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米国の現代思想を代表するケン・ウィルバーの理論を
研究、紹介しているインテグラルジャパン(株)。
その代表をされている鈴木規夫氏から、拙著の
『世界を騙し続けた詐欺経済学原論』
の書評をいただいた。
ケンウィルバーが提唱しているインテグラル理論とは以下のものである。
(インテグラルジャパンHPより以下転載)
「インテグラル」が提供するものには、実際には、下記の3つがあると理解してい
ただけるといいでしょう。
- 人間・組織・社会・世界を統合的にとらえるための新しいフレームワーク(理論)
――「インテグラル理論」(Integral Theory) - その理論を応用して、個人の成長・発達を促進するための実践法
――「インテグラル・ライフ・プラクティス」(Integral Life Practice) - その理論を応用して、現代が抱える課題や問題を解決するための実践法
――「インテグラル・アプローチ」(Integral Approach)
インテグラル理論は、人間・組織・社会・世界を理解するための包括的な地図である
と言い換えることができます。
(転載終了)
ケンウィルバーの思想は、学問を横断的に俯瞰して
世界をとらえる、という総合理論である。
そのため、その理論を研究されている鈴木氏の
書評は総合的な視点から、人間の心理と社会構造とマネーの
関係が分析された内容になっている。
まるで、一つの学説を述べた重厚な論文のようだ。
本人とは何度もお会いして話しているが、日本有数の
人間分析、社会分析のできるホンモノの知識人だと感じている。
この書評で述べられている、意識化と無意識化の概念は、
今回の詐欺経済学、洗脳政治学の両方で多用している概念だ。
今作で最も重要なポイントである、
「意識されないものは、分析の対象にならない」
つまりある対象が無意識化されてしまうと、その対象が存在して
見えているにも関わらず、分析されないために理解できない状況が
つくりだされてしまう。
この考え方は、鈴木氏の文章から啓発をうけたものだ。
その観点を多用することにより、国際銀行権力のマインド
コントロールシステムの全体像をより鮮明にすることができた。
経済学はマネーの増減方法を意識化させず、分析の対象から
巧妙に外してきたのである。
経済学がマネーを分析の対象から外したならば、どの学問も
マネーを分析してこなかったことになる。
そのため、世界を騙し続けた詐欺経済学、というタイトルをつけた。
素晴らしい書評をいただき、ありがとうございました!
(Norio Suzuki blog より以下転載)
書籍紹介 : 『詐欺 経済学原論』 天野 統康(著)
現代思想家のケン・ウィルバー(Ken Wilber)が提唱するインテグラル理論においては、
人間の成長とは、これまでに意識されていなかったものを意識化することで実現されるといわれる。
気づかないかたちで自己に影響をあたえていたものを意識化して、それを探求することで、
その呪縛や束縛から自由になるための方途を見出せると考えるのである。
このプロセスを、ウィルバーは、「ひとつの発達段階の主体が、次の発達段階の主体が
観察することのできる客体(対象物)となる」(“the subject of one stage becomes the object
of the subject of the next stage”)プロセスと説明する。
普段 われわれは世界(内的世界・外的世界)をありのままに認識していると思い込んでいるが、
実際には様々なバイアスをとおしてとらえている。
発達とは、自己を呪縛しているそうしたバイアスの存在に気づき、
また、それについて批判的に検討をすることをとおして、
その影響から少しでも自由になろうとする格闘の中で実現されるものだといえるのである。
また、カール・G・ユング(Carl Gustav Jung)がModern Man in Search of a Soulの中で指摘する
ように、現代という時代は、意識化をするということに個人が積極的に責任を負うことが、
とりわけ重要になっている時代でもある。
産業革命以降、人類の活動が地球の生態系に大きな影響を及ぼすようになるなかで
(“anthropocene”)、われわれには、みずからの認識や思考や行動に影響をあたえている
無意識の領域に意識の光を当て、それを深く理解・洞察する責任が課されるようになって
いるのである。
そうした責任を果たすことができなければ、われわれ人類は、みずからの無意識に呪縛さ
