青ネギさん、コメントありがとうございます! 夜分遅くになってしまい、本当に、申し訳ありません。 はじめまして!まみと申します。 なんだか、わたしは、ここのライジングのコメント投稿を、性犯罪被害者から、入ったので、 そのことを、隠れ蓑にして、偉そうなことを、散々言ってきた、自分が、恥ずかしいです。 青ネギさんの、おっしゃること、本当に、よくわかります。 わたしも、自分の人生で、本当に、見に染みてきたと言うか、 自分自身が、精神疾患から、精神障害者になるまで、 わたし自身には、今まで、自分自身が受けてきた、精神疾患に関する、人々の、偏見や、差別心みたいなものがなくて、むしろ、周りの子達が、苦しんでいる、苦しみの根源は、 大人や学校の先生、世の中の言う通りに、個人の人格論や根性論、精神論で、語り尽くしたところで、なんの解決にもならないどころか、余計に、悩み、苦しんでいるひとたちを、追い詰めて追い込んでいるだけだと、そう思っていて、もっと、日本の世の中にも、心理学や、精神医学、福祉について、ちゃんと、勉強して、精神医療、カウンセリング、セラピーなどが、社会の中で、身近にあるべきではなどと、生意気にも、よしりん先生の作品と、出会った、中学生の頃、考えており、大学で、そういうことに関して、きちんと学んで、福祉、教育、医療、地方行政などの、現場で、自分の生きる場所を見つけたい、自分の理想や夢の実現を、できる仕事を探して、世の中に、ちゃんと、働きながら、現場で闘いながら、精神疾患や医療や、福祉について、自分自身の理想を、現実のものとして、落とし込んでいけたらなどと、本当に、生意気なことを夢みていた、中学生でした。 個人的、話しすぎてごめんなさい。そんな生意気なわたしが、ある日を境に、自分自身が、精神疾患の当事者となり、今では、社会的入院だと言われて、座敷牢と変わらないから、精神障害者も、地域の中で、生活をと、スローガンだけは、素敵なものでも、実際には、その実現は、ほど遠くて、 多くの、精神疾患や、精神障害で、苦しんでいるひとは、その病いとの闘いではなくて、 自分自身の、情けなさとも、社会や、世の中からの、声とも、本当に、いろんなものを背負うことになり、わたし自身、何と闘っているのか、よくわからなくなることが、本当に、よくあります。 なんで?他の病気や、障害では、言われないことが、精神疾患や、精神障害者だと、言われるのか? 自分自身が、世の中の無理解と、理不尽さに、腹をたてながらも、自分自身の、いろんな現実をも、受け入れることが、できない日々のなかで、凄い年数が経ち、いい歳となったら、今度は、若い頃と違って、もう憤りだけでは、 自分の生きている、意味や、意義が、見出せなくなって、治療を続けてまで、生きていく意味ってあるのかなと、希死念慮ではなくて、自身の存在意義が、全くわからなくなることがあります。 それは、今でも、変わってはなくて、それでも、わたし自身が、あの時、殺すぞ、だから言うことを聞けと言われて、本当に、死にたくない、そう思って、死なない為に、生きる為に、自分が、受け入れて、言いなりになった。あそこまでして、あの時の、自分が、生きようとしたならば、自分が、本当に、自殺してしまうまでは、死んでしまうまでは、やっぱり、負けたくないなぁと、それは、性犯罪についての、無理解や、偏見、精神疾患についての、無理解や偏見、精神障害者の置かれている、苦しい現状を、この無理解と偏見のなかで、なかったことにされたままなのは、やっぱり嫌だと言う、わたしのただのわがままなのか、なんなのか、自分自身でも、いまだによくわかっていませんが、名もなきひとの、声なき声のままで、終わらせたくなくて、やっぱり、自分の人生をもって、結果、何もできないかもしれないけれども、ほんの小さな布石ぐらいには、なれたらいいなあと思って、やっぱり頑張って生きたいと、最近やっとそう思えるようになってくれたところです。 社会的な、生産性は、ひととしての自立と、今の世の中では、どうしても、イコールにされてしまうし、自分自身が、ひととしての、自立と、社会的な生産性を、自分自身に求めてしまうところがあって、どんな雇用形態であろうとも、働いてみたい、働きたいと、そう思ってしまいます。