叢叡世 のコメント

>>23

倭の五王どころかもっと昔の日本武尊の時代からですよね。
大泊瀬幼武尊(後の雄略天皇)が宋の順帝に使者を遣わした時に自分の武勇伝を語らせて安東将軍の称号を貰ってくるんですよね。
その時「昔から祖先は自ら甲冑を着て毛人の国を征伐して来た」と語って来たので日本武尊の頃からなんじゃないかと思いますよね。
ヤマトタケルにもワカタケルにも漢字に「武」が入っているのでこの頃のヤマト王権(大和朝廷)は国の内外で戦争を繰り返して東国や朝鮮南部を支配下に入れていたというのが実情でしょう。
毛人と書いても蝦夷とは違って東国を支配していた毛野の勢力のことだったのでしょう。
今考えれば群馬は山奥というイメージなのかもですが、古代は関東自体が湿地帯で水浸しで人があまり住めない所だと容易に想像出来るんですよね。
※実は映画天気の子でもこの立地が関わってくる。
東(あずま、吾妻、吾嬬)の語源が日本武尊が弟橘媛のことを我が妻と呼んだことに由来するようなんですが、恐らく古いヤマト王権は東国のこうした豪族から嫁を迎え入れていたことにも因むんじゃないかと想像出来ますよね。
どこもそうですが、征服地から嫁を迎え入れることはよくあることだと思います。
因みに「あずま(吾妻)」も「たちばな(立花)」も墨田区にあるんですよね。
この周辺がかつて海でここを超えたら直ぐにでも千葉県に行けた訳ですから。

それで滅ぼされたからと言ってそれじゃあ群馬県の毛野の豪族の末裔もしくは毛人の末裔が日本政府相手取って謝罪と補償(吹き出しの保障は間違い)を求めるとなるとそれで日本政府は先住民認定してその言い分をそれこそ保障(こちらの使い方で正しい)してくれるのですかねとなります。
そんなのは古代の内にヤマト王権に取り入れたりして倭国を構成するメンバーとなっていった訳なのですが、アイヌ達も近代化において近代日本に合流したということでも良い筈なんですけどね。

本当にとっくに同化してるのに民族と偽って吹聴してるだけなんですけどね。

No.39 64ヶ月前

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