日本共産党の志位和夫委員長は、20日開かれた全国革新懇第35回総会で、戦争法案をめぐる国会論戦の到達点とたたかいの展望について発言しました。
冒頭、戦争法案について「日本国憲法を全面的に破壊する文字通りの戦後最悪の悪法です」と批判したうえで、9条を破壊する三つの大問題について、この間の国会論戦を踏まえて解明しました。
志位氏は、国会論戦のなかで、安倍晋三首相が「自衛隊が『戦闘地域』まで行けば攻撃される可能性がある」「攻撃されたら武器を使用する」ことまでは認めながら、戦闘になる、武力行使になることはかたくなに認めようとしないこと、そのさい「二つの理屈」を持ち出して抵抗してきたが、そのどちらもが世界で通用しないことが明らかになったと報告しました。
第一は「自己保存のための武器の使用は、武力の行使にあたらない」という理屈です。
志位氏は、国際法上は、「武力の行使」と区別された「武器の使用」という概念そのものがないこと、外務省が提出した文書で「国際法上、自己保存のための自然権的権利というべき武器の使用という概念や定義があるわけでない」と認めたことを示し、「国会論戦を通じて、この理屈は、世界ではまったく通用しないことが明らかになりました」と語りました。
第二は「他国の武力行使と一体でない後方支援は、武力の行使にあたらない」という理屈です。
志位氏は17日の党首討論で「武力行使と一体でない後方支援」について、首相が「憲法上の整理であって、国際法上の概念は存在しない」と認めたことを報告。政府自身、この概念を英訳できず「Ittaika」とそのまま記述していることにもふれ(昨年7月の「閣議決定」の政府仮訳)、「これも世界に通用するものではないことが明らかとなりました」とのべました。
「『二つの理屈』は両方とも世界では通用しません。政府が『後方支援』=兵站は武力の行使にあたらないという『根拠』が二つながらに総崩れになり、憲法違反であることがはっきりしたというのが国会論戦の到達点です」と語りました。
さらに、首相が論戦で追い詰められて「兵站は安全な場所でやる」と繰り返したことについて、「兵站は格好の軍事攻撃の標的とされる。これは軍事の常識だ。自衛隊が兵站をやっている場所が戦場になる」と批判したことを報告。「首相は、兵站の本質を理解していない点では、兵站を軽視して大量の餓死者を出した旧日本軍と相通じるものがある」と批判しました。
「『戦闘地域』での兵站は『武力の行使』に道を開くことが明らかになりました」――志位氏はこう強調しました。
首相は、2001年から14年までアフガニスタンに展開した国際治安支援部隊(ISAF)のような活動への参加を否定しませんでした。
志位氏は、ISAFが米英の「対テロ」掃討作戦と混然一体となって、3500人もの戦死者を出した事実を示しながら、「ISAFは昨年12月に終了しましたが、アフガンの治安維持部隊を支援するRS任務(『確固たる支援』任務)には42カ国、1万人以上が参加しています。これへの参加を米国が求めてくるかもしれません。そのときに拒否できるでしょうか。『殺し、殺される』戦闘がここから始まる可能性があります。首相は『掃討作戦はできない』と言いますが、戦乱が続いている地域での『治安維持活動』は容易に『武力の行使』に転化します。ここに憲法違反の『武力の行使』に道を開く、もう一つの危険があります」と強調しました。
政府は、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生」することを、武力行使の「新3要件」の「第1要件」の冒頭に掲げています。この点で志位氏が強調したのは、「他国に対する武力攻撃」がいかにして発生したのか、「他国」が先制攻撃した結果として発生したのか(この場合は「他国」は侵略国になる)、それとも「他国」への武力攻撃から始まったのか(この場合は「他国」は犠牲国になる)という根本から、問題を追及しなければならないということです。
ここで念頭に置かれている米国はどうか。志位氏は、米国に対する武力攻撃から戦争が開始された実例は74年前(1941年)の日本による真珠湾攻撃以降、一度もないこと、戦後、米国が行った武力行使は、国連憲章と国際法に違反した先制攻撃がほとんどであったという歴史的な事実に言及しました。
「米国が先制攻撃の戦争を行った場合でも、集団的自衛権を発動するのか」という志位氏の追及に、首相は「違法な武力行使をした国を日本が支援することはない」と答弁しました。しかし問題は、日本政府が、米国の違法な武力行使を「違法」と批判できるのかにあります。
志位氏は、「日本政府は、戦後、米国が行った武力行使に対して一度も『国際法違反』と批判したことはありません。こんな異常な米国追従の政府が、米国が先制攻撃にのりだしたときに『間違った戦争』だと批判できるでしょうか。できるはずがありません。言われるままに集団的自衛権を発動し、無法な戦争に参加していくことになるでしょう。ここに集団的自衛権問題の一番の危険があります」と強調しました。