実際には、障害者年金も、障害者手帳も、自立支援受給者証も、あらゆる福祉制度の恩恵を受けながら、わたし自身は、障害者の、デイケアの一環で、働く体験を、させてもらったことしかなく、作業所の段階まで、いくこともできないままで、自分が、ひとりの人間として、人としての、人生の積み重ねや、経験の積み重ねを、してみたい、自分自身が、ただの消費者という「私」だけの人間では嫌だと言う、ただ、わたしにとっての、「公」とは、なんなんだろうか、何がしたくて、実際には、何ができるか、まだ全然わからないけども、このまま終わりにさせたくない。ということしかなくて、 なんだか、本当に、訳のわからない文になってしまって、申し訳ありません。 でも、わたしも、社会的な、生産性イコール、ひととしての自立とは、考えていません。それだけを、安易に求め、非難してくる人たちの、血税で、息をしているだけの、自分が、今だに、許せないだけという、わたし自身には、なんの実体もなく、わたし自身が、本当は、誰よりも差別心を持っているから、受け入れることが、できないのかも、しれないです。 これからも、きっと、いろんな迷いと、葛藤と、実現されることのない、自己顕示欲や、自己承認欲求との、戦いの日々だけで、もしかしたら、終わるのかもしれないですけど、無敵のひととなり、自分が、加害者とならないためにも、勉強もしていきたいなと、そう思っている次第です。 なんだか、本当に、まとまりのない、文で、申し訳ないです。 青ネギさん、コメント、本当に、 ありがとうございました! また、わたし自身が、落ち着いたら、ちゃんと、冷静になって考え直して、コメント投稿させてもらいます。なんだか、せっかく、コメントとしていただいたのに、わたしの個人的感情の、巻き込み事故みたくなってしまい、本当に、 申し訳ありません。本当に、ごめんなさい。 少しでも、早くに、レスポンスできたらと思ったら、内容が、ヒッチャカメッチャカになってしまい、また、無駄に長くなってしまい、本当に、申し訳ありません。 勉強し直して、きます! それでは、本当に、ありがとうございました!
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小林よしのりチャンネル
(ID:89103599)
青ネギさん、コメントありがとうございます!
夜分遅くになってしまい、本当に、申し訳ありません。
はじめまして!まみと申します。
なんだか、わたしは、ここのライジングのコメント投稿を、性犯罪被害者から、入ったので、
そのことを、隠れ蓑にして、偉そうなことを、散々言ってきた、自分が、恥ずかしいです。
青ネギさんの、おっしゃること、本当に、よくわかります。
わたしも、自分の人生で、本当に、見に染みてきたと言うか、
自分自身が、精神疾患から、精神障害者になるまで、
わたし自身には、今まで、自分自身が受けてきた、精神疾患に関する、人々の、偏見や、差別心みたいなものがなくて、むしろ、周りの子達が、苦しんでいる、苦しみの根源は、
大人や学校の先生、世の中の言う通りに、個人の人格論や根性論、精神論で、語り尽くしたところで、なんの解決にもならないどころか、余計に、悩み、苦しんでいるひとたちを、追い詰めて追い込んでいるだけだと、そう思っていて、もっと、日本の世の中にも、心理学や、精神医学、福祉について、ちゃんと、勉強して、精神医療、カウンセリング、セラピーなどが、社会の中で、身近にあるべきではなどと、生意気にも、よしりん先生の作品と、出会った、中学生の頃、考えており、大学で、そういうことに関して、きちんと学んで、福祉、教育、医療、地方行政などの、現場で、自分の生きる場所を見つけたい、自分の理想や夢の実現を、できる仕事を探して、世の中に、ちゃんと、働きながら、現場で闘いながら、精神疾患や医療や、福祉について、自分自身の理想を、現実のものとして、落とし込んでいけたらなどと、本当に、生意気なことを夢みていた、中学生でした。
個人的、話しすぎてごめんなさい。そんな生意気なわたしが、ある日を境に、自分自身が、精神疾患の当事者となり、今では、社会的入院だと言われて、座敷牢と変わらないから、精神障害者も、地域の中で、生活をと、スローガンだけは、素敵なものでも、実際には、その実現は、ほど遠くて、
多くの、精神疾患や、精神障害で、苦しんでいるひとは、その病いとの闘いではなくて、
自分自身の、情けなさとも、社会や、世の中からの、声とも、本当に、いろんなものを背負うことになり、わたし自身、何と闘っているのか、よくわからなくなることが、本当に、よくあります。
なんで?他の病気や、障害では、言われないことが、精神疾患や、精神障害者だと、言われるのか?
