主張

「被爆70年」の新年

「核兵器ない世界」への転機に

 第2次世界大戦終結と日本のアジア・太平洋戦争での敗北から70年の今年は、敗戦間際の1945年8月、アメリカが広島と長崎に原爆を投下した「被爆70年」でもあります。原爆は多くの人命を奪い、放射線による被害は、戦後も長く被爆者を苦しめてきました。被爆者の平均年齢は80歳に達します。4月末からは国連本部で5年ごとの核不拡散条約(NPT)再検討会議が開かれます。なんとしても今年を「核兵器のない世界」への転機としなければなりません。

人道的に許されない兵器

 世界には今日、依然として1万6000発もの核弾頭が存在し、人類の生存を脅かしています。その一部(100発)が爆発しただけでも、放射能などの被害に加え、爆発による粉じんがひきおこす気候変動が世界の農業に大きな影響をあたえ、20億人が飢餓にひんするとの研究報告もあります。

 日本が総選挙中の昨年12月、オーストリアのウィーンで開かれた「核兵器の人道的影響についての国際会議(第3回)」には国連加盟国の8割をこえる158カ国が参加し、無差別的な破壊力をもつ核兵器が「人道的に受け入れがたい結果」をもたらすと強調し、廃絶にすすむことを訴えました。会議はこれまで「国家安全保障」の問題として議論されてきた核兵器を「人道上」の問題として追及し、廃絶への扉を開こうという試みです。核保有国は参加を拒んできましたが、強まる世論で、今回はアメリカとイギリスが参加しました。

 会議では、被爆者の発言が多くの政府代表の心を動かし、「被爆70年」に具体的な前進をはかるべきだとの機運を広げました。潘基文(パンギムン)国連事務総長が昨年の原水爆禁止世界大会へのメッセージで「被爆者の尽力のおかげで核兵器使用のもたらす壊滅的な人道的影響が理解され(た)」とのべたように、長年の被爆者の訴えが国際政治を動かす流れへと発展しています。

 いまだに多くの核保有国は、核兵器で相手を威嚇・攻撃する「核抑止力」論にたって、核戦力を持ち続けようとしています。「核兵器のない世界」は「ステップ・バイ・ステップ」(段階的)でこそ実現できるなどと主張し、核兵器禁止条約をはじめ、核兵器廃絶を目標にした交渉に反対しています。こうした勢力を包囲し、障害をのりこえる国際世論を築くことがいっそう重要になっています。

 被爆国の政府として本来「核兵器のない世界」実現の先頭に立つことが求められる日本政府は、アメリカの「核抑止力」「核の傘」が必要だという立場をとり、核兵器禁止条約の交渉開始を求める国連での決議にも棄権をつづけています。海外で「戦争する国」をめざす安倍晋三政権の暴走をくいとめるうえでも、被爆国にあるまじき姿勢を正すことが必要です。

被爆国の政党として

 昨年9月に開かれたアジア政党国際会議(ICAPP)第8回総会は、日本共産党の提案で「核兵器禁止条約についてのすみやかな交渉開始」を呼びかけました。日本原水協がよびかけた「核兵器全面禁止のアピール」署名も増え続けています。

 日本共産党は「被爆70年」の今年、こころざしを同じくする諸国政府や国連、内外の反核平和運動と共同し、核兵器廃絶に向けた転換の実現へ力を尽くす決意です。