>>104 >>74 夜分遅くに申し訳ありません! 先程、コメントさせてもらったら、コメント記入に、時間がかかりすぎて、送信出来なかったので、 かなり割愛して、コメントさせてもらいます。 多分ですが、戦争と、ホロコーストと、民族浄化が、ごちゃ混ぜになってしまっているような印象を受けてしまいましたが、真の保守とは、庶民の常識であるから、かたよった危険思考とは、全くの別物だと、わたしは、認識しているので、だから、ここでおっしゃっている、日本も、自国民を守るために、自国の国軍を持つことは、大量殺人をしたいがためとか、日本人だけ、良ければ、それでいいと言う発想とは、全然違うものだと、そう思っています。 ただ、戦争となったときに、綺麗ごとではなく、人を殺めることとなる。 だけど、それと、お年寄りから、子供まで、遺伝子にわたるまで、抹殺することと、どのように、繋がっていくのか、正直なところ、今のわたしには、よく理解ができませんでした。ごめんなさい。それだと、本当に、右とか、左とか、思想やイデオロギーの問題ではなく、ホロコーストや、民族浄化を容認していることと、おんなじになってしまうと、そう思ってしまいました。真の保守とは、庶民の常識なので、やっぱり、そんなふうにかたよった、危険思考を容認している訳でもなく、むしろ、反対の意見しかないように、思ったのですが。 戦争は、ホロコーストでも、民族浄化でもなく、本来なら、国家間の話し合いでは済まなくなったことへの、武力行使。それでも、本当は、国際法にのっとっての、武力行使にならないとダメな訳だから、大量殺人がしたいがための、戦争や、自国の国軍を持つことではなく、自分たちの命は、自分たちで、守るしかないときもあって、その時は、いわば、戦争も、その戦争ないで、戦地で、敵国となった、他国民との戦いにおいて、人を殺めることもある。 それは、綺麗ごとでは済まない話しだけれど、でも、実際に、戦争に行って、戦ってきた、自分たちの祖父たちも、大量殺人がしたかったわけでも、日本人だけよければ、ほかの国民は、どうなっても良いとは、思っていなかったからこそ、戦争が終わっても、自分の命が、尽きるまで、自身のなかで、ずっと、自分のしてきたことと、戦い続けて亡くなっていったように、わたしには、みえました。 日本にも、優生保護法があったように、戦争でなくても、ホロコーストだと、わたしみたいな、障害者は、まさに真っ先に殺されてしまうわけですが、だからと言って、わたし自身は、自分が、差別されたときなどに、憤りを感じることはあっても、そこが他者への殺意とは、ならないです。それは、別に善人ぶりたいわけではなくて、わたし自身が、障害者となった、ひとつのきっかけに、自身のトラウマがありますが、自分が、本当に、命の危機や、死と言うもの、人の本当の殺意や狂気を一度でも感じてしまうと、そんなに簡単には、自分自身の持つ憤りが、殺意になることはないです。 それは、わたしが、戦後に、祖父たちも戦ってであろう、トラウマとの戦いの最中で、恐怖から、思考停止状態に陥っていて、正常な人間の感覚を持てないからなのか?もしくは、昔の朝鮮の女性みたいに、自分の過酷な現状や現実に、目をつむって、自分自身の置かれた状況を、奴隷状態ではない、愛されているからだと、そう思っていないと、自分自身が、自分の現状を、受け入れて、消化して生きていくことすら、ままならなくなるからなのか?その状態が、日本が、属国であり続けているみたいに、恐怖にだけ囚われて、戦う覚悟も、気概もなくして、暴力や、それを良しとしてしまった、この世間に、従順になってしまっているだけなのか、と、自問自答すれば、全部が、その通りだとしか、言えない状態ですが、だからといって、わたし自身は、この状態を無敵な人として、社会や世間への、憎悪で終わらせるのではなく、自分自身が、された不当な扱いや、人間としての侮辱は、それで良しとする訳ではなく、もっと建設的に、わたしも、勉強して、自分にできることを、探していきたいと、そう思っています。 うーん、ちゃんと、質問への、何かの答えとなっていればいいのですが、今のわたしには、これくらいしか、答えることが、できななくて、本当に、申し訳ないです。 そして、夜分遅くになり、申し訳ありませんでした!
