■勉強会
<リンク>6/3(土)銀行権力側のマクロンの勝利の市場への影響など5月の政治経済情勢を解説
市民の自由の脅威となる共謀罪に反対される方は是非、
ご参加ください。
廃案に追い込みましょう!
下の動画は今年の2月に行った共謀罪のヤバさを伝える
民主主義緊急事態宣言の講演会です。
ゲストに警察問題ジャーナリストの寺澤有さんをお迎えして
安倍政権によってテロ等準備罪という名で法案化されてい
る共謀罪と進む監視社会の実体について語りました。
↓
https://youtu.be/Ez5HReBAHxw
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お金はどう作られ、どう失くなっていくのか
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(本文)
リチャード・ヴェルナー教授が2003年に出版した
「謎解き平成大不況」
隠されてきた資本主義経済の秘密を暴露し、現代経済学の誤りを
分かりやすく指摘した超名著である。
この本のamazonのレビューに非常に詳しく、かつ分かりやすく、
ヴェルナー氏の述べていることがまとめられていたので、
ご紹介する。
現在の全ての主流の近代経済学の誤りは、
名目GDPと比較した場合、貨幣(現金+預金)との
関係で以下のような式を肯定しているところである。
M(貨幣)×V(流通速度)=P(価格)×Y(実質GDP)
この式を元に従来、貨幣の流通速度は一定と考えられてきたが、
70年代以降、流通速度は下がり続けている。
つまり日本もそうだが、マネーストック(貨幣供給量)が上昇しても
右側のPY(名目GDP)に増加率が反映されないのだ。
そのため、必然的にVの流通速度が下がることになる。
その原因は、新たに創造される貨幣を、実体経済向けと金融経済向けに
分割することがマネーストックの現金と預金を見ていては出来ないことにある。
実体経済向けと金融経済向けに分割するには、中央銀行と民間銀行の資産側の
信用創造を見なければならない。
つまり、
Cr(実体経済向けの信用創造量) × Vr(実体経済向け信用創造の流通速度)
=P(物価) × Y(実質GDP)
とするべきだと述べた。
GDPとの関係を現金+預金で計算する貨幣数量説ではなく、
信用創造量で計算する「信用数量説」を展開したのだ。
この計算によって実体経済向けの信用創造と流通速度の関係は一定であることが
ヴェルナー氏によって証明された。
流通速度が一定であるという事は、名目GDPに反映させるには、実体経済向け
信用創造の量を増加させればよい、という単純な結論を導き出す。
日本のP(物価)が減少するデフレ、Y(生産力)が伸びない不景気の克服は
この理論によって解決される。
しかし、主流の経済学はそのような理論を展開してこなかった。
信用創造に対しては、主流経済学は、歴史的、体系的な研究を殆ど行ってこなかった。
経済学のタブーだったのだ。
<参考リンク>信用創造論を歴史的・体系的に考察した文献は皆無に等しい、と述べる論文 信用創造タブー
そのタブーは通貨発行権を独占してきた国際銀行家が創りだしてきた
経済学によって巧みに自由民主制の社会から無意識化されてきたのである。
そういう観点から以下のレビューを見ていただくと、新古典派、ケインズ派、マネタリスト、
フィスカリストなどの各学説の特徴とヴェルナー氏の理論の違いがより理解しやすくなるだろう。
(転載開始)
投稿者カーマイン2007年1月7日
「虚構の終焉」という氏の著作のダイジェスト版という位置づけらしい。
平成大不況の原因を「交換方程式」から解き明かすくだりは、
少しずつ謎を解いていく推理小説のように面白い。
氏の論理に首肯するか否かはともかくとして、「経済」というもののエッセンスに
レベルを過度に落とさずに近づくことができる良書だと思う。
・・・2013年1月24日再読・・・
やはりおもしろい。どうすればデフレ不況から脱出できるのか、についての論考だが
処方箋は非常にシンプル。まず、お金を増やす。お金を生むのは銀行(や日銀)の
信用創造しかない。
政府が国民に国債を売って需要をつくっても、国民の購買力を奪うので差し引きゼロ。
日銀がマネーを供給する。このマネーが不動産などに向かえば資産インフレになる。
生産性向上に寄与する産業に向かえばインフレを起こさずにGDPを高めることができる。
マネーを消費者に供給して需要喚起してもいい。
どうせデフレなので少々のことではインフレにならない。
日銀が信用創造し、そのお金を設備投資などに向かわせればよい、という主張。
ヒトラーが雇用創出手形で景気回復させた手法と似てる?