れたまま無軌道な行動をしてしまうことになり、結果として、この惑星の生命維持機構その
ものを大きく損なうことになる可能性さえある。
その意味では、「意識化」という課題は、現代を生きるひとりひとりが真に懸命にとりくむべき
課題のひとつなのである。
さて、インテグラル理論においては、この意識化という課題にとりくんでいくうえで、
われわれが留意すべきこととして、探求領域によって異なる意識化の方法が必要と
なることが指摘されている。
即ち、内面領域(Left Quadrants)に存在する無意識と外面領域(Right Quadrants)に存在
する無意識を探求するときでは、異なる探求方法が必要となるのである。
内面領域とは、いわゆる「心の目」をとおして観察する精神的領域のことであるが、
そこでは、たとえば心理的な探求や内省、あるいは、宗教的な探求や瞑想をとおして、
意識の深層に存在していたものを意識化していく。
意識から排除・抑圧されていたものは意識の中に抱擁・統合され、また、
無意識の中に潜在していた高次の可能性は解発・創発されるのである。
人間存在の中には、治癒と成長への衝動が息づいているといわれるが、
それは内的な衝動として感得され、内面領域における探求に向けて
われわれを衝き動かしていくことになるのである。
端的に言えば、内面領域に存在する無意識を意識化するとは、こうした内的衝動に耳を
傾けて、それと対話をしながら、自己の内の暗闇に意識の光を当てていく作業にとりくむ
ことなのである。
そのために必要となるのは、たとえ非常に幽かなものであれ、みずからが感じている
治癒と成長に向けた衝動を素直に肯定・受容することである。
その意味では、内面領域に存在する無意識を意識化するための契機はすぐそこに存在して
いるということができるだろう。
いっぽう、外面領域の無意識に関しては、こうした契機が働かないために、異なる方法を
用いる必要がある。
外面領域とは、端的に言えば、肉眼(あるいは、諸々の計測器)で観察できる領域であるが、
この領域における無意識とは、基本的には、知識として取得されていないすべてのことがらの
ことである。
たとえば、これまで物理学について勉強をしていない者にとっては、物理学をとおして明らかに
された諸々の事実は無意識である。
それらの事実は、過去に抑圧されたり、排除されたりしたので無意識化されているわけでは
なく、単純にそうした知識に触れる(あるいは、そうした知識に触れる機会があたえられてい
たものの、それを実際に習得しなかった)機会が無かったために、無意識なのである。
その意味では、外面領域の無意識とは、探究心を発揮して純粋にあらたな知識を獲得して
いくことで意識化されていくのである。
そして、そのためには、その探求領域(学問領域)で共有されている知見を吸収すると共に
いまだ解明されていないことを見極めて調査や実験をとおして、あらたな知識や洞察を
創出していくことが求められるのである。
必然的に、外面領域の無意識を意識化するためには、旺盛な関心をもってこれまでに
蓄積されてきた知識を勉強して、また、それらを批判的に検証して、あらたに調査や実験を
設計・実施する必要があるのである。
このように、インテグラル理論においては、世界の無意識を統合的に意識化するためには、
上記の両方の活動に従事する必要があるといわれる。
ただし、実際には、内面領域の探求に習熟した関係者が大多数を占めているインテグラル・
コミュニティの性格上、外面領域の無意識を意識化することにおいては、総じて非常に立ち
遅れているというのが、実際のところである。
また、ウィルバー自身の著作においても、しばしば、政治や経済をはじめとする外面領域の
話題について言及されているが、そうした話題に関する記述は、基本的には、巷に流布して
いる常識的な言説を「統合的」という名のもとに御都合主義的に組み合わせているに過ぎ
ないように思われる。
少なくても、そこでは、既存の理論や体系が言及していない未開拓の領域を積極的に探求し
ようという姿勢は非常に希薄である。
とりわけ、いわゆる「深層政治」(deep politics)といわれる領域にたいしては、実質的に完全
に視野を閉ざしており、社会的な動静に関しては、表層的な洞察しか持ち得ていない
(その様は、あたかも、心理学において、無意識に全く言及することなく、人間の精神を
理解しようとする態度に譬えることができるだろう)。
こうした傾向は、インテグラル・コミュニティのみならず、その母体となっている人間性心理学