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(ID:89103599)
>>104
>>74
夜分遅くに申し訳ありません!
先程、コメントさせてもらったら、コメント記入に、時間がかかりすぎて、送信出来なかったので、
かなり割愛して、コメントさせてもらいます。
多分ですが、戦争と、ホロコーストと、民族浄化が、ごちゃ混ぜになってしまっているような印象を受けてしまいましたが、真の保守とは、庶民の常識であるから、かたよった危険思考とは、全くの別物だと、わたしは、認識しているので、だから、ここでおっしゃっている、日本も、自国民を守るために、自国の国軍を持つことは、大量殺人をしたいがためとか、日本人だけ、良ければ、それでいいと言う発想とは、全然違うものだと、そう思っています。
ただ、戦争となったときに、綺麗ごとではなく、人を殺めることとなる。
だけど、それと、お年寄りから、子供まで、遺伝子にわたるまで、抹殺することと、どのように、繋がっていくのか、正直なところ、今のわたしには、よく理解ができませんでした。ごめんなさい。それだと、本当に、右とか、左とか、思想やイデオロギーの問題ではなく、ホロコーストや、民族浄化を容認していることと、おんなじになってしまうと、そう思ってしまいました。真の保守とは、庶民の常識なので、やっぱり、そんなふうにかたよった、危険思考を容認している訳でもなく、むしろ、反対の意見しかないように、思ったのですが。
戦争は、ホロコーストでも、民族浄化でもなく、本来なら、国家間の話し合いでは済まなくなったことへの、武力行使。それでも、本当は、国際法にのっとっての、武力行使にならないとダメな訳だから、大量殺人がしたいがための、戦争や、自国の国軍を持つことではなく、自分たちの命は、自分たちで、守るしかないときもあって、その時は、いわば、戦争も、その戦争ないで、戦地で、敵国となった、他国民との戦いにおいて、人を殺めることもある。
それは、綺麗ごとでは済まない話しだけれど、でも、実際に、戦争に行って、戦ってきた、自分たちの祖父たちも、大量殺人がしたかったわけでも、日本人だけよければ、ほかの国民は、どうなっても良いとは、思っていなかったからこそ、戦争が終わっても、自分の命が、尽きるまで、自身のなかで、ずっと、自分のしてきたことと、戦い続けて亡くなっていったように、わたしには、みえました。
日本にも、優生保護法があったように、戦争でなくても、ホロコーストだと、わたしみたいな、障害者は、まさに真っ先に殺されてしまうわけですが、だからと言って、わたし自身は、自分が、差別されたときなどに、憤りを感じることはあっても、そこが他者への殺意とは、ならないです。それは、別に善人ぶりたいわけではなくて、わたし自身が、障害者となった、ひとつのきっかけに、自身のトラウマがありますが、自分が、本当に、命の危機や、死と言うもの、人の本当の殺意や狂気を一度でも感じてしまうと、そんなに簡単には、自分自身の持つ憤りが、殺意になることはないです。
それは、わたしが、戦後に、祖父たちも戦ってであろう、トラウマとの戦いの最中で、恐怖から、思考停止状態に陥っていて、正常な人間の感覚を持てないからなのか?もしくは、昔の朝鮮の女性みたいに、自分の過酷な現状や現実に、目をつむって、自分自身の置かれた状況を、奴隷状態ではない、愛されているからだと、そう思っていないと、自分自身が、自分の現状を、受け入れて、消化して生きていくことすら、ままならなくなるからなのか?その状態が、日本が、属国であり続けているみたいに、恐怖にだけ囚われて、戦う覚悟も、気概もなくして、暴力や、それを良しとしてしまった、この世間に、従順になってしまっているだけなのか、と、自問自答すれば、全部が、その通りだとしか、言えない状態ですが、だからといって、わたし自身は、この状態を無敵な人として、社会や世間への、憎悪で終わらせるのではなく、自分自身が、された不当な扱いや、人間としての侮辱は、それで良しとする訳ではなく、もっと建設的に、わたしも、勉強して、自分にできることを、探していきたいと、そう思っています。
うーん、ちゃんと、質問への、何かの答えとなっていればいいのですが、今のわたしには、これくらいしか、答えることが、できななくて、本当に、申し訳ないです。
そして、夜分遅くになり、申し訳ありませんでした!