・・・2017年5月1日再読・・・
ハイパワード・マネー(現金通貨と民間銀行が中央銀行に預金しておく準備預金の合計額)
と預金総額には安定的な関係があり、預金総額とGDPにも安定的な関係がある。
古典派は常に完全雇用水準状態にある、と前提する。
ゆえに、需要が増えてもそれ以上雇用を増やして生産を増大させることはできない、とする。
つまり、常にフル操業。となると、お金の供給量を増加させて需要を増やしても、
生産量は変化しないから、価格だけが上昇するという結論になる。
新古典派も、通貨供給量を増やすことはインフレを招くだけだと主張する。
しかし、90年代の日本はゼロ金利にしてお金の供給量も増やしているがむしろデフレになった。
古典派、あるいは、新古典派の理論によれば、需要は常に最善の状態にあるとされる。
ゆえに、経済成長をもたらす上で有効になるのは生産を行う供給サイドに働きかける
構造的な政策だけ、となる(サプライサイド経済学)。
ケインズ学派は、古典派が主張する完全なクラウディング・アウト(金利上昇によって
財政支出の効果が打ち消されること)の存在を認めない。
部分的なクラウディング・アウトがあるとしても、それが財政支出の効果を打ち消すことには
ならない、とする。ゆえに、財政支出は常にGDPを増大させる、と主張する。
資産保有者は、現金(すぐ使えるが金利なし)と債券(すぐ使えないが金利あり)に資産を
分散させてリターンの最大化とリスクの最小化を図ろうとする。
中央銀行が通貨供給量を増やすとその分だけ債券需要も増える。
債券需要が増えると債券価格が上昇し、金利が低下し、その分、
民間投資需要が増えてGDPを押し上げる、ということになる。
しかし、金利がすでに極端な低水準にあるときには金融政策は有効でなくなり、
政府は財政支出を増やすことしかできない、とケインズは考える(流動性の罠)。
マネタリストによれば、お金の供給量を増やし、金利を引き下げると、需要は増加するが、
当初は気づかれず、生産量は完全雇用水準以上に押し上げられる。
物価はすでに上昇し、実質賃金は低下しているのだが、人びとはこれを認識していない。
しかし、長期的には生産量はもとの完全雇用水準まで戻る。財政政策についてのマネタリスト
の考え方はおおむね古典派に近く、財政政策はほとんど無効だとする。
政府が国債発行によって財政支出すると、国債流通量が増えるので債券価格下落
および金利上昇となり、民間投資が減少する。ゆえに財政政策に効果はない。
マネタリストは中央銀行が可能な限りマネーサプライを増やし、金利を引き下げることを
主張する。しかし、90年代の日本は通貨供給量を増やしても金利を引き下げても
景気刺激に効果は無かった。財政支出によるクラウディング・アウトも起こっていない。
マネタリスト(ミルトン・フリードマンら)は、景気を操作するためにマネーサプライの
誘導目標を設定するように提唱するが、マネーサプライの定義方法がわからないのが難点。
その後に出てきたのがフィスカリスト(財政主義者)。フィスカリストは、世の中に流通する
お金は完全に実物経済活動に基づく貨幣需要によって決まると考える。
ほぼケインズ派と同じであり、ポスト・ケインジアンとよばれる。
金融取引のようにGDPに含まれない取引が増えると、お金の量が増えても名目GDPに
含まれる取引にそれがすべて反映されるわけではないので、(交換方程式において定義
される)お金の流通速度は低下することになる。
供給したお金の多くがGDPとは関係ない方の非GDP取引に使われるので、
現代ではGDP取引と非GDP取引に分けて考えるべき。
預金は「お金の供給量」なのだろうか。預金で決済もできるものの、預金はあくまでも
現在取引には使われていない貯蓄であって、潜在的な購買力でしかない。
流通したお金の増加分は、新しく信用創造が行われた額である。銀行の信用創造が
あってこそお金が増える。銀行から借りたお金は何らかの経済取引に使われると想定できる。
ゼロ金利といわれるが、これは銀行の調達金利であって、銀行が融資するときに
適用される金利ではない。金利がゼロにまで下がっているのに借りたい人がいない、
というのはウソである。
