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【第155回 直木賞 候補作】『ポイズンドーター・ホーリーマザー』湊かなえ

2016/07/11 11:59 投稿

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マイディアレスト

 有紗のことを、ですか? 解りました。
 有紗は六歳下の妹です。仲の良い姉妹だったかと問われると、どう返していいのかよく解りません。もう少し歳が近ければ、一緒に遊んだり、逆に、ケンカをしたりしていたのでしょうが、六歳差では、学校が重なることもなく、母も専業主婦ですから、面倒をみろとか一緒に遊んでやれ、などとやっかい事を押しつけられることもなかったので、良い、悪い以前に、同じ家に住んでいながらもあまり深く接した憶えがないのです。
 ただ、うらやましい存在ではありました。
 一番目、二番目、という違いもあるのでしょうが、母の接し方は私と妹ではまるで違っていました。二十代で産んだ子、三十代で産んだ子、という違いの方が大きな要因かもしれません。私は物心ついた頃から常に、母から厳しくしつけられていました。しかし、妹に声を荒げる母の姿は一度も見たことがありません。
 とはいえ、そういった不満は胸の内に留めないようにしていました。
「私が小一の時にお茶碗を割ったら、ママ、小学生にもなってって怒って、私を家の外に出したのに、有紗が同じことをしたら、大丈夫? とか言うだけで、注意もしないよね」
 理不尽だと感じたことは、はっきりと口にするのです。
「ママはもう三七歳でしょ。がくっと体力が落ちてしまったのよ。なんだか、怒る気力も湧かなくて」
 母は深く溜息をつきながら言いました。
「でも、今でも、私には怒るよね」
「それは、事の重大さによるからよ。お茶碗を割っても、次から気を付ければいいだけでしょう? だけど、淑子の勉強やお友だちについては、将来にかかわることじゃない。だから、ママはしんどいけど、心を鬼にして怒っているのよ」
 田舎の公立なんだから、上位にいるだけで安心してはダメ。勉強は常に一番を目指しなさい。塾をさぼろうなんて唆す子とは、二度と付き合わないで。
 母の言い分にその時は納得しましたが、六年後、中学生になった有紗が同じことを注意されていたかどうかは解りません。大学進学のため、家を離れましたので。
 東京のT女子大学です。すごくはありません。偏差値的にはT大学も十分に狙えたのに、母から、女子大にしか行かせない、と言われて妥協したようなものです。
 卒業後は化粧品メーカーに就職しました。〈白薔薇堂〉です。業界では最大手ですが、今の私には関係ありません。勤務していたのは一年半、とっくの昔に辞めたのだから。
 理由は……。
 有紗には関係ありません。ならいい、って、じゃあ、いつの、どの段階の、有紗について話してほしいのか、そちらが最初に指定するべきではないですか?
 私の知っている有紗は私と一緒にいる時の有紗なのだから、私だけの話になったからって一方的に打ち切って、そういうことを聞きたいんじゃない、なんて言われても困ります。私に対して失礼だと思いませんか。

 有紗がこの家に帰ってきてからのこと? ですよね、あなた方は有紗の事件について調べているのだから。最初からそう訊けばよかったんです。
 有紗が東京から、実家である我が家に帰ってきたのは二週間前です。
 隣町で一件目の妊婦暴行事件のあった三日後。恐ろしいですよね、夜道で棒か何かで滅多打ちにされるなんて。しかし、赤ちゃんは残念なことになったけれど、妊婦さんは助かったので、有紗よりはマシですよね。
 犯人は捕まっていないし、動機も不明で、通り魔的犯行かもしれない、とニュースで言っていたので、有紗も、帰るのはやめようか、と悩んだようですけど、病院も予約しているし、産後はゆっくりしたいからって、予定通り、里帰り出産をするために帰ってきたんです。
 両親も、妊婦を狙ったのではなく、被害者がたまたま妊婦だったのかもしれない、などと言い合いながら、有紗が帰ってくるのを止めようとはしませんでした。やはり、初孫の誕生に立ち会いたかったのでしょう。でも、用心はしていました。
 有紗はバスで家の近くまで帰ってくると言いましたが、バスは隣町を通過するので、私が新幹線の駅まで車で迎えに行ったんです。
 改札から出てきた有紗を見て、驚きました。出産予定日まであとひと月なのだから、それなりに大きなお腹は想像していましたが、あんなにも前にせり出しているなんて。いったい何人詰まっているんだろう、とお腹の中で赤ん坊が何人も変な体勢で折り重なっている映像が頭の中に浮かんできて、吐きそうになりました。
 妹のお腹にいたのはたったの一人ですが。女の子だったようです。
 私は普通の人より少し、想像力が強いのではないかと、自分では思っているんです。豊か、とは少し意味合いが違います。明るいもの、きれいなものが浮かぶことはまずありませんから。何でもないものでも、脳の奥まで入り込むと、暗く、苦しく、吐いたり、叫び出したりしてしまいそうな映像になって、頭の中に広がっていくんです。
 そういうことを周りの人に悟られないように気を付けてはいるのですが、やはり、浮かんだ映像のインパクトが強すぎると、無意識のうちに顔や声に出てしまい、昔からよく気味悪がられていました。弁解したい思いはありますが、頭の中の映像を説明すれば、さらに引かれるはずなので、誤解を受けたまま距離を取られる自分を受け入れているのです。
 辛くないと言えば?になりますが、もう慣れました。
「気持ち悪いって思ってるでしょ」
 有紗の第一声です。頭の中の映像のことは有紗にも話していませんが、薄々感付かれていたのでしょう。そういうところはやはり姉妹だと思います。一応、否定しようかと思いましたが、有紗の表情にまったく不快感が見られなかったので、否定も謝罪もせず、聞こえなかったふりをして、荷物を受け取りました。むしろ、有紗は膨らんだお腹に慄いている私をおもしろがっていたんじゃないでしょうか。
 軽自動車だからか、後部座席にすればいいものを、有紗は助手席に乗ってきました。案の定、シートベルトはいっぱいに伸ばしても嵌りません。妊婦だとルール違反にならないそうですね。妹から聞いて初めて知りました。だけど、妊婦こそベルトが必要ではないですか?
 駅から自宅まで途中で高速道路を通過して四十分、ブレーキを踏むたびに、妹が前につんのめってお腹が押しつぶされるんじゃないかと不安になり、それに伴っておかしな映像が浮かんで、家に着いた頃には、冬だというのに冷や汗で脇や背中がびっしょり濡れていました。どんな映像かというと……。
 いらない? そうやって人の話を突然遮るの、本当にやめてもらえませんか。事件に関係あるかないか、そちらで一方的に判断しているんでしょうけど、基準は何ですか?
 見当違いな取捨選択をするから、大事な情報を聞き逃して、犯人逮捕が遅れてしまうのではないですか?
 もし、一件目の事件の際に聞き込みをもっと徹底していれば、有紗の被害は防げたんじゃあないですか?



※7月19日18時~生放送

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