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【第159回 芥川賞 候補作】『しき』町屋良平

2018/07/11 13:00 投稿

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 春のにおい。
 春の夜のにおい。
 春の夜の公園のにおい。
 かれがすーっと鼻をふくらませて空気を吸い込むと、かれ自身認識していないほどのわずかさで、気分が昂揚しはじめた。ふだんよりふかい空気がからだじゅうをめぐり、血が、筋肉が、情緒が、あたたかにわきたちはじめたからだ。
 かれは家からもってきたおおきめのタブレットを操作し、あらかじめダウンロードしておいた動画をながした。
 画面では男の二人組が踊っている。なめらかで、躍動感があって、ウットリするような動き。しかしかれはもうかれらの動きをみても、ことさらフレッシュさをかんじるわけではなかった。
 自分のものにしたいとおもった。
 この画面にうつっている動画の、粒子よりこまかく、すべらかな動きを、ものにしたいとおもった。そのためにもっともっと、つよくつよく練習しなきゃいけない。
 ポップミュージックにからだをあわせて、かれは力づよく踊った。
 春の夜のしたの公園では、かれいがいに数人の人間がいた。昼のうちにすませておけなかった犬の散歩をこなしにやってきた女子高生。あたたかな夜をよろこびにベンチに座り時間をわすれているホームレス。旦那の浮気をうたがって、おもわず家をとびだした料理途中の主婦。
 しかしこのひろくも狭くもない公園で、お互いはお互いを認識せず、充分な活動スペースを保ったまま、それぞれがめいめいの事情に集中していた。ホームレスがもっとも濃く春の訪れをかんじている。しめった土からははじけるような音がきかれ、風の温度というより色あいのほうが、季節のうつろいをうったえている。もう生きたいとおもえるような理由のないホームレスは、自分の物語の添え物としてではなく純粋な「季節」をよろこんだ。
 かれはそろそろびっしょりの汗をかいていた。おなじ時間踊っていても、昨日よりずいぶん多くの汗をかく。しかし外界よりむしろ自分の踊り、自分のからだのこえ、動画のなかにうつっている二人組の踊り、動画にうつっている二人組の踊ったときの感覚、におもいを馳せているかれはことし十六歳。まだ季節のうつろいよりよほど遅れて現象がやってくる。ようするにかれは、汗だくになってしばらくしてはじめて、あ、昨日よりずいぶんあったかいんだな、ということを考える。
 もうすぐ春なんだな。
 その日の昼に春一番が吹いていた。
 吹き荒れる風のなかでも、昼間、マーガリンの挟まっただけのパンの二個目を食べていたかれのあたまは踊りのことでいっぱいで、ずっとどうしたらもっとうまく踊れるのだろうと考えていた。パンを嚙みながら、味もなにもわからないまま、ほんとうはいますぐにでもからだを動かしたかったけど、学校では恥しい。友だちもいる。だから、あたまのなかの自分をかれは動かしていた。そうやって、イメージトレーニングすることもだいじなんだ、実際にからだを動かすよりよほどだいじなんだ、とかれはきょうはじめて実感した。校庭をのぞむ体育館前の石段にすわり、友だちと三人、関係のない会話を交わしながら、春一番に吹かれて、はじめておもったこと。
 からだをうごかさないほうがからだにとっていいことがある。からだとイメージは切断できない。あたまのなかの映像とじっさいの自分のからだは切断できない。ことばでかんがえていることもからだと切断できない。なぜなら踊りのイメージというものも映像よりことばでおぎなってるから分割したり、映像をゆっくりにしたりして、練習できる。からだもことばの集積でできているのだとしたら?
 かれはコッペパンを握る指をみつめる。爪爪爪、指のはら指のはら指のはら、みたいに文字を幻視する、だけどそんなふうに考えたことをチャイムをきいたかれはすぐに忘れる。十六歳はおぼえることより忘れることのほうがよほど多い、かれら、からだが生長するために情報を欲している。だけど、かれら自身は自分たちがどれだけ情報を欲して、教養を欲しているから、じつは自発的に授業をうけて勉強しているのだということを、しらない。精神的に自立している者に限って、強制的に勉強させられているとおもっているのだった。

 翌日の夜、ふたたび踊りにいくかれを、別室でラジオをきいていた弟が「ねえ、ねえねえ」と呼び止め、「さいきん、なに? どこいってんの、よなよな」。
「外」
「外?」
「公園」
「なにしに?」
「踊り」
 の練習、と応えると、弟は「うそ!」といってぎょっとした顔をする。
「こないだ、いっしょにみた動画?」
 かれはじぶんの記憶をたどった。記憶のなかでは、じぶんひとりでみたことになっていた、二人組のダンス動画。じっさいには弟も横にいたのだった。
「そう」
 なのでかれは、そう応えた。
「えー! おれがみせたとき、お前『だせぇ』としかいわなかったのに?」
「いってねえし」
「えー! いってたわ」
 かれの弟は十二歳。かれが経験しなかった反抗期をこなしており、ときどき、「うるっせえ、んだよ! バ……バカ!」。ババアというかバカというか迷ったりしている。
 母親は、長男のときになかった反抗期に、うれしいようなやはりムカつくような複雑な感情を抱えているらしく、口では叱ってみせておいて、感情はだいぶさめていることがかれにはわかる。弟は、あまえていた。弟じしんが自分のことを完全にもてあましている。その感情を片親である母にしかむけられず、よくベッドにつっぷして「うー」と唸っている。そのときの感情は、母親でもない、自分でもない、ままならない「成長」というそのものへの怒りが主をになっている。
「なあ、おどりでもなんでもいいけど、かしかってきてくれよ」
「菓子? なんの」
「なんか、いいやつ、カールみたいなのとか」
 その手のスナックはしたにおりればストックがある筈なのだが、弟いわく「ババアの手がさわったかしなんかくえん」。兄としてのかれ自身は反抗期のない生長を遂げており、弟にたいしてどう接していいのかわからないので、弟の甘酸っぱさを完全に無視することでなんとか日々をこなしている。ほんとうは大人になるか子どもでいるかどっちかにしてほしかった。中間は完全にかわいくない。思い出が、ぐいぐいねじ曲がっていくようだから、ほんとうは嫌だった。かわいかった弟をなつかしんでいた。
「金は?」
「ん、まって」
 弟はドタドタと部屋に戻り、百円玉を一枚寄越し、「これでかえるヤツ。あと出かけんならマンガかりていい?」。
 部屋にいるときは物の貸し借りをしない。これはいつのまにか育てた兄弟暗黙のルールだった。
「ええよ」
 トントンと階段を下りると、夜八時。
 母親が緑と青の中間のような派手なうすいセーターを着ていて、「あんたどこいくの?」ときかれる。かれは無意識に弟に応えたのと同じ温度、同じトーンを心がけ「外」と応えた。傍らにタブレットだけを抱えて。
「そんな格好で!」 
 母親は素早くパーカーを用意し、かれにおしつけた。かれは黙ってそれをうけとったが、母親がほんとうにいいたかったのは「きをつけて」ということだった。
 弟と母親との言語不開通を日ごろ眺めているからこそ、かれには母親がじぶんたちにほんとうにかけたいことば、実際にかけていることば、の齟齬にきがつくことが、ときどきあった。これは弟も母親もどちらも欠けていたらわからないこと。他の人間のことはわからない。友だちのことも、教師のことも、このようにはわかれない。きをつけてという代わりに、パーカーをおしつけたのだ。それででてくる声は「そんな格好で!」。
 弟と母親が言語不開通のまっただなかだからこそわかる、一時的なものだった。



※7月18日(水)18時~生放送

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