朝日新聞デジタル系のバイラルメディア(という定義でよいのかしらん)「withnews」(ウィズニュース)にコメントしました。
「『容疑者、女子高生アニメに熱中』記事に批判多数 背景に何が」という記事です。
質問にメールで答えたものを生かして記事になっています。こちらの思っていたことがちゃんと生かされていました。
質問には、アサヒ芸能のコラム「だからアニメファンは嫌われる!?誘拐容疑者のアニメ好き報道が真っ当な理由とは?」についての意見もありました。
「容疑者の人間性に迫る報道そのものが、紋切り型になりすぎている」「新聞・TV・週刊誌などの速報性を求められる媒体では、報道被害のほうが影響が大きく、時代遅れになってきていると考えています」
というコメントはたとえばコラムに引用されているライターの言葉。
「容疑者のアニメ好きは、彼が備える属性の一つなのは明らか。それは白い車に乗っていたとか、大阪で生まれ育ち千葉の大学に通ったという属性と一緒で、事件に興味を持つ人にとっては大事な情報の一つなんです。その属性自体を否定してしまうと、むしろ『アニメってそんなに偉いのか!?』という反発を呼びかねませんよ」
へのアンサーですね。
アニメに限らず、その場でパッとわかった個人の属性を手がかりに、容疑者の人間像をわかった気にさせてしまおうという、その発想そのものが紋切り型であると。容疑者の人間性に迫る報道するなら、もっと時間をかけて多くの情報を集めてからやるべきではないか、ということです。
もう一つはやはりライターの発言として出てくる、以下のくだり。
「容疑者のアニメ好きを取り上げるなと主張するほうがむしろ、印象操作であり、表現規制に繋がることを危惧すべきです」
ここについてのアンサーは、ウィズニュースの記事ではカットされた部分もあるのですが、「表現規制はまず権力とメディアの間の問題であり、メディアの報道に対してそれは間違っているのではないかと読者の立場から意見が出てくるのはむしろ望ましい状況なのではないかと考えます。もちろん、読者の異論に乗じて、権力が表現規制で介入してくるのは論外です。あくまで政治が絡まないところで、読者とメディアが動的平衡状態を保つような関係であるべきと考えます」
というようなことをコメントしました(この通りの文面ではないですが)。
と、そんなところで、今回もいってみましょうか。
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1.最近のお仕事紹介
2.Q&A
3.連載「理想のアニメ原画集を求めて」
4.前回の「アニメの門チャンネル」
5.不定期アニメ日記
最近のお仕事紹介
1.アニメレビュー勉強会、再開します。
4月30日(土)15時から開かれる「オタクの学校」で、3年ぶり?にアニメレビュー勉強会を再開することにしました。アニメレビュー勉強会は、参加者が書いたレビューを集め、名前を伏せて全員に配って、互いに合評する集まりです。互いに投票もします。今回のお題は『ラブライブ!The School Idol Movie』(いわゆる劇場版『ラブライブ!』ですね)。
申込み期限は4月16日。件名に「アニメレビュー勉強会参加希望」と書いてpersonap@gmail.comまでメールを下さい。この時点では原稿は不要です。(原稿締め切りは25日)。
詳細はこちらまで
上手い下手は関係ありません、書きたいことがある人は是非お申し込みください。
参考:
→第1回勉強会の感想
→『ねらわれた学園』の時の原稿
2.朝日カルチャーセンター新宿教室「アニメを読む」(東京)
4月~6月は以下の通り。
4/16:特別講義「シナリオができるまで」ゲスト講師:大河内一楼
全員参加で、脚本会議を疑似体験するワークショップを行います。みんなのアイデアで、お話をブラッシュアップしていきます。筆記用具をご持参ください。
5/21:『ジョバンニの島』
6/18:『心が叫びたがってるんだ。』
https://www.asahiculture.jp/shinjuku/course/d83d4be1-7b88-a896-fe82-56a05863ebdb
