日本が海外でアメリカと肩を並べて戦争できるようにする集団的自衛権の行使容認に向け、安倍晋三首相が暴走を強めています。国会答弁で歴代政権の憲法解釈を真っ向から否定。“憲法とは権力を縛るもの”という原則さえ否定する露骨な解釈改憲の姿勢に、自民党内からも批判がおきています。
「時々の政権が解釈変更可能に」
「(政府の)最高の責任者は私だ。政府の答弁に私が責任をもって、そのうえで選挙で審判を受ける」。安倍首相は12日の衆院予算委員会で、現行憲法下で禁止されてきた集団的自衛権行使の憲法解釈を自らの一存で変更できるとの立場を示しました。
集団的自衛権とは、自国が攻撃を受けていなくても、同盟国などが攻撃を受けた場合反撃するというもの。政府は1972年の参院決算委員会に提出した資料で「我が憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫不正の侵害に対処する場合に限られる」「他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」と明記。81年答弁書などで繰り返してきました。
ところが安倍首相は、「今までの(憲法解釈の)積み上げでいくのであれば、そもそも安保法制懇を作る必要はない」とも述べ、解釈改憲先にありきの姿勢を鮮明にしました。
この発言には自民党内でさえ、「その時々の政権が解釈を変更できることになる」(村上誠一郎元行革担当相)、「拡大解釈を自由にやれるなら憲法改正は必要ないと言われてしまう」(船田元・憲法改正推進本部長)と批判が続出。安倍首相答弁の異常さを示しています。
安倍首相はこれまでも「政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能だ」(5日の参院予算委)、「解釈をどうするかは政府一体となって内閣法制局を中心に判断していく」(10日の衆院予算委)と答弁。解釈改憲で集団的自衛権行使は認められ、解釈変更にあたっては国会審議は不要との立場を示しています。
国会との関係を無視して一方的に解釈変更できるというのは「多数独裁」の発想です。
「便宜的変更は憲法の信頼損なう」
そもそも憲法は、首相をはじめ国家権力を厳格に拘束するもの。政権が変わるたびに多数派が憲法の解釈を自由に変えることができるなら、憲法が憲法でなくなってしまいます。内閣に憲法の内容を勝手に変える権限はありません。
それを勝手に変更できるとする安倍首相の発言は、戦後保守政権がまがりなりにも掲げてきた諸原則すらことごとく否定するものです。
「憲法解釈を便宜的、意図的に変更するようなことをするとすれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねない」。自衛隊のイラク派兵を強行した小泉内閣は2004年6月18日、政府による憲法の解釈についてこのような立場を示した閣議決定を行いました。
憲法をはじめとする法令の解釈について「法令の規定の文言、趣旨等に即しつつ、立案者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮し、また、議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことにも留意して論理的に確定されるべきもの」と指摘。このような考え方を離れて「政府が自由に憲法の解釈を変更することができるという性質のものではない」と断定しています。
また小泉純一郎首相自身、同年2月27日の参院本会議で「憲法について見解が対立する問題があれば、便宜的な解釈の変更によるものではなく、正面から憲法改正の議論をすることにより解決を図ろうとするのが筋だ」と述べています。明文改憲を認めるわけにはいきませんが、安倍首相の発言は、歴代政権が「論理的な追求」の結果として示してきた“筋論”を真っ向から踏みにじるもので、まったく道理がありません。
国民主権に対するクーデター
安倍首相の発言は「最高法規としての憲法のあり方を否定し、立憲主義を否定する、きわめて危険なもの」(日本共産党の志位和夫委員長)です。
国民主権の立場で国家権力を制限し、国民の人権を守るのが憲法の本質的役割であり、立憲主義の原理です。
このような憲法の本質に照らして、憲法の解釈は権力者の恣意(しい)に任せられることがあってはなりません。
「論理的な追求の結果」として示してきた憲法解釈を、安倍首相がいうように選挙で多数を取った勢力が都合よく変更できるというのは、こうした閣議決定にも反し、立憲主義を乱暴に否定するものにほかなりません。
同時に憲法の改定は、国民主権の下、厳格な要件のもとでの国会発議に基づき国民投票にかけられて初めて可能(憲法96条)です。実質的な憲法の改定を「解釈変更」の閣議決定だけで強行するのは、国民主権を踏みにじるクーデターです。
昨年来、96条の要件緩和の狙いに対して「立憲主義破壊」と厳しい批判を受けた安倍首相が、「明文改憲は難しい」として解釈改憲へとひた走る姿は、邪道の中の邪道を行くものです。
危ない安倍首相語録
「集団的自衛権の行使が認められるという判断も政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正が必要だという指摘は必ずしも当たらない」(5日、参院予算委)
国会で議論すべきとの指摘に―「(安保法制懇の)結論を得たところで、与党においてしっかりと議論させていただく。この上において、解釈をどう判断するかについて、政府一体となって、法制局を中心に判断をしていく」(10日、衆院予算委)
「今までの(憲法解釈の)積み上げのままでいくというのであれば、そもそも安保法制懇をつくる必要はない」(12日、衆院予算委)
「(政府答弁の)最高の責任者は私だ。私が責任者であって、私たちは選挙で国民から審判を受けるんですよ。審判を受けるのは、法制局長官ではない」(12日、衆院予算委)
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