※今回は長文で図も多いです
欧米の「操作される民主主義」を作り上げてきた中心勢力
フリーメーソンの倫理学の密教についての研究。
そのフリーメーソン倫理学の基礎にあるといわれる18世紀の
ドイツの哲学者カントの倫理学の解説本である
「悪について 中島義道著 岩波新書」
の書評の続き。
前回はカント倫理学が動機を重視しない外形的な行為の結果より
も、動機そのものを重視する厳格主義に基づいていることをお
伝えした。
→<リンク>その2 フリーメーソン倫理学の基礎としてのカント倫理学 外形的な行為よりも動機を重視する厳格主義
今回は、カントの倫理学が述べる「道徳的に善い行為」を引き出
す「動機の中身」とは何か?について。
そして民主主義の目的である「個人の尊厳の実現(人格不可侵の
原理)」のなかにある「人格」の定義が、カント倫理学の形式に
基づいていることをお伝えする。
今回の解説は、下図の青い四角の枠線
↓
民主主義が目的としている「個人の尊厳の実現」とは、
「個人の人格を侵害していはいけない」ということだ。
この「人格の概念」はカント倫理学によって体系づけられた。
カント倫理学における「人格」とは、「理性」に基づいて
「自律的」に行動する主体の事である。
(世界大百科事典第2版より転載)
道徳的にすぐれている人を〈人格者〉というように,日本の慣用法においては人格という語は,カント以後のドイツ哲学思想の影響のもとに,理性的存在者として自律的に行為する主体を意味し,その尊厳性を強調する道徳的意味あいを含む語として用いられてきている。
https://kotobank.jp/word/%E4%BA%BA%E6%A0%BC-81375
(転載終了)
上記の定義にもあるとおり、カント倫理学およびそこから作られ
ている民主主義の「人格」とは以下の要素から構成されている。
・理性的存在者(今回解説する道徳法則に基づく実践理性)
・意志の自律
今回は、下図の
「人格」→「「理性的存在者」→「実践理性」→
「道徳法則」→「理性の円」の流れを解説していく。
人格を構成する要素である「理性的存在者」とは、
「実践理性」に基づいて行動する個人の事だ。
実践理性とはこれから解説する「道徳法則」を創りだす能力の事である。
■道徳法則について
カント倫理学では、外形的な品行方正な行為を「道徳的に善い行為」として評価しない。
評価するのは、「動機が優れている行為」のみである。
そんな無茶な、と多くの人は思うだろう。
なぜなら、他者には実践された行為が良い動機によって行われた
のか、自己愛から行われたのかの判断をするのは極めて難しいからである。
このことはカントも認めている。
しかし、その「優れている動機」の中身を理解することが
「隠された民主政治のモデル」を創りだすうえで重要なのだ。
まず、カントの述べる「優れた動機」とは、以下のような中身である。
(悪について 中島義道著 より転載)
P8
カント倫理学は、はじめから非適法的行為を排除して適法的行為から出発し、あらゆる適法的行為のうちでさらに「道徳性」を充たすものは何か、というかたちで議論が進んでいるのである。
(転載終了)
まず、「適法的行為」とは社会で法的に倫理的に認められている行為である。
この適法的行為をカントは
「道徳的に善い行為」
だとは決して認めない。
カントの述べる道徳的に善い行為とは以下のようなことだ。
(悪について 中島義道著 より転載)
P9
カントによれば、道徳的善さは、われわれが理性的であるかぎり、「知っている」はずである。よって、それからのずれも「知っている」はずである。しかし、多くの場合われわれはそれを覆い隠そうとする。
P10
カントは、善の内容、すなわちいかなるものが善であるかを提示しようとしない。これは、カント倫理学にとって本質的なことである。
(転載終了)
つまり、カントは道徳的善さは、われわれが理性的である限り、
知っているのだから、「基本的にその内容は提示しなくてよい」、と考えた。
しかし、道徳的善さの内容は提示しなくても、
「道徳的善さの形式」は提示した。
それがカント倫理学の要であり、形式主義と呼ばれる所以である。
その形式は以下の通り。
(悪について 中島義道著 より転載)
P18
カントは道徳的に善い行為=義務からの行為の客観的妥当性を確立しようとした。客観的妥当性とは、自然科学の法則のように、いつでもどこでもどういう場合でも、必然的かつ普遍的に妥当しなければならないという意味である。
P19
「義務」という概念に呼応して、カント倫理学は「・・・・をせよ」というように一定の行為を命法(命令)する倫理学である。ところで、「もし・・・・・ならば、・・・・・せよ」というかたちの「仮言命法」は、道徳的に善い行為を命じることはできない。
P19これを避けるには、その命法はいかなる条件のもとにあっても、「Yをせよ」というかたちでなければならない。それはすなわち、「Yをすべきだから、Yをせよ」という命令にほかならず、これが「定言命法」である。
(転載終了)
つまり、カントの倫理学では、ある特定の場合に当てはまる動機
ではなく(仮言命法)、どのような場合でも当てはまる人間に
とっての「普遍妥当な義務」の倫理(定言命法)があり、その
倫理に従って行動することが、「善い動機に基づく道徳的な行為」
ということだ。
いつでもどこでもどういう場合でも、必然的かつ普遍的に妥当す
る倫理などあるのだろうか?