3.NHK青山文化センター「アニメを読む」
5月21日(土)13:30~「ロボットアニメの歴史」。『鉄腕アトム』『鉄人28号』から『新世紀エヴァンゲリヲン』まで、ロボットアニメは日本のアニメ史の中でも独特の地位を占めてきたサブジャンルです。このサブジャンルがいかに成立し、変化してきたかを、ビジネスとクリエイティブの両面から追っていきます。
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1088222.html
4.SBS学苑パルシェ校「アニメを読む」(静岡)
5月29日(日)10:30~「女子向けアニメの歴史~魔法使いサリーからプリキュアまで~」
TVアニメ史上初という女の子向けアニメ『魔法使いサリー』からおよそ半世紀。女児・女性向けのアニメはどのような歴史をたどってきたのか。『セーラームーン』や『うたプリ』といったタイトルまで含め、視聴者の嗜好や年齢の多様化を追いかけます。
http://www.sbsgakuen.com/gak0130.asp?gakuno=2&kikanno=174048
5.栄・中日文化センター「アニメを読む」(名古屋)
『るろうに剣心』『進撃の巨人』『ちはやふる』などなど、現在、アニメ・マンガを原作とした実写作品が数多く作られています。2次元のアニメ・マンガを3次元化する時に、なにが起こるのか。『ハレンチ学園』『ルパン三世』といった過去の作品から、分水嶺となった『ピンポン』まで多彩な実写化作品を振り返りつつ、「実写化」がキャラクターに及ぼす影響について考えます。
http://www.chunichi-culture.com/programs/program_166148.html
6.「Febri VOL.34」
僕は『昭和元禄落語心中』特集各話解説と作品レビュー、「男たちのの『キンプリ』座談会」に参加しています。あとは連載が二つ。「主人公の条件」は『亡国のアキト』を取り上げ、「声優語」は中田譲治さんにご登場いただきました。
http://www.ichijinsha.co.jp/febri/
Q&A
「なぜなにアニ門」で質問を募集しています。「件名」を「なぜなにアニ門」でpersonap@gmail.comまで送って下さい。文面にハンドル(名前)も入れてください。
あるいは、アニメの門チャンネルの有料会員は、アニメの門チャンネルページの掲示板サービスが使えますので、そこに質問をしていただいてもよいです。メルマガの下にあるコメント欄でも結構ですよー。
今回はアニメの門チャンネルに匿名希望さんから届いた質問を紹介します。
Q:携帯電話が(アニメに限らず)ストーリーのあり方を根本から変えたように、ここ10年くらいで「以前はなかった」表現について、藤津さまはなにが思いつきますか。また、「10年後にはなくなっている(かもしれない)」表現や要素は、どんなものを予想していますか。10年よりはもっと先だとは思いますが、ガソリンエンジン車のハンドルを握って車を運転するシーンは、そのうち、今の「乗馬」みたいな立ち位置になっていくのかなぁ、と予想しています。
A:まず携帯電話の登場による変化は、ストーリーのあり方を変えたわけではなく「過去作のあるシーンが、携帯がある現在から見れば成立していないように見える」だけだと思います。逆に「情報の伝達がスピーディーに行われてストーリーのテンポアップが図られている」というメリットも少なからずあるかと。たとえば『獣兵衛忍風帖』では、時代劇だけどテグスを使った特殊能力による謎通信を登場させて、テンポアップをはかっていました。
個人的になくなっていくと思う表現、というか今もうなくなってしまったのが、アナログ放送&ブラウン管がらみの表現ですね。「砂の嵐」とか「消える時中心に白い光」がとか「走査線ノイズ」とか。最近はノイズ処理入れるにしても、デジタルのブロックノイズ風ですよね。
Q:ときおり「アニメーターの数が不足している」という話を見たり聞いたりしますが、仮に、今のアニメーター就業人口がもっと多かったとしたら、放送(または配信・販売させる)アニメの本数は、今よりも増えているのでしょうか? アニメの本数が増えると、もっと表現も多様化して、多くの人それぞれの好みに合う作品が増える……と良いなとは思いますが、アニメ制作は企画や出資者も必要でしょう。本当にそれほどの本数が実現可能なのか、見解をお聞かせ下さい。