やトランスパーソナル心理学をはじめとするいわゆる心理学者が中心となって形成されてい
るコミュニティに共通するものであるが、ただ、インテグラル・コミュニティの場合には、
そうした弱点を克服することをその重要な命題として掲げていることを考慮すると、こうした
問題がいまだに色濃く残存していることは非常に残念であり、また、皮肉なことでもある。
いずれにしても、重要なことは、内面領域と外面領域の両方において、無意識を意識化する
ための能力を積極的に鍛えるということである。
また、内面領域と外面領域の一方を深く探求できることは、もうひとつの領域を深く探求でき
るということではないことを認識して、みずからが不得意とする領域に関しては、その探求
方法を修得するために貪欲に修練を重ねていくことが求められる。
同時代に生きる圧倒的大多数のひとびとを呪縛する無意識の中でも、とりわけ強力なもの
が貨幣発行権に関するものである。
今日、われわれはまさに貨幣を絶対的な価値の体現として信仰・信奉して生きている。
われわれの意識は一日をとおして半ば常に貨幣に関する関心で占められており、それを
追求・獲得・蓄積することにわれわれの存在は捧げられている。
日常生活の小さな判断を下すときにも、人生における大きな判断を下すときにも、金(money)
は常に最も重要な関心事として存在しており、われわれの思考や発想に強烈に影響をあた
える。
たとえば、書店にいけば、貨幣獲得というゲーム(game)に参加して、そこで勝利するため
の方法を紹介した書籍が無数に並べられている。
メッセージの具体的な表現こそ異なれ、それらの書籍はすべて、貨幣の獲得という目的こそ
が意味と価値をもたらす行為であり、そのために読者がみずからの存在を捧げることを直接
的・間接的に迫ってくるのである。
端的に言えば、この世界の真に意味と価値があるものとは、貨幣という単位で数値化できる
ものであり、また、そうした数値をみずからの財産として貯蓄することに日常の生活の目的が
あるのだという世界観の中でわれわれは生きているのである(“Flatland”)。
その意味では、われわれはまさに貨幣という水の中を泳ぐ魚のようなものなのである。
このように、われわれは貨幣獲得ゲームの中で勝つための方法には実に旺盛な関心を
もっているが、ただ、そうしたゲームそのものを対象化することはしない。
みずからが全身全霊を捧げて追い求めている貨幣というものがそもそもどのようにこの世に
生み出されているのか、また、それを絶対的な価値の体現として人類が集合規模で追求す
ることにより、われわれの生命を維持する惑星の生態系にどのような影響をあたえることに
なるのかといった問いかけをすることのないままに、ただひたすら貨幣という交換券を少しで
も多く手にしようと必死に生命を擦り減らせているのである。
われわれの知性はゲームで勝つためには利用されるが、ゲームから醒めるために活用さ
れることはほとんどないのである。
また、高邁な問題意識をもつ少数の奇特なひとびとは、こうした状況を改善しようと、政治や
経済について勉強して、問題解決のための方法を考案するが、大抵の場合には、現代社会
を覆い尽くす貨幣を基盤とするゲームの本質と構造に関する的確な洞察を欠いているため
に、真に有効な策を呈示することができない。
故Michael C. Ruppertが述べたように、まさに「貨幣の持つ働きを変えることができなければ
、何も変えることはできない」
(“Until you change the way money works, you change nothing.”)のである。
こうした問題意識にもとづいて、近年 貨幣の本質的側面に迫った研究書が少数ではあるが
出版されはじめている。
たとえば、すぐに思い出せるものだけでも、下記のものがある:
- G. Edward Griffin (2010). The Creature from Jekyll Island: A Second Look at the Federal Reserve (5th edition).
- F. William Engdahl (2010). Gods of Money: Wall Street and the Death of the American Century.
- Ellen Hodgson Brown (2012). The Web of Debt: The Shocking Truth about Our Money System and How We Can Break Free.