政府が、戦後半世紀にわたる憲法解釈を百八十度変更して集団的自衛権行使を容認した唯一の「理由」としてあげているのが「安全保障環境が根本的に変容した」ということです。志位氏は、日本共産党国会議員団が、「『国際情勢が根本的に変容した』というが、他国に対する武力攻撃によって、政府の安保法案が言うような『存立危機事態』に陥った国が、世界で一つでもあるか」と追及したのに対して、政府が「実例をあげるのは困難だ」(岸田外相)と一つも具体例を示せなかったことを紹介し、「そうであるならば、立法事実そのものがなくなります。解釈を変更した理由が成り立たなくなります。憲法違反ということです」と強調しました。
志位氏は、「戦争法案を合理化しようとする政府の『論理』は、極端な主観的観念論に似たところがあります」と指摘。「こうした議論は、同じ土俵の上だけでの議論では堂々めぐりとなり論ばくできません。これを論ばくする方法は、客観的現実との矛盾を追及すること、世界の現実との矛盾を追及することにあります。引き続き、こうした角度から法案の違憲性、立憲主義の否定について追及していきたい」と表明しました。
「戦争法案の帰すうは予断をもっていえません。ただ間違いないことは、国民の世論と運動が、安倍政権を文字通り包囲し、圧倒する状況をつくれば、いかに与党が国会で多数をもっていようと、容易には強行できない状況をつくり得る、廃案にする状況をつくり得るということです。このたたかいの帰すうを最後に決めるのは国民の世論と運動です。院内外の力を合わせて、戦争法案を必ず葬り去るために頑張りましょう。安倍政権を打ち倒しましょう」
冒頭、戦争法案について「日本国憲法を全面的に破壊する文字通りの戦後最悪の悪法です」と批判したうえで、9条を破壊する三つの大問題について、この間の国会論戦を踏まえて解明しました。
「戦闘地域」での兵站は武力行使に道を開く――政府の議論は世界に通用しない
第一の問題は、米国が、世界のどこであれ、アフガニスタン戦争、イラク戦争のような戦争にのりだしたさいに、自衛隊がこれまで「戦闘地域」とされてきた地域まで行って、弾薬の補給、武器の輸送などの「後方支援」――兵站を行うことです。志位氏は、国会論戦のなかで、安倍晋三首相が「自衛隊が『戦闘地域』まで行けば攻撃される可能性がある」「攻撃されたら武器を使用する」ことまでは認めながら、戦闘になる、武力行使になることはかたくなに認めようとしないこと、そのさい「二つの理屈」を持ち出して抵抗してきたが、そのどちらもが世界で通用しないことが明らかになったと報告しました。
第一は「自己保存のための武器の使用は、武力の行使にあたらない」という理屈です。
志位氏は、国際法上は、「武力の行使」と区別された「武器の使用」という概念そのものがないこと、外務省が提出した文書で「国際法上、自己保存のための自然権的権利というべき武器の使用という概念や定義があるわけでない」と認めたことを示し、「国会論戦を通じて、この理屈は、世界ではまったく通用しないことが明らかになりました」と語りました。
第二は「他国の武力行使と一体でない後方支援は、武力の行使にあたらない」という理屈です。
志位氏は17日の党首討論で「武力行使と一体でない後方支援」について、首相が「憲法上の整理であって、国際法上の概念は存在しない」と認めたことを報告。政府自身、この概念を英訳できず「Ittaika」とそのまま記述していることにもふれ(昨年7月の「閣議決定」の政府仮訳)、「これも世界に通用するものではないことが明らかとなりました」とのべました。
「『二つの理屈』は両方とも世界では通用しません。政府が『後方支援』=兵站は武力の行使にあたらないという『根拠』が二つながらに総崩れになり、憲法違反であることがはっきりしたというのが国会論戦の到達点です」と語りました。
「兵站は安全な場所でやる」(首相)――兵站の本質を理解していない点は旧日本軍と相通じる
そのうえで志位氏は「後方支援」という言葉自体が“ゴマカシの言葉”であること、この言葉に代わって「兵站」という“真実の言葉”が「だんだん浸透してきた」とのべ、17日の党首討論でも首相自ら「兵站」という言葉を3回も使って発言したことを指摘しました。さらに、首相が論戦で追い詰められて「兵站は安全な場所でやる」と繰り返したことについて、「兵站は格好の軍事攻撃の標的とされる。これは軍事の常識だ。自衛隊が兵站をやっている場所が戦場になる」と批判したことを報告。「首相は、兵站の本質を理解していない点では、兵站を軽視して大量の餓死者を出した旧日本軍と相通じるものがある」と批判しました。
「『戦闘地域』での兵站は『武力の行使』に道を開くことが明らかになりました」――志位氏はこう強調しました。
PKO法改定の危険――戦乱が続いている地域での「治安維持活動」は武力行使に転化する
戦争法案の第二の問題は、PKO(国連平和維持活動)法の改定です。「非国連統括型活動」といって、PKOとは無縁の活動を新たに持ち込み、形式上「停戦合意」されているが、戦乱が続いているところに、自衛隊を派兵して治安活動をさせる、武器の使用も「自己保存」だけでなく「任務遂行」のためのものへ格段に拡大します。首相は、2001年から14年までアフガニスタンに展開した国際治安支援部隊(ISAF)のような活動への参加を否定しませんでした。