あと、アニメーターの数が増えると、需給の関係で、彼らのギャラがもっと安くなってしまわないか心配です。それとも、就業者数が増えたら作品本数も増え、多様なアニメが花開いてアニメ作品自体の市場が拡大し、結果的に現状維持もしくは多少の改善が見られたり……するのでしょうかね……。
A:作品の数(成立する企画)を決めるのは、アニメ業界に流れ込む資金の量です。ここはアニメーターの数とは無関係です。アニメーターの数が増えても、ギャラには下方硬直性があるはずなので、単純に下がることはないと思います。(ただし下請け会社が増えたあとに、作品数が減ると制作費のダンピングは起きやすくなるとは思います)。現在は資金の流入量が増加中なのと、新人育成の問題が重なって、アニメーター不足といわれる状態になっていると思います。
連載「理想のアニメ原画集を求めて」
文・水池屋(コーディネート:三浦大輔)
第15回『アニメ『京騒戯画』ビジュアルブック 京騒図画』
『アニメ『京騒戯画』ビジュアルブック』は、「原画集」ではなく「アニメムック」というべき本になると思います。しかし、知らずにこの本を開いた人は、もしかすると、この本の事をフルカラーの原画集だと思うかもしれません。パラパラとめくって見ると、全体の約8割程度のページにレイアウト、原画、修正等の素材が全面に掲載されていて、原画集を好む人間からすると、眺めているだけでも楽しい誌面です。
アニメムックらしく版権イラストも掲載されているのですが、彩色され背景が付いて完成したもの以外に、版権イラストのラフや原画も掲載されています。
原画集では版権の原画が掲載されることがそう多くはないので、こうした資料をまとめて目にすることができる機会は、珍しいのではないでしょうか? 版権イラストもアニメーターの仕事としては重要なものの一つなので、こうして完成以前の素材を見られるのは貴重なことだと思います。
さらに、その後に掲載されているのが、色見本設定、初期キャラクター設定案、そしてまたそのラフ原画。清書したものではなく、敢えてそれ以前のラフ段階のものをできるだけ多く掲載していく点に徹底した姿勢を感じます。
『京騒戯画』は5分ほどのPVから始まり、長尺のPV、ネットでの連続した短編の配信、そしてTVシリーズへと媒体を変えながら続いた特殊なアニメ作品でした。それを時系列で解説するページでも、本来は本編の場面写が多く使われるものですが、この本ではその代わりに、ここでも原画が掲載されています。
録画媒体や映像ソフトの進化で、高画質の映像を家庭でも観られるようになった現在では、映像媒体の場面写の需要が昔より低くなっているのではないかと思います。代わりに敢えて原画を多数掲載しているこの本では、本編の完成した映像を観るのとはまた違った面白さをみつけることができると思います。要所要所に見られる、本編の場面写と原画を並べて掲載しているページでは、原画と完成した本編の場面写を見比べることもできる親切な作りです。
連続した原画の掲載は少ないので、動きの設計図として原画を見たい人には多少物足りない内容かもしれませんが、その代わりにこの本では原画や修正と同じようにレイアウトが数多く掲載されていますので、それを見る目的だけでも一見の価値はあると思います。
この本のよいところは、キャラクターが大きく写っているカットの絵だけでなく、背景単体の絵も同じように掲載されているところです。もし、これが従来の本編場面写を使ったアニメムックであったり、原画集であれば、そうした絵は掲載されることはなかったかもしれません。
レイアウトの掲載という点では、この本ではさらに大きな見どころがあります。キャラクターデザイン・作画監督を務めた林祐己さんが制作時に描いたレイアウトが、なんと26pにわたって掲載されているのです。全部で160pほどの内の26pですから、かなり大きな取り上げられ方をされていることが分かると思います。その点だけ見ても、この本を編集した方達のこだわりをうかがい知る事ができるのではないでしょうか。
