安政五年(一八五八)九月六日、初代歌川広重没。享年六十二。
文久元年(一八六一)三月五日、歌川国芳没。享年六十五。
元治元年(一八六四)十二月十五日、三代歌川豊国(初代国貞)没。享年七十九。
一、梅が香の章
一
白梅の香りが境内に漂っている。
元治二年(一八六五)如月初旬。童たちが太鼓や笛を鳴らしながら町内を練り歩く初午も過ぎ、江戸は仲春の陽光に満ちていた。
亀戸村津軽藩抱え屋敷裏手の光明寺。
故人宅での読経を終えた後、寺に向かい、墓を清める。清太郎は女房のお鈴とともに本堂前に立った。その隣に並ぶのは義妹夫婦のお勝と久太郎だ。お鈴とお勝の父であり、清太郎と久太郎の義父である三代歌川豊国の七七日法要を終え、墓に線香を手向けた参列者が代わり映えのしない挨拶を次々と述べていくのを聞き流しながら、無言で幾度も頭を下げた。
ただ、その頭の中で清太郎は、青く広がる空を背景にして、乳白色の梅花を前面に置いた画を描いていた。
枝を手折ろうとする町娘。歳の頃は十五。緑の小袖に黒繻子の襟、朱の帯ではいささか白梅と馴染まぬか。娘の表情はどうだ。微笑んでいるより、枝を折るのを他人に見られまいとした、少しばかり張りつめた顔のほうがよい。頭の中の筆が一枚の画を少しずつ仕上げて行く。
やはり梅はいい、と清太郎はこの季節になると思う。清太郎の居宅からほど近い亀戸天満宮も梅屋敷の梅もいまが盛りと咲いている。桜花ほどの華やぎはないが、梅花には楚々とした奥ゆかしい美しさがある。春告草、風待草の異名は、冬の厳しい寒さを耐え忍び、春を待ちかねたように固い蕾を開く梅の性質をよく表している。
清太郎がかつて師匠の三代豊国の工房にいた頃、好んで梅堂の画号を使っていたのは、慎ましさの中にある梅の強さに憧憬を抱いていたからだ。
不意に、梅花の香りを裂き、香煙が鼻孔に広がった。
我に返った清太郎は、羽織の肩へ鼻先を近づける。
線香の匂いが羽織に染み付いているわけではなかった。だとしたら、知らぬ間に身のうちに入り込んでしまったのだろうか。
気がつけば、己の吐く息でさえ、どこか抹香臭い気がした。
年の暮れからこっち、弔問客が多すぎて、線香の煙が絶える間もなかったせいだろう。
工房でもお鈴は線香を点した。
紙に匂いが移るといっても、「いまはおまえさんの工房かもしれないけど、お父っつぁんはここで幾枚描いたことか」と涙声を出し、聞く耳を持たなかった。
清太郎は、薄い唇を曲げる。
三代歌川豊国は、当代きっての花形絵師だった。美人画、役者絵を能くし、病に倒れる最期まで絵筆を持ち続けた。初代豊国の門に入り、若くして頭角を顕わし、まず国貞としてその名を馳せ、これまで約六十五年にも亘る画業を貫いた。
作画数はおそらくどの絵師も敵わない。本人でさえ数えたことはないだろうが、黄表紙本や合巻本などの挿画を合わせると、万を越える。
歌川を守り立てた初代の名を受け継ぎ二十年、さらに一門を盤石なものとしたのが三代だ。豊国を知らぬといえば、江戸っ子ではないとまでいわれた。
錦絵は、紅絵といわれた昔から、浮き世を映す鏡だった。浮き世は憂き世。はかなく苦しい現の世なら、憂うよりも、浮かれ暮らすほうがいい。極彩色に彩られた浮き世の絵は、俗世に生きる者たちの欲求そのものだ。
御殿の奥で鎮座している、おつにすました装飾画とは違う。為政者によって数百年と遺されてきたものとも違う。
卑俗で、猥雑で、美しい。
禄を食む奥絵師たちや、本絵師が、変わらぬ劫を描くのならば、移り行く時を享受しつつ、刹那に浮き世を描くのが町絵師だ。
未来永劫などには構っちゃいられない。そこにあるもの、己の眼に映るものを描き出す。