自分自身が、世の中の無理解と、理不尽さに、腹をたてながらも、自分自身の、いろんな現実をも、受け入れることが、できない日々のなかで、凄い年数が経ち、いい歳となったら、今度は、若い頃と違って、もう憤りだけでは、
自分の生きている、意味や、意義が、見出せなくなって、治療を続けてまで、生きていく意味ってあるのかなと、希死念慮ではなくて、自身の存在意義が、全くわからなくなることがあります。
それは、今でも、変わってはなくて、それでも、わたし自身が、あの時、殺すぞ、だから言うことを聞けと言われて、本当に、死にたくない、そう思って、死なない為に、生きる為に、自分が、受け入れて、言いなりになった。あそこまでして、あの時の、自分が、生きようとしたならば、自分が、本当に、自殺してしまうまでは、死んでしまうまでは、やっぱり、負けたくないなぁと、それは、性犯罪についての、無理解や、偏見、精神疾患についての、無理解や偏見、精神障害者の置かれている、苦しい現状を、この無理解と偏見のなかで、なかったことにされたままなのは、やっぱり嫌だと言う、わたしのただのわがままなのか、なんなのか、自分自身でも、いまだによくわかっていませんが、名もなきひとの、声なき声のままで、終わらせたくなくて、やっぱり、自分の人生をもって、結果、何もできないかもしれないけれども、ほんの小さな布石ぐらいには、なれたらいいなあと思って、やっぱり頑張って生きたいと、最近やっとそう思えるようになってくれたところです。
社会的な、生産性は、ひととしての自立と、今の世の中では、どうしても、イコールにされてしまうし、自分自身が、ひととしての、自立と、社会的な生産性を、自分自身に求めてしまうところがあって、どんな雇用形態であろうとも、働いてみたい、働きたいと、そう思ってしまいます。実際には、障害者年金も、障害者手帳も、自立支援受給者証も、あらゆる福祉制度の恩恵を受けながら、わたし自身は、障害者の、デイケアの一環で、働く体験を、させてもらったことしかなく、作業所の段階まで、いくこともできないままで、自分が、ひとりの人間として、人としての、人生の積み重ねや、経験の積み重ねを、してみたい、自分自身が、ただの消費者という「私」だけの人間では嫌だと言う、ただ、わたしにとっての、「公」とは、なんなんだろうか、何がしたくて、実際には、何ができるか、まだ全然わからないけども、このまま終わりにさせたくない。ということしかなくて、
なんだか、本当に、訳のわからない文になってしまって、申し訳ありません。
でも、わたしも、社会的な、生産性イコール、ひととしての自立とは、考えていません。それだけを、安易に求め、非難してくる人たちの、血税で、息をしているだけの、自分が、今だに、許せないだけという、わたし自身には、なんの実体もなく、わたし自身が、本当は、誰よりも差別心を持っているから、受け入れることが、できないのかも、しれないです。
これからも、きっと、いろんな迷いと、葛藤と、実現されることのない、自己顕示欲や、自己承認欲求との、戦いの日々だけで、もしかしたら、終わるのかもしれないですけど、無敵のひととなり、自分が、加害者とならないためにも、勉強もしていきたいなと、そう思っている次第です。
なんだか、本当に、まとまりのない、文で、申し訳ないです。
青ネギさん、コメント、本当に、
ありがとうございました!
また、わたし自身が、落ち着いたら、ちゃんと、冷静になって考え直して、コメント投稿させてもらいます。なんだか、せっかく、コメントとしていただいたのに、わたしの個人的感情の、巻き込み事故みたくなってしまい、本当に、
申し訳ありません。本当に、ごめんなさい。
少しでも、早くに、レスポンスできたらと思ったら、内容が、ヒッチャカメッチャカになってしまい、また、無駄に長くなってしまい、本当に、申し訳ありません。
勉強し直して、きます!
それでは、本当に、ありがとうございました!