例えば「弱いものイジメをしてはならない」という倫理はどうだろうか?
どの文明においても、「弱いものイジメをすることは悪い事だ」
という倫理が見いだされるならば、人類という種族にとって
普遍妥当な倫理といえる。
このように人類が共通に生まれついて持っている倫理を
調べていく作業となる。
(悪について 中島義道著 より転載)
P20
各自の格律※が「普遍的立法の原理」となりうるかを、厳正に吟味することが要求される。例えば、嘘をつくことを信条にしている人でも、「すべての人をいつどこでもどういう場合でも嘘をつくこと」を意志するか、と自問するならば、それは否定せざるをえないであろう。こうして、様々な格律は、「普遍的立法の原理とはなりえない」と判定され、吟味に耐えた少数の格律が残される。
(転載終了)
※格律とは各人の主観的な規則、すなわち誰もが持っている生活するうえでの信条
上記のようにカントは人類にとって普遍妥当な倫理を見出し、
その倫理の下で実行に移された行為を「道徳的に善い行為」
と呼んだ。
そうでない行為は以下のように評価しない行為とした。
(悪について 中島義道著 より転載)
P31
形式としての善が、善意志ないし道徳法則に対する尊敬に基づく動機とそこに実現された行為との関係であったように、形式としての悪とは、善意志ではない意志、つまり自己愛の動機に基づく意志とそこに実現された行為との関係である
(転載終了)
カント倫理学によると、人々に多大な利益をもたらすどのような
行為であろうと、自己愛の動機に基づいた意志と行為は、
「形式としての悪」なのである。
社会に利益をもたらす行動でさえも動機が自己愛に基づいていれば
「形式的な悪」と言いきってしまうところに、カント倫理学の
厳格主義が現れている。
こんなふうに切り捨てられると極論ではないか、と思ってしまう
が、ここをよく理解することが「人格の原理」と「民主の原理」
を理解するうえで有効なのだ。
カントが倫理学に求めたものは、
「何が法律としてふさわしいか?ふさわしくないか?」
ではなく、
「道徳的に善い行為の形式」とは何か?
という問いであった。
(悪について 中島義道著 より転載)
P107
彼の問いは「適法的行為とは何か?」ではなかった(「なぜ嘘をついてはならないのか?」ではなく、「なぜ人を殺してはならないのか?」ではなかった)。彼の問いは「適法的行為のうちで道徳的に善い行為とは何か?」であった。
P107
彼が確信していたのは「道徳的に善い行為」の普遍妥当性だけである。
(転載終了)
カントは、「道徳的に善い行為」を実践する感情、知性、意志の
形式の総体を「実践理性」と呼んだ。
これがカント倫理学が定義する「善い動機」の形式的な中身である。
カント倫理学の「善い動機の形式」を参考にしてモデルにすると
以下のようになる。
1 人類の目的としての普遍妥当な道徳が「善の感情」として作られる。
↓
上記の道徳法則のモデル1から、理性の円としての感情のモデルが創られる
↓
次に目的からみた現状認識としての「善の知性」が発生する
↓
上記の道徳法則のモデル2から、理性の円としての「感情」と
「知性」のモデルが創られる
↓
次に目的と現状認識に基づいた「善の意思」が発生する
↓
上記の道徳法則のモデル3から、理性の円としての「感情」と
「知性」「意志」のモデルが創られる
↓
こうして、道徳法則から、「感情」、「知性」、「意志」を
統御する理性のモデルの形式が創られた。
その流れを描いたのが下記の図である。
善い道徳の形式を創りだすのがカント倫理学の目的なのだから、
上記のようにモデル化することによって見事に形式が出来上がっていく。
このような倫理の形式を創りだすことによって、道徳は客観的
な「法則」になる。
カントの行った倫理の形式に対するこだわりは、道徳的な法則を
創りだす優れた営みだった。
今回は人格の構成要素の一つである理性について解説した。
次回は、人格のもう一つの構成要素である、「意志の自律」
について解説する。
この「意志の自律」によって、立法という概念が生まれてくる。
次回に続く
(記事終了)
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