とくに一枚摺りの錦絵は、版木によって大量に摺られ、地本問屋、絵双紙屋の店先に吊るされる。手の込んだ豪華摺りやへぼ絵もあるが、ほとんど一枚二十文そこそこだ。裏店暮らしの者には、到底手の届かない花魁も、憧れの役者も、見たこともない景色、名所も、にはちの十六文のかけ蕎麦一杯に色をつけたぐらいで手に入る。
その昔は芝神明前、いまは馬喰町や浅草、芝居小屋の三座が揃う猿若町に多くの絵双紙屋が並ぶ。
芝は、東海道の往還道、馬喰町には旅籠が並ぶ。諸国から江戸へ出て来た者たちが、『江戸絵』を在所への土産物として購い、日の本中に広げていく。猿若町では、若い娘たちが贔屓の役者の絵姿を嬉しそうに買っていく。
後生大事に手許に留め置く蒐集家も中にはいるが、大方の者が、障子や襖の破れ目に、衝立てのぼろ隠しにしながら、楽しむ。新しい物を求めたら、その上に貼り付ける。
庶民は移り気で気まぐれだ。流行りとあらばすぐに飛びつき、廃れれば見向きもしなくなる。店先に吊るされ、置かれるのも、精々がふた月。売れれば、後摺りと呼ばれる再版が出されるが、そうでなければ、あっという間に店先から消えてなくなり、版木にはあらたな画が彫り込まれる。
駆け出しの絵師であれば大概初摺りは二百。二百などという枚数では、問屋と江戸中の絵双紙屋すべてには行き渡らない。最も少ない数だった。
消費され、破棄され、飽きられるのもまた、浮き世を写したものであるからだ。
岩佐又兵衛、菱川師宣、鈴木春信、勝川春章、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、渓斎英泉――。
その時々を彩った名立たる町絵師は多くいる。
それでも、三代豊国が国貞の頃から、頭ひとつ抜け出てもてはやされたのは、常にいまを描く眼を持っていたからだ。女の絵姿ひとつとっても、細面の吊り上がった眼の美人画、顎の丸い猪首の女と、その時代に即した画を描いた。いまを創り出すことに長け、役者や戯作者と親交を結び、遊郭に通い、芸者を揚げ、流れる時をその眼で見据えていた。なにをどう描けば、江戸っ子が唸るか、喜ぶか――。
三代の頭ン中にはそれが絶えずあった。
描いた画が、歌舞伎狂言になり、役者が画のままの衣装で演じたこともある。
晩年は、確かに乱作と呼ばれても詮方ない画もあった。だが、三代の目指したものは、一枚の画を、彫師、摺師によって、己の思い描いた通りにすることだった。
絹本や紙本の肉筆画と錦絵との大きな違いは、絵師が描くのは版下絵だということだ。薄美濃紙に輪郭線だけを描くのだ。彫師はその版下絵を裏返しにして、版木に貼り付け、彫っていく。描いた画は、そこできれいさっぱりなくなってしまう。
絵師の筆は残らない。
それは錦絵の宿命ともいうべき点だ。いくら絵師の技量がすぐれていようとも、彫師、摺師の技が劣れば、その画は台無しになる。
彫りと摺りの技法は、創意を重ね、工夫されてきた。ときには、版元や絵師からの要求もあっただろう。絵師の描いた墨線を緻密なまでに再現し、色を完璧に表現するのが、彫師、摺師たちの職人としての矜持だ。長い年月をかけて、その技を磨き、継承し、向上させてきたのだ。
彫師、摺師の中にもその技に秀で、名工と呼ばれている者たちがいる。その熟達した技があってはじめて、作り上げられるのが錦絵だ。版下絵では、筆の運びや墨の濃淡などいらない。かっちり描かれた輪郭線を完璧に彫る彫師、色をきめ込む摺師がいてこその画だということを、三代は知っていた。
彫りと摺りで版下絵を活かすことも殺すこともできる。錦の画は、絵師だけで作れるものじゃねえ、それが三代の口癖だった。
名所の歌川広重、武者の歌川国芳、そして似顔の三代歌川豊国。
歌川の三羽烏と呼ばれた。
