中條Dです。#72ということは、もう6年もブロマガ書いてんのか……。

 ディレクターを名乗りつつ、最近はもっぱらプロデュース業務に従事しておりまして、仕事の仕方が色々と変わってもう3年位になります。インターネット生放送におけるゲームの番組をプロデュースする……という20年前だったら「なにそれ、本当に仕事なの?」と言われるような職業ですが、今の世の中ではまぁまぁ受け入れてもらえるような職業になりました。日々の業務に悩みつつも働いておりまして、上手くいったりいかなかったりを繰り返しています。そんな最近、頓に思うのは、自分の役割が一段落してもう世の中から求められてないよなぁーということです。それがどこまでいってもゼロになることはまずないとしても、ここ数年でプロ制作のコンテンツ需要はガッツリ落ちているなと感じます。

 そう思うに至った理由は様々ありますので一つずつ書いていきますが、まぁなんといってもUGCが強くなりました。それこそiPhoneが発売された頃からiPhoneとMacだけで映画を作ってしまうツワモノは存在しましたが、アマチュアの制作環境というもののコストパフォーマンスが著しく高くなり、制作環境を整える上でプロユースの物を購入しなくても済むようになりました(それでも数十万はかかりますが)。僕自信も元々はアマチュアで動画を制作していたりしたので、生まれるのがあと10年遅かったらこの流れに乗ってたのに……と思わなくはないのですが、そう羨む程度にはアマチュアにアドバンテージのある時代になったと思います。実際、マシンスペックの違いだけで根本的にはプロユースと同じシステムというか、同じワークフローでやってますからね。複数のテープを機械にかけて部分的にダビングすることで編集をしていたリニア編集の時代とはわけが違うのです。

 それでもテレビ制作ほどの予算をかけたものととアマチュア制作のものではクオリティに雲泥の差があるのは歴然ですが、映画やオーケストラといった画力や音響で圧倒するようなコンテンツは例外として、ハンディカメラの粗い映像でも何を撮るか、どう編集するか次第でそのコンテンツが受け入れられる土壌はインターネットとは別の文脈で既に完成していました。日本のバラエティ番組で言うならば『進め!電波少年』が猿岩石のユーラシア大陸横断の旅(1996年)を追った時の撮影はハンディカメラの暗い映像でした(当時の技術スタッフからはその手法に反発があったらしい)。同時期には『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999年)が予算6万ドルで2億4千万ドルの興行収入を上げるなど、実は綺麗ではない映像でもそれだけを理由に忌避感は起きない、というのが共通認識となりました。今でいう「実はテレワークでもよかった」みたいな感覚で、実はハンディカメラでもよかったんですね。

 なので消費者は90年代の時点で既にアマチュアを受け入れる体制が潜在的にできあがり、コンテンツを制作する体制がアマチュアに整ったのが10年代と言えるのではないでしょうか。そして2010年から10年をかけてその流れが成熟しました。世はUGC全盛期です。リアルタイム描画の3Dモデリングのキャラクターが個人制作で作られるなど『ウゴウゴルーガ』(1992年)とは隔世の感があります。