主張
広島・長崎被爆70年
被爆者の悲願に政府は応えよ
アジア・太平洋戦争末期の1945年8月、アメリカ軍が広島(6日)と長崎(9日)に投下した原子爆弾によって、二つの都市は一瞬にして壊滅し、無数の市民が犠牲となりました。史上初めて人類に使われた核兵器は、その年のうちに広島で約14万人、長崎で約7万4000人もの命を奪いました。生き残った人は心身ともに深く傷つき、苦難の人生を強いられてきました。被爆から70年、「二度と核兵器を使わせてはならない」と訴え続ける被爆者の悲願に、政府は真剣に向き合うべきです。
国際政治動かす被爆証言
原爆が広島と長崎にどんな惨状をもたらしたか。被爆者の言葉ほど核兵器の非人道性と残虐性を伝えるものはありません。
「首が飛び、腕が飛び、内臓が飛び出した遺体が転がっていた。電車のつり革につかまったまま亡くなっている人もいた」「川には焼けただれ水膨れの死体が一面に浮かび『地獄絵』とはこのことか」
今年4~5月にニューヨークで開かれた核不拡散条約(NPT)再検討会議に向け、まとめられた被爆者証言の一部です。同会議では、被爆者が各国政府代表らに被爆の実相を語り、「核兵器廃絶はもう待てない」と心から訴えました。
国連の潘基文(パンギムン)事務総長が「彼らは、核兵器の恐るべき人道的影響と、核兵器廃絶の緊急の必要性を思い起こさせる生きた証拠としていまこちらにきている」「彼らの警告に耳を傾け、結果を出すように求める」(NPT再検討会議へのメッセージ)とのべたことは、被爆者の声が国際政治を動かしていることを示しています。被爆者の体験と思いを受け継ぎ広げることが、被爆70年を「核兵器のない世界」への転機にしていくうえで、大きな力となることは明らかです。
いま被爆者が胸張り裂ける思いでいるのは、憲法9条を破壊し日本を「戦争する国」にするため、安倍晋三政権が戦争法案を強行しようとしていることです。9条には、アジア諸国に大きな犠牲を生んだ侵略戦争への痛苦の反省とともに、広島・長崎の悲惨な被爆経験が刻まれています。憲法制定当時、政府自身こう説明しています。
「原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、又は逆に戦争の原因を終息せしめるかの重大段階に到達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺するであろうと真剣に憂えているのである。ここに於(おい)て本章(戦争の放棄)の有する重大な積極的意義を知るのである」(46年内閣発行『新憲法の解説』)。戦争が文明破壊と人類死滅に行き着くことへの警告です。
「人類死滅」の危機を、身をもって知る被爆者だからこそ「戦争反対」「9条守れ」の訴えは切実です。「ノーモア・ヒバクシャ」「ノーモア・ウオー」の声を重ね、戦争法案阻止の世論をさらに発展させようではありませんか。
時間はもう残されてない
被爆者の平均年齢が80歳を超えるなか、原爆症認定制度をはじめとする被爆者施策の抜本的改善、原爆被害への国家補償は緊急課題です。国が始めた侵略戦争によってもたらされた原爆被害を、国家補償の見地で解決するかどうかは、戦後70年の今年、日本政府が過去の戦争にどう向き合うかということと一体で問われる問題です。もう残された時間はありません。