それでは感想です。 1. ゴーマニズム宣言・第417回「アフガン撤退」 私は史料検証というと、同時代性も重要だと思いますが、「その時代には言えなかった真実」にも気を留めます。伊藤隆さんがどのように語られているか否かは分かりませんが、例えば大久保彦左衛門の『三河物語』も、後世になって解禁されたように、徳川家康、および家臣団について都合の悪いことを語っているわけですよね。同時代だと『日本書紀』は「天武および持統天皇系統が正統である」、『続日本紀』だと最終的には「天智天皇の血をひく光仁・桓武天皇の系統が正統で、彼らは政治を立て直そうとしている」という編纂目的があって、それに沿った記述になってしまうわけです。日本には怨霊鎮魂とか、木簡などの考古学的遺物があるから、それを多少是正することも可能ですが、大陸だと、前の王朝は悪政を行ったために徳を失い、「革命」で潰れたという思想があるため、必ず暴君が現れ、天命が改まったことにされるから、真実の歴史を語るのは、困難か、不可能に近いような気がします。これは国民党から共産党へと(戦争で)政権が交替した場合にも当てはまります。朝鮮半島もそれと似たようなもので、ローマの皇帝も、よく似ているように感じます。語る人の立場によっても異なるのでしょう。 それでも、事件の起きた同時代の人が記した記述が記憶の問題もあり、事実関係については正確なのでしょう。でも。それは真実なのか、となると、先に記したように「立場」の問題も出てくるのだろうと思います。 で、このアフガンスタン問題について言うなら、タリバンが人権無視の政治を行い、バーミヤンの石仏を破壊するなど、暴挙を尽くしたから、アメリカ合衆国が懲らしめてやったんだ、というのが親米派の立場であり、また事実でもあるのでしょう(少なくとも自分の乏しい知識では)。しかし、伝染病にも人種やその土地の風土によってひろがり方が異なるように、アフガニスタンではアフガニスタンの事情があって、それを欧米の基準で評価するのには無理があったのでしょう。私はバーミヤン石仏だけでも国連管理区域にできなかったのか、とか思いますが、その地域の事情に合った統治を行うのが真理なのではないか、と思います(ただ、チベットとかウイグルとか香港については、明らかに「中国」の侵掠で、その地域の事情を鑑みるなら、チベットやウイグルや香港の事情でしょう)。 私も子供の頃、「戸締まり用心火の用心」のCMで育った人間なので、世界の人間は兄弟みたいなものだと思っていましたが(実際、スポンサーを務めていた「一休さん」でそのような描写があったのを覚えています)、兄弟だからこそ、相容れない部分もあるのだろうし、育った環境が違うと、別のものになってしまうのかな、と思います。アフリカとインドの両方にライオンや象は生息していますが、ひとくくりで同類には見られないわけですよね。 高島俊男さんの本に『漢字と日本人』があるのですが、うろおぼえですが、こんなことが記してあったような気がします。世界の人間は好き勝手に別々に遊んでいる子供のようなもので、同じルールが通用しないのだ、と。そのことを自称保守論客者は再考しなければいけないのではないか、歴史にも共通する事象もあれば、その地域にしか該当しない「特徴」もある。日本は島国だったので、支那の王朝からの侵掠を(元寇などを除くと)受けることがなかった。しかし、現代は交通の便も格段と上がっており、尖閣諸島など侵掠される恐れがある。そのことを考えたら、合衆国と組まなければならないのだろう。しかし、それは属国に墮ちることではなく、あくまでも協力体制でなければならない。アメリカにはアメリカの遊び方があるように、日本には日本の遊戯がある。中東などでも同じ。そう思わないと、意見の押しつけ、思想の強制になり、真の意味での国際交流などあり得ないのではないか、と思いました。 そして、長くなったので、簡単にしますが、私たちは「殷鑑遠からず」・「前車の轍を踏まず」で、失敗から学ぶ必要はあるのだろうと思います。孔子も「人の過ちは各その党においてす。過ちを観てここに仁を知る」とか言っているんですよね。これはよい意味での失敗を言っているのだけれども、悪い意味でのミスにも当てはまることで、なぜこうなったのかを知ることは、同じ事をしないための義務や責任だろうと思います。 少し疲れたので、木蘭さんの方はまた後にします、と言いつつ、もう3回目。日にちがかわってからにします。 今日はオドレら正気か?の日です。忘れずにみんなで見ましょう。タイムシフトでも。