これらはいずれも中央銀行の貨幣発行権(seigniorage)に関する分析をすると共にそれらの
機関が世界の政治・経済・外交にいかなる影響をもたらしているかに関して鋭利な省察を
している。
また、日本においても、安部 芳裕氏が、地域貨幣の概念を紹介しながら、現代の貨幣制度
に関する批判的な検証をしている。
そうした流れのなかで、近年、優れた情報発信をしているのが、経済評論家の天野 統康
(あまの・もとやす)氏である。
天野氏は、『円の支配者:誰が日本経済を崩壊させたのか』(草思社)の著者である
リチャード・A・ヴェルナー(Richard Werner)
( https://www.sbs.ac.uk/academic-profiles/richard-werner# )の研究に注目して、Financial
Plannerとして活躍する傍ら、現代の貨幣制度 (とりわけ、中央銀行制度の根本的な問題)
に関する調査・研究にとりくんでいる。
これまでにも数冊の著書を出版しているが、2016年にはいり、『詐欺 経済学原論』
『洗脳 政治学原論』(共にヒカルランド)という非常に挑発的なタイトルの作品を発表した。
内容的には、天野氏の過去の著書の内容を素材として、それらを整理・統合したものである
といえるが、今回の著作においては、今日ひろく受容されている経済学の諸々の前提を
ひとつひとつ検証しながら論を展開しており、いわゆる「常識的」な経済学の発想を相対化
して、そこに潜む盲点(無意識)を浮き彫りにする。
本書のとりわけ重要なところは、ヴェルナーが呈示したモデルを援用して、銀行業が占有
する通貨発行権というものが、具体的にどのような仕組をとおして貨幣を無から生み出して
いるのか、また、それを実体経済と金融経済に恣意的に配分することで、いかに世界の
経済動向を統御しているのかということに関して簡潔に説明しているところである。
また、個人的に特に興味深く思ったのは、主流経済学においては、貨幣そのものを調査・
研究の対象としないという不文律の約束があるということである。
くわえて、貨幣の発行権を握る中央銀行が中立的に社会の公共的な利益を守るために
活動をしているという「中央銀行性善説」とでもいえるものがひろく信奉されているという
指摘も実に新鮮である。
これらは、環境経済学者のハーマン・デイリー(Herman Daly)が“pre-analytic vision”と
形容しているもので、われわれが思考をするときに前提としている価値観や世界観の
ようなものだといえる(c.f., Herman Daly and John Cobb Jr. (1989).
For The Common Good: Redirecting the Economy Toward Community,
the Environment, and a Sustainable Future. Boston: Beacon Press.)。
われわれは、思考活動をはじめるうえでみずからが立脚している前提条件そのものを
批判的な検証の対象とすることはないので、それに囚われたまま――そして、それを半ば
正当化するかたちで――思考をすることになるのである。
このように、「何が無意識化されているのか」という問いを常に掲げながら、天野氏は、
今日の経済学において調査・研究の対象とされない領域を探りあて、それに光を当て
ようとする。
換言すれば、既存の経済学を単純に否定するのではなく、その発想の限定的な妥当性を
認識・評価しながら、同時にそこで歴史的に一貫して排斥されてきた視点を――それが
排斥されてきたことで、誰がどのような利益を享受してきたのかを示しながら――実質的に
回復しようとするのである。
つまり、本書は、これまでに経済学の関係者を集合規模で呪縛していた無意識を
意識化するためのこころみといえるのである。
こうした論述法は、著者の研究をこれまでの経済学の文脈の中に位置づけることで、
その主張に妥当性をあたえることに寄与している。
少なくても、最終的に読者が著者に同意するか否かにかかわらず、著者の主張を
傾聴に値するものにしていると思う。
もちろん、意識化の作業というものは、基本的に、様々な抵抗に出遭うプロセスとなりえる。
それは、ある真実を無意識に留めておくことで得られる「状態」を動揺させることになるために、
それに脅威を覚える集団の抵抗を招くことになるのである
(たとえば、心理療法においては、たとえ無意識の意識化が最終的に治癒や成長を
もたらすとしても、自我はそれに必死に抗おうとするものであることが知られている)。
とりわけ、本書が貨幣という現代人にとり実質的に「絶対的=宗教的」な価値を体現するもの
に直截的に言及するものであることは、そうした防衛を発動させる可能性を必然的に高める
