」で書き込みをして男系固執派の人たちとやりあったりしているのですが、そこでちょっと気づいたことがあります。それは、男系固執派と女系公認派とでは「男系」「女系」の概念の意味に大きなずれがあり、それが議論の妨げになっているようだ、ということです。以下、やや長い文章になりますが、ご容赦ください。

 男系固執派にとって「男系」という概念は、《血統論》、即ちある社会集団における世代間の血のつながりに関する議論の枠組みにおける一概念です。そこでは、ある集団の成員が、「男系」すなわち「父の父の父の…」というラインを遡って、神的・英雄的な祖先(皇統でいえば神武など)にたどりつくことができる、ということが強調されます。ポイントは、この《血統論》には、「男系」という概念の他に「女系」すなわち「母の母の母の…」という概念があるのみで、この後に述べる「双系」という概念が存在しないということです。ですから、男系固執派に対して「双系」という言葉を持ち出しても、あまり話が通用しません。

 さて、この《血統論》の有用性は、「男系(あるいは女系)」に属する者だけが特定の社会的地位(皇位など)を継承することが出来る、というルールを集団内で定めることで、新たに継承者を定める際に、ある候補者を正当化したり、逆に排除したりすることが可能になる、という点にあると考えられます。

 このように《血統論》によって継承者の選定を行うことについては、ある時代にはそれはよく機能するかもしれませんし、別の時代には社会の他の様々な要素と衝突して機能不全を起こすかもしれません。言うまでもなく、現代日本では、それはもはや無理な状況にあります。

 以上が《血統論》における「男系」「女系」の概念ですが、私たち女系公認派が用いる「男系」「女系」そして「双系」の概念は、いわば《相続論》という枠組みにおける概念であると言えます。それらは、個人がいかにして《いくつもの世代をつらぬいて》特定の祖先と結びつくかということではなく、よりミクロに《ある世代と次の世代のあいだで》財産や地位がいかに相続・継承されるか、ということについて論じるための概念です。

 弘文堂の『文化人類学事典』の「相続」という項目には、次のように記されています。

「親族原理に基づく継承または相続の中から、文献に多出するものを以下に列挙する。①単系出自(unilineal descent)。集団成員権などが、父系(男系)または母系(女系)により継承されるシステム。…②双系制(non-unilineal or cognatic system)。財産、集団成員権などが、父方母方双方を通して代々継承される双系出自制(bilineal descent)、父母どちらか一方を通して継承される選系制(utrolateral system)、始祖から子孫へつながる出自でなく、単に世代間の継承が父母双方を通して行われる双方制または双側制(bilateral system)など雑多なシステムを一般に“双系制”とよんでいる。」(432頁)

 ここでは「②双系制」の最後に出てくる「双方制・双側制(bilateral system)」について一文が注目されます。この「双方制・双側制」では「始祖から子孫へつながる出自」というテーマは直接の関心事ではありません。そこで問題とされるのは、ある地位が父から子へと継承されるか(父系=男系による継承)、母から子へと継承されるか(母系=女系による継承)、あるいは、その両方であるか(双系による継承)、ということです。

 私たち女系公認派は、元明天皇→元正天皇への皇位継承は「女系」であると考えるわけですが、そのときは常に《相続論》における「双系制(双方制・双側制)」の枠組みにおいて「女系」という概念を用いています。そのため私たちが男系固執派に対して、元明天皇→元正天皇という「女系継承」の前例がある以上、もし愛子さまが即位されてその(将来の)お子様へと皇位が継承されることがあっても前代未聞というわけでは決してない、と主張したとしても、《血統論》の枠組みでのみ「女系」を理解する男系固執派には理解困難なものとなってしまいます。(彼らは元明→元正の継承は「女系」ではないというセリフを機械のように繰り返すことでしょう。)

 結論として、私たち女系公認派が目指すのは、かつて《血統論》に基づいて定められた「男系男子による継承」というルールを廃止し、その代わりに、《相続論》の枠組みに基づいた「男系(父から子へ)」と「女系(母から子へ)」のどちらでも皇位継承が認められる「双系継承」を、新たなる皇位継承のルールとして定めること、ということになるでしょう。
 
 最後に、天皇家の「血筋」について私たちはどう考えるのか、という問題が残ります。ここでは「血筋」は、集団の成員間の肉親的つながりのことを指します。この肉親的つながりを示すのにうっかり「血統」という言葉を用いると《血統論》の議論に回収されてしまう危険性があるので、ここでは「血筋」という言葉を用います。

 皇位の継承に関しては、従来の《血統論》における「男系」の原理は放棄されるべきです。しかし、だからといって皇位継承者が、現在の皇族とまったく別の「血筋」の人間であってもよい、というのも極端な考え方です。
 おそらくは国民の大多数の感覚では、皇位継承者は、父方あるいは母方のどちらかの「血筋」で皇族の御先祖とつながっていて、幼少の頃より皇族の皆様と生活を共にすることでその薫陶を受けながらお育ちになった方であれば、もう十分に皇位継承者たるにふさわしい、といったところではないでしょうか。
 ひとまず「血筋」の問題についてはこのくらいで抑えておいて、いつか将来、不幸にも現在の皇族の「血筋」からは皇位継承者が出せないかもしれない、ということになったときに、対策を考えればよいのではないでしょうか。(そのときにはローマ教皇やダライラマがどのように選出されるか、といったことについて研究が必要になるかもしれませんね…。)

 以上、皇位継承の問題における「男系」「女系」「双系」などの概念について、思うところを記させていただきました。なお、言うまでもないことですが、以上の話は高森先生の同テーマについての議論をふまえたものです。(高森明勅:双系という「やまとごころ」 https://www.a-takamori.com/post/210206 )

 うさぎでした

No.291 19ヶ月前

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