主張

「体育の日」

国民のスポーツ環境の整備を

 きょうは「体育の日」です。健康で楽しく過ごしたい。これは国民の変わらぬ願いであり、切実な要求です。しかし、せっかくの体育の日だというのに、スポーツをやろうとしてもなかなか気軽にやれないのが、現実ではないでしょうか。長時間労働と不安定雇用、貧困と格差の広がりで、スポーツどころでない状況も拡大し、スポーツが権利として保障される社会にほど遠い現状です。

スポーツ庁発足を機会に

 2011年に成立したスポーツ基本法は、スポーツは国民の権利であると基本理念に掲げ、23条では、体育の日の行事について「必要な施策を講じ、及び援助を行う」ことを国・自治体に求めています。

 しかし、スポーツ施設も指導者の体制も貧困です。既存の公共スポーツ施設はどんどん減少しています。公共スポーツ施設の総数は、1996年から2008年の12年間で1万1796カ所も減りました。年間平均で実に約1000カ所も消えていることになります。

 この間、自民党政治による「地方切り捨て」と福祉・教育などの予算削減のもとで、スポーツ行政も大幅に縮小され、住民に向けたスポーツ施策は先細りになってきています。公共スポーツ施設だけでなく、学校体育施設や民間スポーツ施設も減少しています。

 その背景には、文科省がつくった「スポーツ基本計画」にみられるように、自民・公明政治が、施策としても、予算上の措置としても、公共スポーツ施設の整備を放棄してきたことがあります。

 既存施設の老朽化がすすみ、補修・改築費用が確保できないために、安全性の問題から閉鎖せざるを得ない事態も生じています。体育館は震災や台風などで避難所にもなるだけに、老朽化や構造的な欠陥は放置できない問題です。早急な調査・診断とともに補強・改築工事に取り組むべきです。

 10月からスポーツ庁が発足し、初代長官に日本水泳連盟会長の鈴木大地氏が就任しました。就任会見で鈴木氏は「全国民が健康で文化的な生活が送れるようサポートしていく」と抱負を語りました。

 スポーツ庁は、従来のスポーツ振興行政が、文科省をはじめ厚労省、国交省、農水省などでバラバラに行われてきたことから、それを調整し、“司令塔”の役割をもつとしています。トップスポーツから地域レベルのスポーツまで多様な施策を推進していくうえで、問われるのは、スポーツ基本法の基本理想を貫くかどうかです。

 スポーツ庁の16年度予算の概算要求は、15年度当初予算から77億円増となる367億円を盛り込みました。しかし、地域のスポーツ振興の予算はわずかで、健康増進やスポーツツーリズムなどにとりくむといったもので、国民のスポーツ要求の実現に誠実にこたえるものとはなっていません。

原点に立ち返ってこそ

 2020年には、東京五輪・パラリンピックの開催が予定されています。オリンピック憲章は根本原則の一つに「スポーツを行うことは人権の一つ」とうたい、その実現に努めることが開催都市とホスト国の役割だとしています。

 「体育の日」は1964年の東京オリンピックの開催を記念して設定されました。その原点に立ち返り、国民のスポーツ環境の整備に力をそそぐ時です。