掲載されているレイアウトは、レイアウト用紙を中心から4つに分割して、通常の4分の1のサイズで描かれています。それを1ページに4枚分の大きさで掲載がされており、全体だと300カット以上のレイアウトが掲載されています、恐らくこの26pだけで通常のTVシリーズ1話分と大体同じカットの量のレイアウトが掲載されていることになるはずです。それだけでも、この本が原画集的な需要から、大きな価値のある本だということが理解してもらえると思います。それでも、林さんが描いたものをすべて合わせると、掲載されているのはその半分の量だというので驚いてしまいます。
この本が原画集を目指したからここまで原画の掲載がメインの本になったのか、全く違った理由があったのかは分かりませんが、『海がきこえる絵コンテ集』のように少し意外なかたちで、アニメのレイアウトをまとめて見られる本があるということだけでも知っておいてほしいと思います。
こうした本が存在することで、本来原画集を好んで見るのとは違った人達への橋渡しのような役割を持ち、アニメの制作過程に対して興味を持つきっかけが生まれるかもしれません。原画集のような本だけでなく、様々な媒体でアニメの実制作に対して光を当てることで、より充実した文化が生まれるとよいなと思います。
(『アニメ『京騒戯画』ビジュアルブック 京騒図画』/飛鳥新社/¥2500)
前回の「アニメの門チャンネル」
前回は脚本家の綾奈ゆにこさんをゲストに、「『KING OF PRISM』を考える」を配信しました。最終的に配信の視聴数が1500を超えて、おそらく過去5指に入る数の方に見ていただきました。ありがとうございます。
配信は大きく3つの「ない」を考える形で進めました。その3つとは――
・キンプリは“乱暴”ではない。
・キンプリは“今に始まった話”ではない。
・キンプリは“祭り”ではない。
になります。
「“乱暴”ではない。」は、『キンプリ』の構成が非常に練られていて、決して「勢い」と「インパクト」で持っていっているわけではない、というお話。15回見たという綾奈さんが、手帳に構成をメモして分析して、無駄なシーン・セリフがない、という話がおもしろかったですね。キャラクターの名前を無理矢理言わせていないところがすごいとうう指摘は、さすが脚本家の視点だなと思いました。
「今に始まった話ではない」は、僕も綾奈さんもTVを熱心に見ていたほうではなかったので、改めてシリーズあっての『キンプリ』ですよ、というお話が一つ。あと、応援上映という形式はどこからきているのか、という二つの視点でお送りしました。
ここで「感情と表現のズレ」という観点でプリズムジャンプについても考察してみました。
最後の「祭りではない」は、『キンプリ』は“祭り”として消費されてしまうのではなく、もうちょっと未来に続くものがあるのではないか、というお話です。
綾奈さんは配信の時点で劇場に15回足を運んでいるという強者。はじめて劇場に駆けつけた時、菱田監督の配信を見て劇場に駆けつけ、隣り合ったプリズムエリートの女性にキンブレを借りて、終わった後に「プリズムショーの世界へようこそ!」と言われたというお話は、この作品の広がりの秘密の一端がわかる、よいエピソードだなと思いました。
不定期アニメ日記
まんたんWEBに「アニメ業界:アニメジャパンに見る試行錯誤 パッケージビジネス崩壊で“生みの苦しみ”続く」という記事が載りました。
この記事「間違ってはいないんだけれど、ちょっと芯を食ってない感じ」があるので、ちょっと整理をしてみたいと思います。
この記事の展開ははおおむね以下のようになっています。
・パッケージビジネスが崩壊して、次の決め手が見えていない。
・AnimeJapanでは物販に注力している(ライブやフェスの構造に似ている)。
・女性ファンが鍵を握っているのではないか。
・八方塞がりのように思えるが、どこかに金脈はあるかもしれない。
この原稿の一番のネックは、リード(冒頭のパラグラフ)にあります。
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