この三人が同時代を生きたことは奇跡のようなものだと、清太郎は思っている。時が彼らを選んだのかもしれない。
おそらくこれから先、このような俊傑がまみえることはまずないだろう。
錦絵は、文化文政期に華開き、天保の改革以降に爛熟した。
なら、いまはどうだ。この先はどうなる――。
羽織の袂が引かれた。清太郎は、横にいるお鈴へ視線を落とす。
「おまえさん。さっきからどうしたの。ぼうっとして」
お鈴は、眉間に縦皺をくっきり浮かせ、咎めるような眼で清太郎を見上げた。
「ああ、悪かった。いろいろ考え事していたのでね」
清太郎は、低い声で応えた。
お鈴が口角を上げ、客へ愛想笑いを向けながら小声でいった。
「そりゃあね、お父っつぁんが死んで、大変だと思うけど、これで忌明けだもの、お勝と久太郎さんもいるんだからなんとかなるわよ。あとのことは、栄屋さんと、版元さんたちと考えればいいのだし、ね」
日本橋で廻船問屋を営む栄屋文吾郎は、清太郎の後援者のひとりであり、歳は文吾郎のほうが三つほど上だが、門人でもあった。
「それに、おまえさんが後継に――」
お鈴はそこで一旦言葉を切ると、あらあら、まあまあ、ありがとうございますと、打って変わった明るい声を張り上げ、紙問屋の主に深々と腰を折った。
女は器用なものだと、清太郎は思う。べつの者へ笑顔を向けながら亭主と話をする。
もうどのくらいの者に頭を下げたかしれない。義弟の久太郎も少々うんざりした顔をしていた。法要にまで、これほどの人が集まるとは思わなかった。
歳の市といっては大袈裟だが、弔いのときは、それに近いほどの参列者だった。付き合いのあった絵師や版元はむろんのこと、戯作者や、彫師、摺師、紙問屋に、絵具屋、筆屋に、そして三代がこれまで描いた役者たちもこぞって姿を見せた。初春狂言を控えた稽古の最中で、そのおかげで役者会いたさ見たさに集まった娘たちが三代の屋敷の門の外まで溢れ出ていた。先に逝った五代目市川海老蔵の末息子が感極まった調子で「柳島の小父さま」と三代の棺に語りかけたときには、ただ見物に来ていた娘たちまでもが、よよと泣き崩れた。三代の自宅の裏が菩提寺であったせいもあるが、葬送の列は自宅から寺まで続いた。清太郎はあらためて三代豊国の存在の大きさを突きつけられながら、位牌を握りしめた。
清太郎にとって、この弔いはどのような意味を持つのか、痛いほど感じる。
かつては、北尾や勝川、鳥居といった一門や、葛飾北斎の弟子筋などがあったが、いまの錦絵は、ほぼ歌川の絵師たちによって占められている。
皆、錦絵界を背負っている歌川一門の去就を窺っているのだ。
すでに広重、国芳を亡くし、歌川の大看板である豊国を失ったいま、誰が歌川を率いて行くのか、集まった版元たち同士も牽制し合っているように見えた。
「お急ぎでなければ、柳島の家にも寄ってくださいましな。「橋本」から仕出しを用意させましたので。お父っつぁんの供養になりますから」
それはそれはと、紙問屋の主が相好を崩す。
橋本は横十間川沿いにある人気の料理屋だった。
隣接する妙見菩薩を祀る法性寺は昔から庶民の信仰が厚く、その参詣の帰りに橋本を利用する者が多かった。柳島は天神橋から横十間川と北十間川とが交わる一帯をいい、その地名の通り、かつては多くの柳の木がその枝をそよがせ、大川の洲であったところからそう名付けられた。あたりは田畑が広がる眺望の開けた処で、春夏は緑、秋は枯れ野、冬は雪景色と、文人墨客らにも好まれた地だ。
三代の居宅は法性寺とは川を挟んでほぼ向かいにあり、橋本の主夫婦とはもう二十年来の付き合いになるはずだった。
半刻(約一時間)かけてようやくほとんどの客が引けた。静寂の訪れた境内に、また梅の香が匂ってくる。
