主張
集団的自衛権行使
「限定」とは逆に無限定になる
安倍晋三首相が執念を燃やす集団的自衛権の行使を可能にする解釈改憲に向け、「限定」容認論が浮上しています。「砂川事件最高裁判決」(1959年)を持ち出し、同判決のいう「わが国の存立を全うするために必要な自衛のための措置」には個別的自衛権だけではなく集団的自衛権の行使も含まれるとして、これを「必要最小限度の集団的自衛権の行使」として「限定」的に認めるという主張です。
いくつものごまかし
「限定」的容認といいますが、歴代政府が集団的自衛権の行使を違憲としてきた一線を踏み越えることに変わりなく、「海外で戦争する国」づくりに踏み出すものであり、到底認められません。
国民の中で急速に広がっている反対世論をかわすことを狙いにする「限定」容認論には、いくつものごまかしがあります。
自民党の高村正彦副総裁は、「集団的自衛権の範疇(はんちゅう)に属し、わが国の存立を全うするために必要最小限度のもの」として次のような事例を挙げています。
“A国が日本を侵略するかもしれない状況下で、日米安保条約に基づき日本近海で警戒行動をとる米艦をA国が襲った。日本は集団的自衛権の行使になるからといって米艦を守らず、米艦は大損害を受けた。A国はその後、日本を侵略してきた。こうした場合、米艦を守るのは必要最小限度の自衛権行使といえる”
しかし、元内閣官房副長官補(安全保障担当)の柳沢協二氏は著書で、第1次安倍政権時に「公海上で米艦が攻撃された場合の自衛隊の対応については、日本近海であれば、そのような攻撃は通常、日本への攻撃の前触れとして行われ、日本有事と認定できるため、…個別的自衛権によって米艦の護衛が可能」と説明していたことを明かしています(『検証 官邸のイラク戦争』)。高村氏が挙げる事例は個別的自衛権で対応できるのに、無理やり集団的自衛権行使の類型に入れ、それを正当化する口実に使っているだけです。
しかも、「砂川事件最高裁判決」を都合よく利用することはもともと無理です。これまで政府も、判決は「自衛のための措置をとること、自衛権があることだけを判断している」のであり、「(事件は)アメリカの駐兵が問題だったので、その点以外のことについて判断を下していない」(67年3月30日、参院予算委員会、高辻正己内閣法制局長官)と説明してきました。決して集団的自衛権肯定の根拠にはなり得ません。
いくら「限定」的といって小さく見せかけようとしても、「わが国の存立」にかかわるかどうかの判断は時の政権任せであり、範囲は無限定だということも重大です。実際、自民党の石破茂幹事長は、「(自衛隊が)地球の裏まで行くことは普通考えられない」としつつ、「そこで起こっている事態が、日本に対して非常に重大な影響を与える事態であると評価されれば、行くことを完全に排除はしない」と公言しています。(5日)
「アリの一穴」許さず
「必要最小限度」であれ集団的自衛権の行使をいったん認めれば、“海外での武力行使はできない”という憲法の歯止めは外されることになります。「アリの一穴(いっけつ)」から9条をなきものにする企てを許さない世論と運動が必要です。