ことになる。
われわれがみずからの存在を賭して追い求めている貨幣というものが、実は銀行という
機関が無から生み出した単なる交換券でしかないという事実を示そうとする本書の意図は
現代人の精神性を冒涜するものと解される可能性さえある
(今日、大多数の人間にとり、貨幣は意味や価値の拠所であり、また、自己の存在が
立脚する基盤であるが、それが実は一民間機関である中央銀行が発行する交換券に
過ぎない)。
その意味でも、本書の意図は非常に野心的であり、また、それゆえに、その洞察をひろく
共有していくためには、経済学のみならず、他分野の関係者の協力を必要とするもので
あるといえると思う。
尚、これからこの著書を読むことを検討されている方々――特に経済学の初心者の方々
――にたいしてひとつ警告をしておきたいと思う。
著書は三部構成になっているが、その要となるが第3章である。
分量的にも全体の約半分を占めており、著書の独自の洞察が最も明瞭に
示されている章である。
第1章と第2章が一般的な読者にも理解できる平易な言葉遣いで語られているのに
たいして、第3章は、それほどの数式は登場しないものの、経済学に関する専門的な
議論が展開されている。
そのために、論述も、それまでの章とは趣を変えて、そうした領域の文献に読者がある
程度は慣れ親しんでいることを前提とした凝縮されたものになっている
(いちおう、冒頭にはこの章の最重要概念となる複式簿記の基本に関する説明があるが、
非常に簡潔な説明で済まされているために、初心者の読者は困惑することになるだろう。
また、この章をとおして、諸々の経済学の基礎用語が、詳細な定義や解説なしに登場す
ることがあるので、日頃からそうした言葉に触れていない読者はそこで立ち往生してしま
うことになるかもしれない)。
第3章は、第1章と第2章の中で言及された問題の深層にあるものを解明する重要な役割
を担っており、読者は期待に胸を高鳴らせて第3章の頁をめくるはずなのだが、そこで途端
に論述の様相が変わり難易度が高まるので、少なくない読者が戸惑いを覚えるのではな
いかと思う。
実際、筆者も、これまでに天野氏の全著作に目を通しており、基本的な知識はある
程度了解していたつもりなのだが、第3章には何度読み返しても意味を解すること
ができない箇所が頻出して、個人的に随分と苦労をした。
推察するに、こうした難解さは、ほとんどの箇所において、説明が舌足らずであるため
に生じているので、これに関しては編集者の責任が非常に大きいと思う。
この出版社が、これまでに専門的な経済書をそれほど出版していないために、
こうした内容をひろい読者層に伝わるようにするための有効な方法を蓄積してきていない
のではないだろうかと推測されるのである。
たとえば、第3章には、多数の図や表が挿入されているが、ひとつひとつの情報量が
多過ぎるために、文章解説を簡潔に視覚化するのではなく、むしろ、それらが意味する
ことを理解するのに熟考しなければならなくなる。
また、構成上、第3章が120頁を超えるものに長大化していることも、この章を難解に
している原因のひとつである。
本来であれば、この章は、複数の構成要素に分けて、それらを独立した章として
設けるべきだったのではないだろうか。
それらを順番に理解していくことで、著者の云わんとすることを読者が着実に理解できるよう
にすべきであったと思うのである。
現在の状態だと、第3章を構成するひとつひとつ構成要素が、どこからどこまでなのか、
また、それらの構成要素がどのような関係にあり、それらが相互に組み合わさることで、
全体としてどのような構造や物語を形成するのかということが、いまひとつ明瞭に理解
できないもどかしさがある
(第3章をとおして、著者は①②③と番号を記して情報を整理しているが、異なる文脈で
異なる話題について述べているときにも、この①②③という同じ表記が用いられている
ために、それが混乱をもたらしているように思う)。
このあたりに関しても、編集者は、書籍作成の専門家として、著者にたいして的確な支援を
すべきであったと思うのである。
非常に価値ある作品であるだけに、このあたりに関しては、編集者の猛省を促したい。
いずれにしても、今後 この著書が多数の読者の目に触れるなかで、著書のもとには
同様の意見や感想が寄せられることになると思うので、このあたりの難解な個所に
関しては、Blogや動画等で補足解説をしていただけることを期待している。
(転載終了)
<リンク>
・Norio Suzuki blog http://norio001.integraljapan.net/
・インテグラルジャパン(株) http://integraljapan.net/index.htm