私もこれまで『ゴー宣』を読んできましたので、『差別論』が「国民皆同胞」にどのようにアップグレードされたかは、すんなり理解できます。ο(^ᵕ^)イエス♪ 「国民」という概念によって、差別は乗り越えられる!と。 で、どうしてもぶち当たるのは、「国民とは?」という命題。 そこで考えますのは「ゴー宣道場」。 「公論の場」とは、つまり「“国民”として議論しよう」ということでもあると思います。 それと、「ゴー宣道場」の3大目標は、何れも“国民”として当然考え取り組むべき課題といえると思います。 以上を踏まえ、「ゴー宣道場」の笹・泉美両女性師範、及びちぇぶ氏を筆頭とした女性門下生たちの活躍について考えますと、 「女性が輝く」というのは、女性たちが「国民」として、健全な自尊心・ナショナリズムを持つことではないか?と。σ(゜°) 以前、心理学か何かの本で読んだ覚えがあるのですが(多くの人が思い当たる話と思いますが)、 人間は、職場等において、自分はその中で重要な存在だと、責任感・使命感を感じるようになると、 どんどん主体性・積極性・熱意・活発さを発揮するようになって、どんどん伸びていくと。 逆に、無能、役立たず、いてもいなくても同じ、いくらでも代えがきく、なんて感じていると、いつまでもダメなまま…と。 つまり、女性たちが「国民」としての責任責務を主体的に担い、実際に国を動かすだけの力ある存在となれば、そう感じるような環境になれば・・・?щ(・ω・щ) であるならば、思うことは2つ。 「女性が輝く」ためには、「男性」もまた「国民」として健全な自尊心・ナショナリズムを持たなければならないのでは?ということ。 そもそも、日本の男性って今輝いているか? 不健全な価値観の中で主体性を発揮しても、そら歪んだ方向に伸びていくだけ…。 自分の国の野郎共が「男尊女卑」、或いは「従米・媚米」、或いはただの「銭ゲバ」であれば、 どうして女たちもその国の「国民」として健全に誇れる? 何の落ち度もあるわけではないのに、女性は“国民の象徴”に相応しからぬなんて伝統の国なら、 どうして女性たちはその国の「国民」として輝ける? とにかく噛みつかせる役として扱われるという女性議員たちが、「国民の代表」としての誇りと責任をもっていい仕事ができる? そして、「国民」について考えることになるなら、私の大好きな『民主主義という病い』や『新・堕落論』も当然絡んでくることになり、 より複雑で面白い議論になってくるのかな?と。 複雑なものが解きほぐれていく、解きほぐしていく楽しさ♪快感♪((^щ^ ))ンフゥ♡ 「男は理想を求めて生きる。女は本能のままに生きる」なんて言葉も、何かで読んだ覚えがありますが、果たして? レハール作曲のオペレッタ『メリー・ウィドウ』に、 「女の研究は易しくないよ 理論も立てられぬ 男はみんなとりこにされる」という、底抜けに楽しいナンバーがありますが、 「ゴー宣道場」は果たして●「どうなる?どうなる?ドナルド・トランプ?(今生まれたて!の創作茶魔語。女の子です?)」 …というわけで、もはや「女性が輝く」のに妨げになっている奴らなんざ、 ●「ど出雲こ出雲大社ことなか!(どいつもこいつも大したことなか)」 ●「よー四国カルストレートに攻めるっしゅ!(よし、ここからストレートに…)」 ●「皆様が鰹のたたき待してましゅ(勝つのをただ期待してます)」°⌖꙳✧˖ο(°▽゜)9 以上、中四国道場応援創作茶魔語セレクションでした♪どうもお粗末さまでした。 オマケ:日本の女性の輝きが●「もうツクヨミカフェりましゅよ♪(もうすぐ蘇りますよ)」
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私もこれまで『ゴー宣』を読んできましたので、『差別論』が「国民皆同胞」にどのようにアップグレードされたかは、すんなり理解できます。ο(^ᵕ^)イエス♪
「国民」という概念によって、差別は乗り越えられる!と。
で、どうしてもぶち当たるのは、「国民とは?」という命題。
そこで考えますのは「ゴー宣道場」。
「公論の場」とは、つまり「“国民”として議論しよう」ということでもあると思います。
それと、「ゴー宣道場」の3大目標は、何れも“国民”として当然考え取り組むべき課題といえると思います。
以上を踏まえ、「ゴー宣道場」の笹・泉美両女性師範、及びちぇぶ氏を筆頭とした女性門下生たちの活躍について考えますと、
「女性が輝く」というのは、女性たちが「国民」として、健全な自尊心・ナショナリズムを持つことではないか?と。σ(゜°)
以前、心理学か何かの本で読んだ覚えがあるのですが(多くの人が思い当たる話と思いますが)、
人間は、職場等において、自分はその中で重要な存在だと、責任感・使命感を感じるようになると、
どんどん主体性・積極性・熱意・活発さを発揮するようになって、どんどん伸びていくと。
逆に、無能、役立たず、いてもいなくても同じ、いくらでも代えがきく、なんて感じていると、いつまでもダメなまま…と。
つまり、女性たちが「国民」としての責任責務を主体的に担い、実際に国を動かすだけの力ある存在となれば、そう感じるような環境になれば・・・?щ(・ω・щ)
であるならば、思うことは2つ。
「女性が輝く」ためには、「男性」もまた「国民」として健全な自尊心・ナショナリズムを持たなければならないのでは?ということ。
そもそも、日本の男性って今輝いているか?
不健全な価値観の中で主体性を発揮しても、そら歪んだ方向に伸びていくだけ…。
自分の国の野郎共が「男尊女卑」、或いは「従米・媚米」、或いはただの「銭ゲバ」であれば、
どうして女たちもその国の「国民」として健全に誇れる?
何の落ち度もあるわけではないのに、女性は“国民の象徴”に相応しからぬなんて伝統の国なら、
どうして女性たちはその国の「国民」として輝ける?
とにかく噛みつかせる役として扱われるという女性議員たちが、「国民の代表」としての誇りと責任をもっていい仕事ができる?
そして、「国民」について考えることになるなら、私の大好きな『民主主義という病い』や『新・堕落論』も当然絡んでくることになり、
より複雑で面白い議論になってくるのかな?と。
複雑なものが解きほぐれていく、解きほぐしていく楽しさ♪快感♪((^щ^ ))ンフゥ♡
「男は理想を求めて生きる。女は本能のままに生きる」なんて言葉も、何かで読んだ覚えがありますが、果たして?
レハール作曲のオペレッタ『メリー・ウィドウ』に、
「女の研究は易しくないよ 理論も立てられぬ 男はみんなとりこにされる」という、底抜けに楽しいナンバーがありますが、
「ゴー宣道場」は果たして●「どうなる?どうなる?ドナルド・トランプ?(今生まれたて!の創作茶魔語。女の子です?)」
…というわけで、もはや「女性が輝く」のに妨げになっている奴らなんざ、
●「ど出雲こ出雲大社ことなか!(どいつもこいつも大したことなか)」
●「よー四国カルストレートに攻めるっしゅ!(よし、ここからストレートに…)」
●「皆様が鰹のたたき待してましゅ(勝つのをただ期待してます)」°⌖꙳✧˖ο(°▽゜)9
以上、中四国道場応援創作茶魔語セレクションでした♪どうもお粗末さまでした。
オマケ:日本の女性の輝きが●「もうツクヨミカフェりましゅよ♪(もうすぐ蘇りますよ)」