「ねえ、お客へ渡す引き物は足りたかしらね。まさか、こんなに人が多くなるとは思わなかったものだから」
どうだろうかなと、清太郎は首を捻った。
「雅が、調えているはずだ。足りなきゃ菓子屋に走らせる」
「あら嫌だ。雅、雅って、あの子はまだ元服したばかりの十六じゃないの。いくらお武家のご子息だからってそんなに頼りにしちゃったら、かわいそうよ」
雅は、須藤雅之助というれきとした旗本の息子だ。幼い頃から絵を描くことが好きであったのと、妾腹の四男であるがゆえに、町絵師になろうと三代の門下に入った。
なかなか手筋がいいと、雅之助を気に入った三代は、いつも自分の横に置き、時折、着物の意匠などを代筆させていたという。
「それにしても気の毒よねぇ。お父っつぁんの許に入って二年ぽっちで」
おまえさんが面倒見るっていってくれてほっとしたのよ、お父っつぁんは孫のように可愛がっていたからと、お鈴は誰を捜しているのか、首を伸ばし、しきりに周りを見回した。
それでも三代の門人のすべてを引き取るわけにもいかなかった。通いも含め、いまいる二十人あまりの門弟を引き受けるほどの器量は清太郎にはない。義弟の久太郎も絵師だが、同じようなものだ。まさか、他の師匠や兄弟子たちへ押し付けることもはばかられた。独り立ちできそうな者は、版元へ引き合わせ、仕事を回してくれるよう頼んでもいる。
ただ、雅之助のように住込みの、まだ入りたての門人は、放り出すわけにもいかない。雅之助をはじめ、幾人かは清太郎の工房へ入れることになった。
「じゃ、義兄さん、あっしたちは先に行きますよ」
久太郎の暗い声がした。
ああ、と清太郎は久太郎へ頷きかけると、お鈴を振り返った。
「さて、おれたちもそろそろ行くとしようか」
清太郎の促す声が聞こえなかったのか、お鈴はそわそわと落ち着きがない。
「どうした?」
「栄屋さんの姿が見えなかったんだけど」
「もうとっくに寺を出たよ。八十八に付き添って行ったのを見たがね」
「どうしてさ。あたしたちに挨拶もなしに、なんで八十八さんなの?」
お鈴が不審な眼を向ける。
「そいつはわからないさ。まあ、弔いのときも今日も八十八がおいおい泣いていただろう」
仲間から小脇に抱えられた八十八は、引きずられるように寺を出たが、その後ろに栄屋の姿があった。
そうなのと、お鈴は得心がいかないのか息を吐く。
柳島の家で挨拶をすればいいと、清太郎はいった。
「けど、八十八さんも三十を過ぎたってのに童みたいに泣きじゃくって。娘のあたしが涙をこぼさないもんだから、ばつが悪いったらなかったわ」
あたしだって悲しくないわけじゃないのよ、とお鈴が唇を噛み締めた。
「七十九まで生きたんだもの。広重の師匠や国芳の師匠と比べれば、長く描けたぶん、幸せよ。でもね」
「わかっているさ。身内だからこそ、しっかり気を張って師匠を送ってやらなきゃならねえものな」
清太郎はお鈴の背にそっと手を当てた。
「ねえ、おまえさん、とうとう最期まで、お父っつぁんって呼ばなかったわね」
お鈴がいきなり泣き笑いの顔を向ける。
「呼べるはずもねえさ」
清太郎は、お鈴に笑いかける。
入り婿の清太郎にとって三代は義父だが、そう思ったことは一度たりともない。
清太郎は十四のとき、三代が、まだ国貞の画名を用いていた頃に、その門を叩いている。それから二十と九年。
師匠と弟子。
此岸で結んだ関係は、彼岸へ渡っても変わることはない。
たとえ、技量が勝ろうと、そうでなかろうと。
それは、兄弟子と弟弟子との関係も同じはずだ。
※冒頭部分を抜粋。続きは以下書籍にてご覧ください。
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