主張
自衛隊発足60年
「時代の大うそ」またつくのか
きょうは、1954年7月1日の自衛隊創設から60年です。
安倍晋三政権は集団的自衛権の行使を可能にする解釈改憲を強行し、自衛隊を「海外で戦争する軍隊」へと大転換しようとしています。戦場に送られた自衛隊員が殺し、殺される―。発足以来、国民が決して許してこなかった事態につながる歴史的な暴挙は絶対に認められません。
発足時の厳しい警告
自衛隊は、50年に連合国軍総司令部(GHQ)の指示でつくられた警察予備隊を前身にしています。警察予備隊を指導した米軍事顧問団初代幕僚長のフランク・コワルスキー氏が、その創設を「時代の大うそ」と呼んだのは有名です。同氏は「日本の憲法は文面通りの意味を持っていないと、世界中に宣言する大うそ、兵隊も小火器・戦車・火砲・ロケットや航空機も戦力でないという大うそである」と指摘しました(『日本再軍備 米軍事顧問団幕僚長の記録』)。
戦争を永久に放棄し、戦力の不保持を定めた憲法9条に反してつくられた警察予備隊はその後、さらに本格的な「軍隊」として強化され、52年の保安隊への改編をへて自衛隊になりました。
歴代政権はこの60年、自衛隊は憲法9条が保持を禁じる「戦力」ではなく、外国による武力攻撃から日本を防衛するための必要最小限度の実力組織だと説明してきました。一方で、それは、日本に対する武力攻撃を排除する目的以外での武力行使、すなわち、集団的自衛権の行使や国連の集団安全保障措置への参加など海外での武力行使を禁じるという制約にもなってきました。
安倍・自公政権が集団的自衛権の行使容認のため改ざんし、一部を悪用した72年の政府見解ももともとは「憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」と断じていました。
自衛隊発足直前の54年6月2日、参院本会議は「自衛隊の海外出動を為(な)さざることに関する決議」を採択しました。趣旨説明をした鶴見祐輔議員が「自衛とは、我が国が不当に侵略された場合に行う正当防衛行為であって、それは我が国土を守るという具体的な場合に限るべき」だと述べ、「如何(いか)なる場合においても、一度この限界を越えると、際限もなく遠い外国に出動することになることは、先般の太平洋戦争の経験で明白」だと警告を発していたことが想起されるべきです。
歴史の教訓にそむく
自衛隊の「海外出動」は90年代以降、国連平和維持活動(PKO)やインド洋、イラクへの派兵と拡大してきました。それでもなお、自衛隊の武力行使は日本防衛のための必要最小限度に限られ、海外では行わないという見解は堅持されてきました。安倍・自公政権はこの「限界」を一片の閣議決定だけでクーデター的に一気に飛び越えようとしているのです。
アジア太平洋戦争という歴史の痛苦な教訓に背き、日本を「海外で戦争する国」にする新たな「時代の大うそ」は、世界にも国民にも決して通用しません。
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