志位氏は、ISAFが米英の「対テロ」掃討作戦と混然一体となって、3500人もの戦死者を出した事実を示しながら、「ISAFは昨年12月に終了しましたが、アフガンの治安維持部隊を支援するRS任務(『確固たる支援』任務)には42カ国、1万人以上が参加しています。これへの参加を米国が求めてくるかもしれません。そのときに拒否できるでしょうか。『殺し、殺される』戦闘がここから始まる可能性があります。首相は『掃討作戦はできない』と言いますが、戦乱が続いている地域での『治安維持活動』は容易に『武力の行使』に転化します。ここに憲法違反の『武力の行使』に道を開く、もう一つの危険があります」と強調しました。
集団的自衛権行使の危険の核心はどこにあるか――米国の無法な戦争に参戦
戦争法案の第三の問題は、これまでの政府の憲法解釈を根底から覆し、日本がどこからも攻撃されていないのに、集団的自衛権を発動して、米国の戦争に自衛隊が参戦し、海外での武力行使にのりだすことです。政府は、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生」することを、武力行使の「新3要件」の「第1要件」の冒頭に掲げています。この点で志位氏が強調したのは、「他国に対する武力攻撃」がいかにして発生したのか、「他国」が先制攻撃した結果として発生したのか(この場合は「他国」は侵略国になる)、それとも「他国」への武力攻撃から始まったのか(この場合は「他国」は犠牲国になる)という根本から、問題を追及しなければならないということです。
ここで念頭に置かれている米国はどうか。志位氏は、米国に対する武力攻撃から戦争が開始された実例は74年前(1941年)の日本による真珠湾攻撃以降、一度もないこと、戦後、米国が行った武力行使は、国連憲章と国際法に違反した先制攻撃がほとんどであったという歴史的な事実に言及しました。
「米国が先制攻撃の戦争を行った場合でも、集団的自衛権を発動するのか」という志位氏の追及に、首相は「違法な武力行使をした国を日本が支援することはない」と答弁しました。しかし問題は、日本政府が、米国の違法な武力行使を「違法」と批判できるのかにあります。
志位氏は、「日本政府は、戦後、米国が行った武力行使に対して一度も『国際法違反』と批判したことはありません。こんな異常な米国追従の政府が、米国が先制攻撃にのりだしたときに『間違った戦争』だと批判できるでしょうか。できるはずがありません。言われるままに集団的自衛権を発動し、無法な戦争に参加していくことになるでしょう。ここに集団的自衛権問題の一番の危険があります」と強調しました。
「安全保障環境の根本的変容」を言うが、具体的実例を一つも示せず
志位氏は、「集団的自衛権問題では、対米従属性の告発という角度の批判とともに、こうした乱暴な解釈改憲が、立憲主義を破壊し、日本国憲法を蹂躙(じゅうりん)するという角度からの批判が重要であることは、いうまでもありません」とのべました。政府が、戦後半世紀にわたる憲法解釈を百八十度変更して集団的自衛権行使を容認した唯一の「理由」としてあげているのが「安全保障環境が根本的に変容した」ということです。志位氏は、日本共産党国会議員団が、「『国際情勢が根本的に変容した』というが、他国に対する武力攻撃によって、政府の安保法案が言うような『存立危機事態』に陥った国が、世界で一つでもあるか」と追及したのに対して、政府が「実例をあげるのは困難だ」(岸田外相)と一つも具体例を示せなかったことを紹介し、「そうであるならば、立法事実そのものがなくなります。解釈を変更した理由が成り立たなくなります。憲法違反ということです」と強調しました。
志位氏は、「戦争法案を合理化しようとする政府の『論理』は、極端な主観的観念論に似たところがあります」と指摘。「こうした議論は、同じ土俵の上だけでの議論では堂々めぐりとなり論ばくできません。これを論ばくする方法は、客観的現実との矛盾を追及すること、世界の現実との矛盾を追及することにあります。引き続き、こうした角度から法案の違憲性、立憲主義の否定について追及していきたい」と表明しました。
国民の世論と運動で、安倍政権を包囲し、戦争法案を必ず葬り去ろう
最後に志位氏は、平和を願う巨大なエネルギーが発揮されつつあり、国民の世論と運動が安倍政権を追い詰めていること、審議をすればするほど国民のなかで反対が広がっていることを強調するとともに、つぎのように呼びかけました。「戦争法案の帰すうは予断をもっていえません。ただ間違いないことは、国民の世論と運動が、安倍政権を文字通り包囲し、圧倒する状況をつくれば、いかに与党が国会で多数をもっていようと、容易には強行できない状況をつくり得る、廃案にする状況をつくり得るということです。このたたかいの帰すうを最後に決めるのは国民の世論と運動です。院内外の力を合わせて、戦争法案を必ず葬り去るために頑張りましょう。安倍政権を打ち倒しましょう」
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