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【第160回 芥川賞 候補作】上田岳弘「ニムロッド」

2019/01/08 12:00 投稿

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 サーバーの音がする。CPUを冷やすファンの音が幾重にも合わさって、虫の音(ね)のように高く低く響く。サーバーたちが突き刺さった、僕の背丈よりもはるかに高いラックの間をノートPC片手に進んでいく。
 WEBサイトを表示するために、パソコンからのアクセスを受け付けるコンピューターを「サーバー」と呼ぶのだと知ったのは、この業界に入ってからのことだった。と言ってもゆうに十年は経過していて、顧みるまでもなく一昔前の話だ。
 サーバー、提供する者。サーバーは、パソコンからのアクセスに従って、例えばショッピングサイトの機能を提供する。あるいは、旅行の予約サイト、ポルノ動画や大量の書き込みがなされる掲示板、最近だとFacebookやTwitterなんかも、どこかのサーバーがユーザーに機能を提供している。僕の会社は東京と名古屋にそんなサーバーたちをまとめて運用するデータセンターを持っているのだけど、それはほんのささやかな資源(リソース)だ。Yahoo! Japan みたいな大企業になれば、北は八戸から南は九州まで複数の巨大な拠点を持っていると聞くし、Googleも、世界各国に設備投資を続けている。
 ある日Googleがインドの大都市付近の広大な土地を買いとって、データセンターを作る。そして大量のサーバーが設置される。短い草が生えるだけのだだっ広い場所が直ちに最新の機能を提供する人類の前衛基地になって、僕のiPhone 8を含め、世界中からネットワークを伝ってやってきたアクセスをさばく。雇用が生まれ、消費が生まれる。仮想空間のこととはいえ、現実に働く人間がいないと回らない。
 規模は遠く及ばないが、それでも数百台のサーバーたちが集まった部屋の中は独特の雰囲気がある。ファンの音はうるさく感じるけど、それにしても働き始めたころよりもずいぶん静かになった。こないだコンピューターメーカーの人に聞いたら、実際にここ十年でサーバーの出す音の大きさは半分以下になっているそうだ。確かに思い返してみれば、働き始めた当初は、虫の音というより、飛行場の騒音のような、と頭の中で形容していたような気がする。
 緑色や橙色の豆ランプが点々と灯ったサーバーの柱の間を、カンカンと革靴を鳴らしながら歩く。開いたままのノートPCは左腕に載せ、片手だけでうまくバランスを取って支える。PCの画面には、サーバーの系統図が表示されている。
 ついさっき、ある顧客から電話があり、メールが繫がらなくなったとクレームが入ったのだ。R-33-4。それがその顧客に割り当てられたサーバーの所在を表すナンバーだ。Rはデータセンターの中のエリア名で、真ん中の数字はラックの場所、最後の数字は棚を上から数えた位置を指す。
 僕は全ラックの留金を外すことができるマスターキーでラック33を開け、赤ランプの点いたサーバーのロックを解除した。とりあえず引き出して箱全体を調べる。ケーブル類は抜けていないし、外部の損壊もない。ラックを戻し、サーバールームの入り口にあるキャビネットから、サーバーメンテナンス用のディスプレイを一台取ってくる。不具合の出たサーバーにディスプレイを繫いで、稼働状態を確認する。OSは立ち上がっているが、サービス提供に必要なソフトが勝手に停止している。そのソフトを立ち上げるコマンドを打っても反応しない。この分だとメールサービス以外にも停止している機能がありそうだ。履歴をざっと追ってみたけれど、原因を突き止めるには至らない。長いこと正常に動いていたが、ある時点で突然、機能が止まってしまったのだ。
 僕はSlackの入力窓に、心臓麻痺、と打ち込みEnterキーを押す。

 Nakamoto-mi:心臓麻痺

 Slackは同僚のほとんどが常時起動しているグループワーキングツールで、このメッセージはすぐにメンバーに共有され、内線電話よりも話が早い。

 Yamaoka-sapo:またですか

 間を置かずに山岡くんからメッセージが返ってくる。社歴は彼の方が上だが、年齢は僕の方が三つ上だった。

 Yamaoka-sapo:とりあえずマシン再起動ですな

 言われるまでもなくとりあえず再起動だ。原因は不明でも、それだけで機能自体は復旧することが多い。問い合わせのあった顧客は二十人ほどの規模の会社で、窓口の担当者はうるさいことを言わない人だった。だからきっと、復旧しさえすれば大丈夫だろう。顧客によっては、些細な不具合についても徹底的な原因究明と再発防止策の提示を求められることがある。
 一度シャットダウンした後、メンテナンス用のディスプレイに起動中を示すアイコンが表示される。ログイン画面の窓に、メモ帳ソフトに転記したIDとパスワードを入力する。完全にサーバーを立ち上げ、必要な機能を立ち上げてからパフォーマンスを確認する。CPUのグラフもしっかり動いている。動作確認用のノートPCでアクセスし、念のため動作確認をする。

 Nakamoto―mi:心臓麻痺から蘇生完了

 Yamaoka―sapo:お疲れ様です。新課長!

 Slackで山岡くんと報告がてらのやり取りをしてから、片づけに入る。課長という肩書きはごく最近付いたものだ。山岡くんの上司というわけではなく、僕が就任したのは新設された課の課長だ。ただ、今も元々のサーバーのサポート業務は続けている。
 こんな無名の会社にあっても、役職というのは不思議なもので、あるのとないのとではやはり気分が違った。課には僕一人だけしかおらず、そもそも社長の気まぐれでできたような課だとしてもそれは変わらない。「金を掘る仕事」というのが、僕の新たな課の担当業務だ。



※1月16日(水)17時~生放送

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