可動式ホーム柵徹底して
上野さん死亡40年で集い
視覚障害者の転落事故 2000年以降で35件発生
「落ちない駅ホームをめざすつどい」が4日、東京都内で開かれ、視覚障害者を中心に80人あまりが参加しました。
全盲の上野孝司さんが1973年2月1日、当時の国鉄高田馬場駅(東京都新宿区)で転落、電車に巻き込まれて死亡しました。事故の2年後、上野さんの親族が国鉄を相手に、安全対策を求めて提訴(上野裁判)。一審は勝訴し、二審では「国鉄は安全対策に努力する」と和解条項に入り、勝利和解となりました。
「手をつなごう全ての視覚障害者全国集会」の田中章治代表は「上野裁判がきっかけで、“欄干のない橋”と呼ばれるほど危険な駅ホームの安全対策が前進してきた」と指摘。一方、2000年以降、視覚障害者の転落重傷事故が35件にのぼっていることを示して、“落ちない駅”を求めて運動をさらにすすめることを呼びかけました。
上野裁判の弁護団長だった田中敏夫弁護士は同裁判について、視覚障害者が自由に社会活動をする権利を獲得し、駅ホームの安全対策につながったと意義を語りました。国鉄労働組合の渡辺信之さんは鉄道会社の労働者の立場から、利用者の安全・安心のために駅ホーム要員配置の必要性を発言しました。
全日本視覚障害者協議会(全視協)の山城完治理事は、可動式ホーム柵設置が進んでいる点は前進としつつ、ホームの片側だけに設置されている駅は、さらなる視覚障害者の転落事故増加につながりかねないと批判し、徹底した可動式ホーム柵の設置を求めました。
上野孝司さんの兄、正博さんがあいさつしました。
国労合唱団と東京視覚障害者協会(東視協)の有志が上野裁判で生まれた歌を合唱しました。