ゴー宣ブログ「『感染対策』の名の下に行われていること」を読みました。 https://www.gosen-dojo.com/blog/29768/ 放課後等デイサービスで働いている身として、非常にやるせない思いがしました。 私の働く施設でも、職員はマスク必着です。 マスクの効果が限定的であることは理事長も理解していますが、「最大限の防御を」ということらしいです。 ただし屋外では外してもいいとしています。 私は散歩で外に一歩出た瞬間に外します。 子供たちはマスクをしてもしなくても自由なのですが、殆どの子供は着け(させられ)ています。 しかしマスクの上部分を口に入れて涎まみれにしていたり、 一度外して、外したことを忘れて床に落としたまま遊び、後で気付いて着け直したりしています。 わざわざ雑菌を培養して摂取している状態です。「最大限の感染促進」です。 他方、「マスクしてると息苦しい」と訴える子もいます。 こうした状況を見つけたら、私は速やかに「外せばいいよ」「そのマスクはもう不潔だから付けないで」と指導します。 ただここで難しいのは、大人たちの対応の違いに、子供たちが混乱する恐れがあることです。 子供たちは学校や家庭、テレビでは「マスクをしましょう」と指導されています。 しかし放課後デイに行くと「マスクしなくていいよ」と言う先生がいる。 子供は「どっちが正しいの?」と混乱して、マスクそのものとは別のストレスが生じる可能性があります。 特に私の施設に通うのは発達障害のある子供たちで、そのストレスをより大きく感じる子たちです。 本当は「マスクなんて意味ないよ。神に与えられた呼吸を存分に味わって元気に遊ぼうね」と言いたいです。 しかし現状において、それを言うことが子供たちのためになるのか。 私の自己満足にならないか。 悩ましいところです。 施設に、とある小学1年生の女児が通っています。 この子は染色体に異常があり、多くは乳児期に亡くなってしまう病気があります。 何がきっかけで、それこそ風邪ひとつで万が一の事態が起きないか、我々職員も気にかけているし、保護者はその比ではありません。 その子は市販のマスクを受け付けないので、母親の手作りマスクをしています。 毛糸を編んだマスクです。網目が肉眼で見えます。マスクとしての効果は皆無です。 親から愛情を受けていることが分かって、その点においてのみ「良かったね」と思います。 「マスクなんて意味ない」と言いたいのは山々ですが、もしこの子がコロナに感染したら、そのように言う保育職員は、どういう存在として見られるのだろうか。 特に親御さんにとっては、預かった子供の命を軽視していると思われるかもしれません。 コロナによる子供の死亡者が、日本においてゼロだという事実があっても。 常々迷いながら接しています。 まあしかし、最終的には子供たち本人との関係で考えるべきだとは思います。 利用者は親ではなく子供たちなので、利用者本人にとって満足できるサービスを提供するべきです。 「マスク着用」の淀んだ空気を滞留させることは、子供たち(利用者)の利益を明確に侵害しています。 マスク全体主義の中で、自分にできることを引き続き模索していきます。
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ゴー宣ブログ「『感染対策』の名の下に行われていること」を読みました。
https://www.gosen-dojo.com/blog/29768/
放課後等デイサービスで働いている身として、非常にやるせない思いがしました。
私の働く施設でも、職員はマスク必着です。
マスクの効果が限定的であることは理事長も理解していますが、「最大限の防御を」ということらしいです。
ただし屋外では外してもいいとしています。
私は散歩で外に一歩出た瞬間に外します。
子供たちはマスクをしてもしなくても自由なのですが、殆どの子供は着け(させられ)ています。
しかしマスクの上部分を口に入れて涎まみれにしていたり、
一度外して、外したことを忘れて床に落としたまま遊び、後で気付いて着け直したりしています。
わざわざ雑菌を培養して摂取している状態です。「最大限の感染促進」です。
他方、「マスクしてると息苦しい」と訴える子もいます。
こうした状況を見つけたら、私は速やかに「外せばいいよ」「そのマスクはもう不潔だから付けないで」と指導します。
ただここで難しいのは、大人たちの対応の違いに、子供たちが混乱する恐れがあることです。
子供たちは学校や家庭、テレビでは「マスクをしましょう」と指導されています。
しかし放課後デイに行くと「マスクしなくていいよ」と言う先生がいる。
子供は「どっちが正しいの?」と混乱して、マスクそのものとは別のストレスが生じる可能性があります。
特に私の施設に通うのは発達障害のある子供たちで、そのストレスをより大きく感じる子たちです。
本当は「マスクなんて意味ないよ。神に与えられた呼吸を存分に味わって元気に遊ぼうね」と言いたいです。
しかし現状において、それを言うことが子供たちのためになるのか。
私の自己満足にならないか。
悩ましいところです。
施設に、とある小学1年生の女児が通っています。
この子は染色体に異常があり、多くは乳児期に亡くなってしまう病気があります。
何がきっかけで、それこそ風邪ひとつで万が一の事態が起きないか、我々職員も気にかけているし、保護者はその比ではありません。
その子は市販のマスクを受け付けないので、母親の手作りマスクをしています。
毛糸を編んだマスクです。網目が肉眼で見えます。マスクとしての効果は皆無です。
親から愛情を受けていることが分かって、その点においてのみ「良かったね」と思います。
「マスクなんて意味ない」と言いたいのは山々ですが、もしこの子がコロナに感染したら、そのように言う保育職員は、どういう存在として見られるのだろうか。
特に親御さんにとっては、預かった子供の命を軽視していると思われるかもしれません。
コロナによる子供の死亡者が、日本においてゼロだという事実があっても。
常々迷いながら接しています。
まあしかし、最終的には子供たち本人との関係で考えるべきだとは思います。
利用者は親ではなく子供たちなので、利用者本人にとって満足できるサービスを提供するべきです。
「マスク着用」の淀んだ空気を滞留させることは、子供たち(利用者)の利益を明確に侵害しています。
マスク全体主義の中で、自分にできることを引き続き模索していきます。