主張

認知症事故判決

安心の地域づくりが急がれる

 愛知県内で認知症の男性(当時91歳)が1人で外出中に列車にはねられ死亡した事故をめぐり、男性の家族がJR東海から損害賠償を求められた訴訟で、最高裁が賠償責任はないとする判決を言い渡しました。一審・二審とも家族に重い監督責任を迫る厳しい判決だっただけに、家族が逆転勝利した最高裁判決には、男性の家族はもちろん、徘徊(はいかい)を伴う認知症の人をもつ多くの家族らは安堵(あんど)し、喜びを広げています。一方、認知症の人が安心して地域で暮らせる仕組みづくりは、立ち遅れています。事態解決へ向け政治が役割を果たすことは不可欠です。

介護の実態を考慮して

 目を数分、離した間に家を出て行方が分からなくなった認知症男性が列車事故にあい、そのとき発生した振り替え輸送代などを損害として請求される―。懸命に介護してきた家族にとって、これほどつらく厳しいことはありません。

 男性と同居していた妻(当時85歳)は自身も要介護1で「老老介護」でした。男性の長男は離れて暮らしていますが、長男の妻は男性宅近くに移住するなどして苦労しながら介護にあたっていました。

 ところが一審・二審の判決は、家族には重い監督義務があり、それを怠った過失があったなどとして一審で約720万円、二審で約360万円の賠償を命じたのです。認知症の高齢者を介護する家族は肉体的にも精神的にも大きな負担を抱えて暮らしているのに、その実態を無視した判決でした。「認知症の人を24時間つききりで見守れというのか」「高齢者を閉じ込めておくことなどできない」と認知症患者の家族、医療・介護関係者から怒りが広がったのは当然です。

 これにたいし1日の最高裁判決は“同居の配偶者だからといって直ちに監督義務者になるわけでなく、介護の実態を総合的に考慮して責任を判断すべきだ”と初の判断を示しました。そして妻が要介護1であったこと、長男が遠距離で暮らしていた事実などを検討し、家族に賠償責任はないと認め、JR東海の請求を棄却しました。認知症の人を介護する国民の常識にかなう妥当な判決といえます。

 監督義務者の責任の範囲をどこまで認めるのかという課題はありますが、民法の監督義務者の規定にもとづいて家族の責任ばかりを一律に求めることに「歯止め」をかけた判決の意味は重いものがあります。

 同時に、認知症の人の事故をどのように防ぐのか、事故があった場合の損害をどう救済するか、社会的な仕組みなどの検討を求める声も上がっています。認知症の高齢者が現在500万人を超え、今後も急激な増加が避けられないなか、認知症の人も家族も地域のなかで孤立することなく、安心して暮らせる仕組みや環境を整えることが急がれます。

尊厳ある暮らしのため

 認知症による行方不明者が年間1万人を超え、鉄道事故による認知症の犠牲者が年20人以上もいる状況は深刻です。認知症の人が自由に出歩ける地域づくりの努力も各地ですすんでいます。国や自治体は積極的に支援すべきです。

 安倍晋三政権がすすめる介護保険のサービス抑制と負担増は、高齢者の暮らしの安心の土台を揺るがすものです。国民の願いに逆行する介護破壊を中止させ、拡充に転じさせることも急務です。