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それでは感想です。
1. ゴーマニズム宣言・第417回「アフガン撤退」
私は史料検証というと、同時代性も重要だと思いますが、「その時代には言えなかった真実」にも気を留めます。伊藤隆さんがどのように語られているか否かは分かりませんが、例えば大久保彦左衛門の『三河物語』も、後世になって解禁されたように、徳川家康、および家臣団について都合の悪いことを語っているわけですよね。同時代だと『日本書紀』は「天武および持統天皇系統が正統である」、『続日本紀』だと最終的には「天智天皇の血をひく光仁・桓武天皇の系統が正統で、彼らは政治を立て直そうとしている」という編纂目的があって、それに沿った記述になってしまうわけです。日本には怨霊鎮魂とか、木簡などの考古学的遺物があるから、それを多少是正することも可能ですが、大陸だと、前の王朝は悪政を行ったために徳を失い、「革命」で潰れたという思想があるため、必ず暴君が現れ、天命が改まったことにされるから、真実の歴史を語るのは、困難か、不可能に近いような気がします。これは国民党から共産党へと(戦争で)政権が交替した場合にも当てはまります。朝鮮半島もそれと似たようなもので、ローマの皇帝も、よく似ているように感じます。語る人の立場によっても異なるのでしょう。
それでも、事件の起きた同時代の人が記した記述が記憶の問題もあり、事実関係については正確なのでしょう。でも。それは真実なのか、となると、先に記したように「立場」の問題も出てくるのだろうと思います。
で、このアフガンスタン問題について言うなら、タリバンが人権無視の政治を行い、バーミヤンの石仏を破壊するなど、暴挙を尽くしたから、アメリカ合衆国が懲らしめてやったんだ、というのが親米派の立場であり、また事実でもあるのでしょう(少なくとも自分の乏しい知識では)。しかし、伝染病にも人種やその土地の風土によってひろがり方が異なるように、アフガニスタンではアフガニスタンの事情があって、それを欧米の基準で評価するのには無理があったのでしょう。私はバーミヤン石仏だけでも国連管理区域にできなかったのか、とか思いますが、その地域の事情に合った統治を行うのが真理なのではないか、と思います(ただ、チベットとかウイグルとか香港については、明らかに「中国」の侵掠で、その地域の事情を鑑みるなら、チベットやウイグルや香港の事情でしょう)。
私も子供の頃、「戸締まり用心火の用心」のCMで育った人間なので、世界の人間は兄弟みたいなものだと思っていましたが(実際、スポンサーを務めていた「一休さん」でそのような描写があったのを覚えています)、兄弟だからこそ、相容れない部分もあるのだろうし、育った環境が違うと、別のものになってしまうのかな、と思います。アフリカとインドの両方にライオンや象は生息していますが、ひとくくりで同類には見られないわけですよね。
高島俊男さんの本に『漢字と日本人』があるのですが、うろおぼえですが、こんなことが記してあったような気がします。世界の人間は好き勝手に別々に遊んでいる子供のようなもので、同じルールが通用しないのだ、と。そのことを自称保守論客者は再考しなければいけないのではないか、歴史にも共通する事象もあれば、その地域にしか該当しない「特徴」もある。日本は島国だったので、支那の王朝からの侵掠を(元寇などを除くと)受けることがなかった。しかし、現代は交通の便も格段と上がっており、尖閣諸島など侵掠される恐れがある。そのことを考えたら、合衆国と組まなければならないのだろう。しかし、それは属国に墮ちることではなく、あくまでも協力体制でなければならない。アメリカにはアメリカの遊び方があるように、日本には日本の遊戯がある。中東などでも同じ。そう思わないと、意見の押しつけ、思想の強制になり、真の意味での国際交流などあり得ないのではないか、と思いました。
そして、長くなったので、簡単にしますが、私たちは「殷鑑遠からず」・「前車の轍を踏まず」で、失敗から学ぶ必要はあるのだろうと思います。孔子も「人の過ちは各その党においてす。過ちを観てここに仁を知る」とか言っているんですよね。これはよい意味での失敗を言っているのだけれども、悪い意味でのミスにも当てはまることで、なぜこうなったのかを知ることは、同じ事をしないための義務や責任だろうと思います。
少し疲れたので、木蘭さんの方はまた後にします、と言いつつ、もう3回目。日にちがかわってからにします。
今日はオドレら正気か?の日です。忘れずにみんなで見ましょう。タイムシフトでも。