高校生時代から、「歴史を学ぶ」ということの教育に違和感を持っている。特に年代を含めて事件の内容より関係人物の名前などの暗記が強要され点数評価され合格不合格と判定されることである。事件に対する見解を問われることはない。 特に人間は事件を忘れられるから生きていけるのであって忘れられないとしたら生きていくことができないのではないか。多くの人が狂ってしまうのでしょう。生きていく秘訣は忘れることにあると高校時代から割り切って生きてきた。 戦争だけでなく悲惨な事実は世の中にいっぱいあり、事実は事実として心に刻むことは人間として必要なことであり心を寄せることがあって当然である。ただ、事件というものは加害者と被害者がおり大きく見れば被害者だけでなく加害者にもそれなりの事由があり双方の気持ちを心に移入すると判断に戸惑うことがしばしば起きる。 物事ってものは見る人によって好ましいものであり、時と場所が異なれば好ましいものでなくなってしまう。やはりこの疑問にまともに対峙する時期があってしかるべきであるがその時期を外すと自分の見たことを正義とみて他の見方を排除することが多くなってしまうのでしょう。 心を白紙にして絵画を見て日本人は関心を持たないというより、見たことに対する見解を求められても回答することに戸惑うということがあるのでしょう。よく理解できる。
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孫崎享チャンネル
(ID:18367902)
高校生時代から、「歴史を学ぶ」ということの教育に違和感を持っている。特に年代を含めて事件の内容より関係人物の名前などの暗記が強要され点数評価され合格不合格と判定されることである。事件に対する見解を問われることはない。
特に人間は事件を忘れられるから生きていけるのであって忘れられないとしたら生きていくことができないのではないか。多くの人が狂ってしまうのでしょう。生きていく秘訣は忘れることにあると高校時代から割り切って生きてきた。
戦争だけでなく悲惨な事実は世の中にいっぱいあり、事実は事実として心に刻むことは人間として必要なことであり心を寄せることがあって当然である。ただ、事件というものは加害者と被害者がおり大きく見れば被害者だけでなく加害者にもそれなりの事由があり双方の気持ちを心に移入すると判断に戸惑うことがしばしば起きる。
物事ってものは見る人によって好ましいものであり、時と場所が異なれば好ましいものでなくなってしまう。やはりこの疑問にまともに対峙する時期があってしかるべきであるがその時期を外すと自分の見たことを正義とみて他の見方を排除することが多くなってしまうのでしょう。
心を白紙にして絵画を見て日本人は関心を持たないというより、見たことに対する見解を求められても回答することに戸惑うということがあるのでしょう。よく理解できる。