「軍国主義者が天皇を軍の直接の司令官とすることで身を守った」根拠は、次の状況変化をとらえていっているのでしょう。 1935年になると、軍部の右翼が中心となって国体明微問題が起きると、政友会が美濃部達吉の「天皇機関説」を否定し、「天皇主権説」主張した。 このような天皇問題は、時代によって大きく変わり、当時の視点で理解するか(当時の視点といっても二通りある)、さらに過去にさかのぼれば別の視点がでてくるだけでなく、現在の視点でとらえるか、間文化的に捉えるかで、見方考え方が大きく変わってしまう。 歴史といっても、「日本人の視点でとらえるか、米国人の視点でとらえるか、中国人の視点でとらえるか」で、大きく変わってしまう。時代的視点、国というか場所的視点の違いをどのように乗り越えるかは、極めて難しい。
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孫崎享チャンネル
(ID:18367902)
「軍国主義者が天皇を軍の直接の司令官とすることで身を守った」根拠は、次の状況変化をとらえていっているのでしょう。
1935年になると、軍部の右翼が中心となって国体明微問題が起きると、政友会が美濃部達吉の「天皇機関説」を否定し、「天皇主権説」主張した。
このような天皇問題は、時代によって大きく変わり、当時の視点で理解するか(当時の視点といっても二通りある)、さらに過去にさかのぼれば別の視点がでてくるだけでなく、現在の視点でとらえるか、間文化的に捉えるかで、見方考え方が大きく変わってしまう。
歴史といっても、「日本人の視点でとらえるか、米国人の視点でとらえるか、中国人の視点でとらえるか」で、大きく変わってしまう。時代的視点、国というか場所的視点の違いをどのように乗り越えるかは、極めて難しい。