銀行が借りる人を選別しているとしたら、銀行が信用創造の市場を決定(コントロール)している。
需給がアンバランスな不均衡な市場では、量が少ない方が多い方に対して割り当てを行う。
不均衡市場で重要なのは価格ではなく、需要と供給の量がどのくらいかということである。
信用創造の市場では、情報が不完全であり、「割り当て」が行われている。
そこで重要になるのは価格(金利)ではなく、量である。金利は最重要ではない。
金融取引や不動産取引をGDPに含まれない取引と定義して計算したところ、
お金の流通速度は低下していないことが実証された。
主流経済学の理論は、名目GDPを経済取引全体と捉え、非GDP取引でお金が増加する
可能性を無視していたために間違った。
銀行融資のうち、資産部門に向かったお金と同じ量だけ不動産や株式の供給が増えなけ
れば価格は上昇する(資産インフレ)。
一方、モノやサービスの取引に向かったお金の量と同程度に生産量が追いついていれば
価格はほとんど上昇しない。これが日本のバブルの背景。銀行が積極融資したお金が
不動産に向かい、資産価格だけが急騰した。
企業の先行投資は、需要を増やすものであると同時に供給力を増やすものでもある。
買った機械に見合うだけ実際に生産量を上げることができればこれは価格を上昇させない。
したがって、銀行から融資を受け、それで生産量を増強できればインフレ要因にはならない。
新古典派の理論は完全雇用状態を前提としているため、生産量を増強するために新規
雇用はできず、需要の拡大は価格上昇だけをもたらすと結論づける。
信用創造によって増えたお金が生産量の増強よりも消費の方により多く向かえば、
インフレになる。発展途上国などでは経済成長率は高いもののインフレも激しいという
ケースがよくあるのは、生産量を高めるよりも消費の方に多くのお金が回っている状況が
あると考えられる。
不均衡であり、「割り当て」が行われている市場では、とりわけ経済全体に重大な影響力
を持つ信用創造においては、まったくの自由競争にするよりも、政府が関与する方が
有効であると考えられる。
1991年以降に日本経済が失速したのは、信用創造の伸びが失速したから。銀行は
不良債権があるために信用創造を減らさざるを得なかった。このとき日銀が信用創造
によってお金を増やしていれば景気を早期回復させることができた。
信用創造がともなわないで財政支出をすると、名目GDPも増加せず、消費+投資+
政府支出の増加分もゼロとなる。政府支出が増えた分だけ消費と投資が減る。
財政支出の効果は金利によってクラウディング・アウトするのではなく、お金の量が
増えないことによって帳消しにされる。
日本政府は、戦後の復興を図る産業政策として、重要と考える産業に対して重点的に
資金配分(銀行による融資、すなわち、信用創造の割り当て)した。
消費支出、資産取引、住宅取得に対する信用創造は抑制された。日本企業の旺盛な
投資の資金源はここにあった。株式投資も抑制したので、日本企業は目先の利益追求に
走ることなく、規模拡大という目的を優先できた。信用創造によってお金の量を伸ばし、
それが企業投資に回り、生産量が拡大する。
海外から資金を借りている発展途上国に、より多くの技術が移転していることを示す
調査報告はほとんどない。途上国が海外技術を導入するのであれば、明治維新の時の
日本のように留学生を送り出したり、海外の専門家を招くなどして国内産業を育成する
のがよい。
信用創造のお金が向かう先を生産向上に寄与する部門と需要だけを増やす部門に
区別しなければならない。
日本の経済システムは「目的を達成させる成功モデル」なのだから、これを壊さずに
リフォームすればいい。どんな目標にするかは国民が議論して決めればよい。
民間需要を押し下げない方法によって調達したお金で財政支出すれば、財政支出の
効果は発揮される。その資金の調達方法とは、民間銀行から国が貸し付けを受けるという
方法である。
みたいな話。
(転載終了)
この部分を国際銀行権力に操作される自由民主制の全体像にすると
以下の赤字の部分になる。
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