りゃん のコメント

野火は高校二年生の夏休み、ちょうど今くらいに読んだ記憶があります。
そのときぼんやりおもったことを、今の自分の言葉で言えば、
ここに日本人の戦争イメージの原型のひとつがあった、
これと空襲被害(原爆ふくむ)、沖縄戦、それに加害性(「慰安婦」など)をあわせれば、
ほぼ全部じゃなかろうか、ですね。

のちに渥美清の「拝啓天皇陛下様」のシリーズなどを見て、戦後のある時期までは、
戦争はもっと多様なイメージで語られていたが、淘汰され消失したんだなとわかりました。

孫崎さんの引いている(自分はまったく覚えてませんでしたが)
「この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼等に欺かれたらしい人達を私は理解できない」
という部分ですが、野火が発表された当時は、大岡にも読者層にも「戦争を操る少数の紳士諸君」の意味が明確だったのでしょう。

しかし今のわたしたちは、「朝夕配られて来る新聞」自体が戦争を極端に煽っていたこと、その新聞の背景にはコミンテルンのスパイがいたこと、一方ルーズベルトは日本を戦争に追い込むべく極端な経済制裁をおこなっていたことなどを知っています。とはいいつつも、結局戦争を選んだ日本の指導層が「少数の紳士諸君」なのか?

その一方でいまの北朝鮮をみていると、米の産軍複合体が悪いとか小国が生きていくためにしかたないということで妙に同情するヒトビトがいて、コマに使おうという思惑から援助する大国(ロシアのこと)もいて、なにか免責すらするような雰囲気が感じられることもあります。そうすると、当時の大日本帝国が中途半端に大国であったことが悪いのか?

謎は深まるばかりですが、まあ、謎と感じなければ、お気楽なことです。

No.13 88ヶ月前

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